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第三話 片言の妖怪
「ただいまー」
「おう」
「今日さ、会社でね」
「おう」
「子どもたちが今度帰ってくるって」
「おう↑?」
語尾が少し上がった。
聞いているアピールである。
私は、もはやこの微妙なイントネーションの違いを聞き分けられるようになっていた。
奴は、年々日本語を失っている。
若い頃は違った。
「今日も綺麗だね」
「会いたかった」
「愛してる」
聞いてるこっちが恥ずかしくなるくらい甘い言葉を吐いていた男が、今ではほぼ「おう」しか言わない。
もしかすると長年の結婚生活の中で、日本語能力が退化したのかもしれない。
だが恐ろしいことに、この会話で成立してしまうのだ。
「今日何か食べたい?」
「お、おう……」
これは考えているである。
「ゴミ出しした?」
「おう」
これはたぶんした。
「お風呂入った?」
「……おう」
これは入ってない。
長年連れ添った結果、私は妖怪語を理解できるようになっていた。
最近では背中を見るだけで感情までわかる。
ソファーに対して斜め四十五度なら機嫌が良い。
完全横向きなら眠い。
体育座りしている時は腹を壊している。
もはや野生動物の観察に近い。
結婚三十年。
甘い言葉は無い。
変わりに、新言語で会話可能になっている。




