196 試練の先と本来の姿
「終わったか」
俺がそう言うと同時に、周囲を覆っていた透明な膜が消え、すぐに機械的なアナウンスが流れた。
『最後の試練が達成されました。達成者は地下への階段へ進んでください』
そのアナウンスと同時に、石板の前に地下へと続く階段が現れた。
「あ、念のため囲っておこう。〈空架障壁〉」
俺は石板エリアの階段を含め、俺たちのいる場所全体を〈空架障壁〉で囲んだ。もちろん、エヴァルシアの指輪を装備していれば通過できるようにしてある。
「リディア、イレーヌ、エリュシア。助けてくれてありがとう。俺たちだけではクリアできなかった。しかし……どうやってここまで来たんだ? ここは不法入国者が入れないダンジョンなんだろう?」
問いかけられた三人は、揃って口を閉ざした。
「え? もしかして……強行突破してきたのか……?」
さらに沈黙が続いたあと、ようやくリディアが口を開いた。
「実は私たちは、朝から『八王の大迷宮』の入口まで来ており、そこにテントを張って待機していました。そして三人でモニターを見ていたのですが……明らかにアレスさまに危険が迫ったとき、エリュシアがテントを飛び出したのです。私たちも、それに続きました」
俺はエリュシアへと視線を向けた。すでに彼女の瞳には涙が浮かんでいる。
「アタシが……アタシが原因だから……アタシがどうなっても……アレスを守らないと……」
それ以上、言葉にならなかった。リディアが優しくエリュシアを抱きしめる。その隣で、イレーヌもまた、もらい泣きしていた。
「事情はわかった。しかし……このまま無事に帰れるのか?」
俺の問いに、リディアは静かに頷いた。
「はい。透明化して脱出します。仮に透明化が破られたとしても、最初に八体の王へ挑み、命を落とした五人の冒険者カードを回収していますので、彼らに変身してやり過ごします。容姿はモニターで確認していますので、問題ありません」
そうか。リディアはミノルから奪った〈変身魔法〉を持っている。それなら、階段を登りさえすれば、イレーヌとエリュシアも変身させて安全に脱出できるはずだ。
「わかった。それじゃあ、俺もドラゴンになれるし、この先どれだけ時間がかかるかわからない。リディアたちは先にエヴァルシアへ戻って待っていてくれ。次に会うときは、アレスの姿で会おう」
「承知しました。アレスさま。無事に帰還されるのを、エヴァルシアでお待ちしております」
そう言うとリディアは跪き、そのまま俺を抱きしめた。今の俺は小柄なゴブリンの姿だ。自然と、そういう形になる。
そのままキスをしようとしたリディアを、俺は軽く制した。
「ごめんな、リディア。ゴブリンの姿のまま、皆とキスはしたくないんだ。アレスの姿に戻るまで待ってくれ」
リディアは珍しく頬を膨らませたが、すぐに表情を整えた。
「仕方ありませんね。承知しました。エヴァルシアまでお預けです」
そう言って、もう一度俺を強く抱きしめた。
続いてイレーヌ、最後にエリュシアと抱き合う。だが、エリュシアはなかなか離れようとしなかった。
「エリュシア。続きはアレスの姿に戻ってからだ。いつまでもこうしていたら、俺が戻れないだろう?」
「うん……わかった……」
名残惜しそうに、エリュシアはようやく俺から離れた。
「それじゃあ、俺たちは地下へ行ってくる。リディア、イレーヌ、エリュシア。助けてくれてありがとう。無事に帰ってくれよ」
「承知しました」
「了解」
「りょーかい」
俺たちは地下への階段の前で別れ、俺とラグナ、ベルガは階段を降りていった。
地下へ降りると――
「やはりダンジョンコアルームか。しかし……デカいコアだな」
通常のダンジョンでは、二メートル四方の黒い立方体が、角を地面に突き立てるようにして斜めに立っている。しかし、ここのコアは五メートル四方はありそうだった。
三人でダンジョンコアへ近づくと、いつものように機械的な声が頭の中に響いた。だが――
