えぴそーど3~ドアマットヒロイン?
あまりコメディーぽくならなかったです。
反省。
エリス=ランドロフは幸せな少女だった。
裕福な伯爵家に生まれ、母親には愛されていたし、幼いうちに決まった婚約者も溢れるほどの愛を注いでくれる。少し距離はあるものの、父親も愛してくれていると信じていた。
少なくとも、母親が突然の事故で命を落とす12歳までは・・・・・・。
母親が死んで悲しみに暮れるエリスの元に、父親が「新しいお母さんだよ」と女性を連れてきたのは、母親が死んで一月後の事だった。
しかも、その女性はエリスより一つ年下の女の子を連れていたのだ。
父親と同じ色彩を持った美しい少女を見たとき、エリスは絶望した。
その意味を悟れないほど、エリスは鈍感でも幼くもなかったからだ。
震える声でせめて母親の喪が明けるまでは待ってほしいと訴えたエリスの言葉は、あっさりと跳ねのけられた。
そればかりか、父親の意向に逆らったと不興を買い、部屋に閉じ込められてしまう。
罰として食事を丸一日抜かれて、エリスの心はポッキリと折れてしまった。
それまで経験したことのなかった飢えは、死の恐怖を伴って、エリスを脅かしたのだ。
母親を死に連れ去られたばかりのエリスにとって、それはとてもつらい経験だった。
そこからの転落は、ひどいものだった。
プライドを捨てて泣いて許しを請う事で、硬いパンと冷えた薄いスープを手に入れる事はできたが、部屋への軟禁はその後も続いた。
生きるのにギリギリの食事を与えられる生活は一月にも及び、その間に屋敷の全ては変わっていた。
美しく上品に整えられていた女主人である母親の部屋は新しい母親のものとなり、屋敷全体が金ぴかの成金趣味に染められていた。
祖母の代から勤めていた執事を筆頭に、馴染みのある侍女や侍従は姿を消し、後に残されたのは父親に追従する者か新しくやとわれた者達だけだった。
最後の仕上げとばかりに、ようやく開かれた扉から、エリスは屋根裏部屋へと移された。
掃除もろくにされていない屋根裏部屋に、軋みをあげる古いベッド。
骨董品を通り越して、よくこんなものが残っていたと感心するほど古ぼけた家具に衝撃を受けたエリスには、もう反抗する気力も残ってはいなかった。
黄ばんで見えるシーツがかけられたベッドに座り込むと、埃が舞い上がりエリスはせき込む羽目になった。
横になることもできず、エリスは壁を背に膝を抱えて蹲った。
(本当に辛いと、泣くこともできないくなるのね)
空腹と精神的ショックでぼんやりする頭で、エリスはどこか他人事のように考える。
明日からの日々が、今日よりもひどいものになることに、この時のエリスは気づいていなかった。
「ねぇ、僕って何者だったっけ?」
突然自分の主人に問いかけられて、ケインは目を瞬いた。
「あなたはカリフィン公爵家の次男、エイドリアス様です」
質問の意図が分からないまま、ケインは目の前で憤然とした表情で腕を組んでいる三つ年下の主人に答える。
「そうだね。婚約者の家とはいえ、伯爵家の、しかも仮当主でしかない男に侮られていい立場ではないと思うんだよね」
不機嫌を隠そうともしない険しい表情で、エイドリアスは言い切った。
普段なら、そんな傲慢な態度をとるような少年ではないのだが、今は心底腹に据えかねているようで言葉の棘を隠そうともしない。
ここが移動中の馬車の中という密室で、共にいるのが乳兄弟であるケインだけとはいえ、珍しい態度である。
「だいたいふざけてると思わない? エリスの母親の葬儀を最後に、何度誘いの手紙を出しても代筆での断りが来るばかりで一度も会えない。母親を失ったショックで寝込んでいると言われていたけど、もう三か月だ。お見舞いすらも断られるなんて相当だよ?それなのに、医者が出入りしている様子はないし」
怒りの持っていき場所がないのだろう。
宙を睨むようにぶつぶつと文句を垂れ流すエイドリアスに、ケインは口をつぐんだ。
「そうかと思えば、平民の親子を引き込んだり、古くから働いていた執事や召使たちを紹介状もなしに解雇する。もう、やらかしていることを隠す気すらないよね?挙句の果てに、再三の要求でようやく面会の許可が出たと思ったら、当日訪ねた僕に「再び体調が悪くなりまして」なんて適当な言葉で、一目会わせることもしない。その上、「代わりに下の娘がお相手を……」って、礼儀も言葉遣いもなってない女をよこすし。てか、下の娘って誰だよ?エリスは一人娘だっただろう?!」
「落ち着いてください、エイドリアス様。手を痛めてしまいます」
ついには馬車の壁をバンバンと叩きだしたエイドリアスに、ようやくケインが制止の言葉をかけた。
