七星さん
先輩に呼び出されたのは、少し経ってからのことだった。
俺はそのとき、半強制的に取らされた長い休みの最中だった。先輩とちゃんと話すのは、あの山手公園のカフェ以来だ。
連絡が来てすぐ、先輩と前に来たオーシャンビューのレストランのランチを予約した。
現れた先輩はいつもと変わらず無表情で、いつもと変わらずきれいだった。
「一新、ごめんなさい」
席に着いた瞬間、深刻そうな顔で謝られた。
「あなたが無理していると気づいていたのに、私は......」
「今日はそういうのなしでいきましょう」
「そういうわけには」
「七星さんに気使ってるとかじゃないんですよ。いやそれもあるんですけど、俺は今日をめちゃくちゃ楽しみにしてて」
「楽しみ?」
「この店のデザート、全部頼んでもいいですか? 前回食べられなかったんで!」
前回も食べていたでしょう、と先輩がつぶやいたが、聞こえないふりをした。
「うまいのう。あーうまいのう」
「なんだか知らないけど、元気そうでよかったです」
夏の新作デザートを、ひとくちずつ順番に食べる俺を見て先輩が言った。
「七星さん、今日はそういうのなしって言ったけどひとつだけ。俺もすいませんでした。せっかく俺にチャンスをくれたのに、なにも応えられなかった」
「あなたが言うなら私も言います。なので、そういうのはなしです」
きっぱりとした口調で言われた。相変わらずだ。ふふっと笑う。
「.....小夜さんに誘われていた新しいお店の話ですけど」
気になっていた話題になった。
自分が誘われないことはわかっていた。一番肝心なときに、厨房で吐いた。そして倒れた。それ以上でもそれ以下でもない。
舌を取り戻したあと、本当は少し考えた。
いますぐ仕事に戻ったら、評価を取り返せるかもしれない。
また毎晩がんばって。期待に応えて。無理をして。
けれど、いまの俺ならそれは違うと思えた。
「しかたない」で、すませた方がいいこともある。
けれど、それで先輩と働けなくなるのは素直にさみしい。顔を上げられないまま、先輩の次の言葉を待つ。
「......私もお断りすることにしました」
「えっ!?七星さんも!?」
「はい」
憑きものを落としたような、さっぱりした顔で先輩がいう。
「私はあなたに『人のことを考えて』と言ってきたけど、私ができていませんでした。そもそも一新を誘うことになったのは、私が小さな店ではやっていけないぐらい、ひとりよがりだったからです」
「......」
「私に合う人を小夜さんに必死に探してもらうより、私がもっと人に合わせられるようになるべきだから」
先輩がふふふと笑って言った。
「『空気を一度下げる女』は卒業します」
「それ知ってたんですか」
「なんとなくね」
先輩にとってはくやしいことのはずなのに、俺としては飛び上がるほど嬉しい。頬がゆるんでいるのがわかる。顔が熱い。どうしようもなく、うれしかった。
「そういえば、ノワールの叔父さまが見舞いに来ていたそうですね」
「はい、たまたま日本にいたみたいで」
叔父さんのこと。叔父さんに言われたこと。
ノワールが閉店した理由。
そういうのもまた、先輩と話してみたい。
「あなたのことを新坊と呼んでいたと、嬉しそうに晴人が報告してきました」
いらないことを。でも、晴人と聞いて思い出す。
「そういう七星さんも、妹にななっちって呼ばれてません?」
「なんでそんなこと知ってるの!?」
先輩の頬が赤くなった。
その顔を見て、ちょっとした意地悪をしたくなる。
これくらいなら許されるだろ。散々ふり回されてきたんだし。
「知りたいです?」
「そりゃ、そうです」
「じゃあ、俺とごはんに来てくれたら教えます。仕事の話は抜きで」
先輩が俺から目をそらして考えこむ。心臓がどきどきしている。
「......料理の話は仕事?」
「いいけど、前みたいにメニューを熟読するとかはやめてください。まじで話しかけにくいんで」
「えっ! 私はメニューが読みたくて外食に行ってるのだけど」
「なんすかそれ」
声を上げて笑う。休みが明ければ、また店での仕事が始まる。
朝早くから準備して、昼は時間に追われて働いて、夜は自分のために勉強して。
そんなことの繰り返しで、つぶれてしまうこともあるだろう。
そういうときは、諦めてしっかり休んでしまえばいいのだ。
続けたいなら、「しかたない」がいることもある。
ひとりよがりじゃ、仕事は続いていかないのだ。