『新たな称号とスキルを得るか、今ある称号の一つをカスタマイズするか選択してください』
いつもとは違う内容だった。
最初に、“新たな称号とスキルを得る”か、“今ある称号の一つをカスタマイズする”かの選択を求められる。
俺は迷うことなく後者を選んだ。カスタマイズは、頭の中で念じるだけで行えるらしい。
俺は《エンドリング》をカスタマイズした。
《エンドリング改》
・生まれてくる子供の種族を、天空人、相手の種族、ハーフの中から選択できる。
・生まれてくる子供すべてにおいて、自分の遺伝子を継がせるかどうかを選択できる。
・子孫は、どれほど保有魔力が高くても魔女化しない。
これで子供を作る上での支障はなくなったが、このことはしばらく黙っておこう。子供を作れと殺到される未来しか見えないからだ。
ちなみに、ラグナとベルガは“新たな称号とスキルを得る”方を選んでいた。
【貰った称号・スキル】
ラグナ
称号 :《刀神》 物質だけでなく「魔法」「契約」「呪い」「因果」「不死性」も斬ることができる。
スキル:〈居合術[1]〉 刀を鞘に納めた状態から、一瞬で抜いて斬る技術。初撃が最速・最高威力。
ベルガ
称号 :《守護神》 物理・魔法・属性・状態異常すべてに大幅耐性。一定範囲内の味方への攻撃を肩代わり可能。
スキル:〈反射無効〉 相手の反射攻撃やカウンターを無効化する。
(そういえば、この姿のままダンジョンを脱出すると、地上で大変なことになるな……)
そう考えた俺は、大きな白い布を一枚取り出し、ラグナへ声をかけた。
「ラグナ、試したいことがある。すべての装備と服を脱いで、裸になってもらえないか?」
「え!? な、何するの……?」
「ああ、ここでヒューマンに戻れるか試したいんだ。もうダンジョン攻略と関係ないエリアだから、できる気がする」
「あ、ああ……そういうことね。ちょっと待って」
ラグナは装備を外し、裸になると、俺が渡した白い布で体を隠した。
「じゃあ、試すぞ」
俺は〈変身魔法〉を発動し、ラグナの変身を解除した。
すると――
艶のある黒い長髪が背中を流れ、しなやかに揺れる。引き締まった輪郭の中で、瞳は快活な光を宿していた。無駄のない立ち姿には、積み重ねてきた経験の重みが滲んでいる。それでいて硬さはなく、風のように自由な気配を纏った、美貌の女性がそこに立っていた。
「鏡をどうぞ」
俺はラグナへ手鏡を差し出した。
「あ……ああ……元に戻れてる……」
ラグナの――いや、彼女の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「ラグナ。名前も元に戻すぞ」
「うん……お願い……」
俺は〈ステータス情報改竄〉で改竄されていた名前を元に戻した。
「へぇ……カエデっていうのか。いい名前だな」
そう言うと、カエデはわずかに頬を染め、言葉を失った。
「次はベルガだ。布の大きさは、カエデのときと同じでいいか?」
「ああ、問題ない」
オーガの姿では布で隠すのもぎりぎりだったが、ヒューマンへ戻れば問題はない。
ベルガも装備と服を脱ぎ、布で体を隠す。
俺は〈変身魔法〉を発動し、変身を解除した。
そこに立っていたのは――艶のある黒髪を持つ女性だった。
背筋は自然に伸び、佇まいに乱れはない。落ち着いた眼差しは理知的で、感情を表に出すことは少ないが、向けられた相手を真っ直ぐに見据える誠実さがあった。整った顔立ちは派手さこそないものの、長い経験に裏打ちされた大人の美しさを湛えている。真面目さゆえの静かな威圧感と、揺るがぬ信頼感を同時に感じさせる女性だった。
「ベルガも、鏡をどうぞ」
俺は手鏡を差し出した。
「……やっと戻れた。ありがとう、アレス」
「じゃあ、名前も戻すぞ」
同じように〈ステータス情報改竄〉を解除する。
「おお……レイナっていうのか。美しい見た目によく合っている」
レイナは無表情のままだったが――その頬は、わずかに赤く染まっていた。