「僕の婚約者はエリスだ。僕が望んで、たくさんの時間を共に過ごして、大切にしてきたのはエリスなんだ!他の誰かが代わりになんてなるわけないだろう!?」
それでも抑えきれない激情を叫び、エイドリアスはギリッと唇をかみしめた。
「だいたい、あの男、昔から胡散臭いと思っていたんだ。愛想だけは良かったけれど、いつだって目の奥が笑っていなくて気持ち悪かった」
脳裏によみがえるのは、終始笑顔を浮かべてエイドリアスに対応していたエリスの父親だ。
もともとは伯爵家の三男で、その美貌にエリスの母親がほれ込み、婿養子として迎えいれた経緯がある。
ランドロフ伯爵家系譜の血は一滴も流れていないため、当主であったエリスの母親が亡くなっても、当然家を継ぐ権利はない。
正統な後継者であるエリスがまだ未成年のため実の父親である彼が、一時的に当主の仕事を肩変わりしているだけに過ぎないのだ。
「エリスが心配だ。何より、これ以上エリスに会えないなんて耐えられない」
エイドリアスの顔から、表情が消える。
しばらくの沈黙の後、ゆっくりと口角だけが上がっていく。
「一応エリスの父親だし、最後の温情と思って今日まで様子見てたけど、もういいよね?」
(あ、終わったな。あの男)
やけに赤く感じるエイドリアスの唇を見ながら、ケインはため息を押し殺した。
カリフィン公爵家の次男。
今でこそ、穏やかで人付き合いのいい好人物と言われているが、5年前まではそうではなかった。
傍若無人、唯我独尊。
「無能は死ね」と無表情で言いきるような少年だった。
そんなエイドリアスだったが、エリスに出会うことで劇的な変化を迎える。
傍若無人は鳴りを潜め、他者を思いやるようになった。
理由は、エリスに嫌われたくないから。
エリスは確かに可愛らしい少女だったけれど、絶世の美少女というわけではない。せいぜいクラスで一番かわいい子、レベルである。
高位貴族の娘らしく幼い頃から厳しくしつけられたので、そこそこ頭は良かったし、礼儀もしっかりしていたけれど、頭脳明晰と褒められるほどでもない。
十人中三番目か四番目。平均よりはちょっとできる子、というのが周囲から見たエリスの評価だった。
そんなエリスの何が、それほどエイドリアスの心の琴線を擽ったのかは分からない。
しかし、エイドリアスは初めて会ったその日からエリスに夢中だった。
正に一目ぼれ。出会った瞬間電撃が走った、とは後のエイドリアスの言葉である。
争いごとが苦手と知ると人へ毒を吐くことはなくなったし、外を走り回るより室内でゆっくり過ごすのが好きだと知ると、エリスの好みそうな物語の本を持参した。
エリスが最近気になっていると知れば、自ら人気の菓子屋に並んだりもした。
人が変わったように穏やかになった(ように見えた)息子に、公爵は喜び、大急ぎで婚約を整えた。
このままだと、愚者に上に立たれるのは嫌だとか言いだして、兄を排除するために暗躍するのではないかと悩んでいたのだ。(実際、ちらっと考えた。が、兄も聡明だったため、そのまま育つなら問題ないかと思い直していた)
そんな次男が、たった一人の少女のために変わったのだ。
公爵家から婿に出すには爵位が低いのは少し気になったけれど、その気になれば自分で爵位をあげる事など朝飯前だろう。
そんな事より、家族やその周辺が心穏やかに過ごせるほうが百倍大事である。
「身分が……」と戸惑うエリスママも、「二人の気持ちが大切だと思いませんか」で押し通した。
仲良く手をつないで散歩している2人の姿に、エリスママも戸惑いを捨てた。
その頃には、エイドリアスは努力の甲斐もありしっかりエリスの心をつかんでいて、手を引かれて歩くエリスも恥ずかしそうに頬を染めながら笑顔を浮かべていたので……。
自分を変えてまで手に入れた婚約者を、エイドリアスが手放すはずがなかったのだ。
「エイドリアス様……。ほどほどにお願いしますよ?ほどほどに……」
「いやだな?僕がエリスを怖がらせるようなこと、するはずないでしょう?正攻法で行くとも」
おそるおそる苦言を呈したケインに、エイドリアスは心外だと言うように目を丸くして見せる。
しかし、口元の禍々しい笑みは変わらずそこにあった。
「……バレなきゃいいってものではないんですけどね」
ケインは、欲を出したばっかりに闇に沈められるであろう男の未来を思って、少しだけ同情した。
ほんの、少しだけ……。
「エリス!」
ボロボロのお仕着せを着せられ、裏庭の草むしりをしていたエリスは、久しぶりに自分を呼ぶ声を聞いてノロノロと顔をあげた。
「遅くなってごめん! こんなにぼろぼろになって!!」
次の瞬間、力強い腕に抱きしめられる。
「…………エイドリアス……様?」
おそるおそる名を呼べば、さらにその腕に力が入る。
「こんなに痩せてしまって。本当にごめん。僕がもっと早くに動いてたら……」
