第86話 黒剣の沈黙
ベルンの街へ来てから数日。
一行は宿を拠点に情報収集を続けていた。
教会の記録。
レオン。
失われた名前。
そして子ドラゴンが持ってきた古い紋章。
情報は増えている。
だが核心には届かない。
まるで誰かが意図的に、一番大事な部分だけ隠しているかのようだった。
昼下がり。
宿の一室。
ロックは机に突っ伏していた。
「分かんねぇ……」
机の上には紙が散乱している。
紋章の写し。
教会の記録。
走り書きのメモ。
どれも決定打にならない。
セリナも資料を見ながらため息をつく。
「共通点はあるのよ」
「でも繋がらない」
リゼは隣で静かに聞いていた。
以前より表情は増えている。
だが結社関連の話になると、まだ少し硬くなる。
その時だった。
「……」
セリナの視線がふと止まる。
部屋の隅。
窓際。
そこに立つガルド。
そして背の黒剣。
何気ない光景。
いつも通り。
なのに。
何かがおかしい。
セリナは眉を寄せた。
「……ねぇ」
ロックが顔を上げる。
「ん?」
「黒剣」
「どうした?」
セリナは少し考える。
違和感の正体を探す。
そして気付いた。
「静かすぎる」
ロックが首を傾げた。
「静か?」
「前はもっと反応してなかった?」
言われてみれば。
地下施設。
リゼ救出。
観測者。
アズラエルとの戦い。
黒剣は何度も異常を見せていた。
黒霧。
共鳴。
不気味な反応。
だが最近は。
驚くほど静かだった。
ロックも腕を組む。
「確かに」
「エルフ領入ってから特にか」
ガルド本人は反応しない。
いつものように黙っている。
セリナは視線を落とした。
フィルエナの護符。
長老の調律。
その影響だろうか。
そう考えるのが自然だ。
だが。
何故か納得できない。
むしろ。
静かすぎる。
まるで何かを待っているような。
そんな感覚。
その時だった。
リゼが小さく口を開く。
「……寝てるみたい」
全員が振り向く。
リゼは少し困った顔をしていた。
「寝てる?」
セリナが聞き返す。
リゼは自信なさそうに頷く。
「わからない……」
「でも」
少女の視線が黒剣へ向く。
「そんな感じ」
ロックが苦笑する。
「剣が寝るのかよ」
普通なら笑い話だ。
だが。
誰も笑えなかった。
リゼは結社の影響を受けていた。
常人には分からないものを感じ取ることがある。
アルヴェインも言っていた。
特異点としての感覚は完全には消えていないと。
セリナは考え込む。
「寝てる……」
いや。
違うかもしれない。
静かにしている。
潜んでいる。
力を溜めている。
どれも可能性としてはあり得た。
その時。
ガルドが僅かに動く。
全員の視線が向く。
ガルドは背の黒剣へ視線を向けていた。
数秒。
そして短く言う。
「……重い」
ロックが吹き出した。
「そこかよ」
セリナも思わず笑う。
ガルドらしい。
不穏な空気が少しだけ和らぐ。
だが。
その直後だった。
カン——。
微かな音。
黒剣からだった。
全員が反応する。
ガルドも振り返る。
しかし。
何も起きない。
黒剣は沈黙したまま。
ロックが眉を寄せる。
「今、鳴ったよな」
セリナも頷く。
確かに聞こえた。
だが、それだけだった。
黒霧は出ない。
共鳴もしない。
異変も無い。
まるで。
存在を主張しただけ。
ガルドはしばらく見ていたが、やがて視線を戻した。
「……気のせいだ」
ロックが呆れる。
「絶対気のせいじゃねぇだろ」
だが本人がそう言うなら、それ以上は追及できない。
話はそこで終わった。
夕方。
ベルンの街を夕陽が染めていた。
ガルドは一人、宿の裏手へ出ていた。
人通りは少ない。
静かな場所だ。
風が吹く。
背の黒剣が揺れる。
その時。
カン——。
また音がした。
今度は近い。
ガルドは振り返る。
黒剣を見る。
何もない。
沈黙。
変化なし。
ガルドはしばらく見つめていた。
だがやがて視線を外す。
警戒する様子もない。
そのまま宿へ戻っていく。
無防備な背中。
誰もいなくなった路地。
静寂。
そして——。
黒剣の鍔の隙間から。
ほんの一瞬だけ。
黒い靄が覗いた。
煙のような。
息のような。
微かな揺らぎ。
だが次の瞬間には消える。
誰も見ていない。
ガルドも。
セリナも。
ロックも。
気付いていない。
ただ一つだけ。
黒剣は確かに変化を続けていた。
静かに。
誰にも知られぬまま。