悔しそうな声に、エリスの心がギュッと絞られるように痛む。
二つ年上の婚約者は、公爵家の生まれの上に容姿端麗・文武両道と昔から評判だった。
少し周りと距離を置くところもあったけれど、いつだってエリスには優しく甘かった。
だからこそ、この辛い生活に落とされた時も、エイドリアスの存在を心の支えに耐えていたのだ。
だけど、そんなエリスに父親はひどい言葉を投げかけてきた。
「エイドリアス様は、もう私の事を嫌いになったと聞かされました。だから、会いに来てくださらないのだと……」
本当はもっとひどいことも言われていたけど、悲しすぎてとても自分の口からは出せなかった。
「そんなわけないだろう?!何度も手紙を送ったよ。母を失った悲しみで体調を崩していると断られていたんだ。エリスは優しい子だから、心の傷が癒えるまでは、そっとしておこうかと思った僕が馬鹿だったんだ。悲しんでいるというなら、こうして抱きしめればよかったのに……」
深い後悔が滲む声が、悲しみに凍り付いていたエリスの心を溶かしていった。
「……泣いているの?ドリー」
そして、自分を抱きしめる体が小さく震えているのに気がつく。
驚いて抱きしめられた腕の中から顔をあげようとするが、エイドリアスの手がエリスの頭を胸に押し付ける様に抑えてしまう。
「………泣いてない」
否定する声は、さっきとは違って震えていて、エリスは思わず笑ってしまった。
「ウソつき。声が震えているわ」
「だって、エリーが僕の事エイドリアスって呼ぶから、もう嫌われてしまったのかと思って。だけどドリーって呼んでくれたから」
まるで小さな子供のように、どこか拙い口調で訴えるエイドリアスに、エリスは心に残った最後のしこりのような物が消えていく。
「最初にエリスって呼んだのはドリーだわ。お父様がおっしゃっていたのは本当だったのかと、悲しくなったのだから!」
攻めるような言葉だが、その声には甘えが滲んでいる。
「ごめん。助けに来るのが遅くなって、エリーが怒ってるんじゃないかって思ったら怖くなったんだ」
ションボリとした声が降ってきて、エリスを抱きしめていた腕から力が抜ける。
そっと見上げたエイドリアスはまるで叱られてしょんぼりしている子犬のようだった。
まだかすかに滲んで見える目元を、エリスはそっとなぞった。
「怒ってないわ。迎えに来てくれてありがとう」
ふわりとほほ笑む姿は、やつれてボロボロだったけれど、それでも美しく見えた。
「うん。もう、誰にも君を傷つけさせないから……」
再び抱きしめると、エリスもふわりとその背に腕を回してきた。
それを喜ぶ間もなく、フッとエリスの体が崩れ落ちる。
慌てて抱きとめたエイドリアスは、グッタリと目を閉じているエリスに唇をかみしめた。
「本当に、僕はおろかだ」
いくら冷遇しても、まさか実の娘に危害を加えるようなことをしているとは思っていなかった。
せいぜい、部屋に軟禁して外部と連絡が取れないようにしているだけだと思っていたのだ。
自分の甘さに後悔しながら、エイドリアスはエリスを大切に抱きあげる。
「このまま、自宅へ向かう。先ぶれを出して、母に部屋の用意と医師を呼ぶように伝えてくれ」
「承知いたしました」
控えていた騎士がサッと走り去るのを見送って、エイドリアスは歩き出した。
屋敷の中から誰かの悲鳴や怒声が聞こえる。
今頃、到着した騎士団による大捕り物が行われているのだろう。
罪状は、家の乗っ取りと正当な跡継ぎへの虐待疑惑である。
「疑惑じゃなくなったし、殺人未遂に罪状を上げてもいいくらいだ」
あまりにも軽すぎるエリスの体に、ふつふつと怒りがこみあげてくるが、エイドリアスは屋敷に背を向けた。
自分の手で断罪したいのは山々だが、こんな姿のエリスをこれ以上騎士団の目に触れさせたくなかったし、一刻も早く安全な場所に連れて行きたかった。
「まあ、今を逃しても、後から関わることはいくらでもできるしね」
(これは、さっさと殺してもらった方が楽なんじゃないかな……)
背後に控えていたケインは、酷薄なつぶやきを聞いてそっと目をそらすのだった。
お読みくださり、ありがとうございました。
ヒロインというか、ヒーロー(?)が主役っぽくなってしまいました。
詰めが甘かったのは、生意気なことを言っていても実際に人の悪意に触れたことがほとんどない14歳の少年だと言ことと、あんなにかわいいエリスにひどい事ができるわけないでしょ、という盲目さからきてました。
今後は反省して、大事に大事に囲い込むことでしょう。
エリスちゃんは良くも悪くもヒロイン体質なので、「うちの彼、ちょっと束縛すごくない?」から「私って愛されてる」に上手に変換して幸せになれるんじゃないかと……。




