第65話 観測者再び
世界樹の最深部。
精霊の泉を囲む静寂は、完全に消えていた。
森そのものが、警戒している。
葉が揺れる。
枝が軋む。
精霊たちのざわめきが、空気に満ちていた。
その中心。
泉の前では、セリナがリゼを抱えるように膝をついている。
リゼの身体はまだ眠ったまま。
だが、精霊の泉に呼応するように、首元の痕が淡く光っていた。
そのすぐ後ろ。
無言で立つガルド。
背中には黒剣。
さらに少し後方にロック。
入口側にはリュシアと、数名のエルフの戦士たち。
そして――
彼らを半円状に囲むように。
黒衣の三人が、いつの間にか立っていた。
世界樹の根の上。
木々の影。
泉を見下ろす位置。
まるで、最初からそこにいたかのように。
黒い外套。
無機質な仮面。
顔は見えない。
だが――
“見られている”。
その感覚だけが、肌を刺していた。
ロックが、一歩前へ出る。
短剣を逆手に構えながら。
「……結界抜けて、世界樹のど真ん中まで直行か」
苦く笑う。
「趣味悪ぃな」
返事はない。
代わりに。
先頭の仮面が、ゆっくりと視線を動かした。
まず――
ガルド。
背中の黒剣。
仮面の奥で、淡い光が走る。
「……観測開始」
感情のない声。
次の瞬間。
空中に、薄い魔法陣が浮かぶ。
複数。
幾何学模様が、静かに回転する。
ロックが眉をひそめる。
「またあれか……」
仮面の声が、静かに響く。
「黒剣――」
一拍。
「適合、安定」
次の視線。
リゼへ。
セリナの腕の中。
首元。
残された干渉痕。
「特異点――」
「同期、継続」
セリナの表情が険しくなる。
「……っ」
まだ、切れていない。
結社との繋がりが。
その時。
仮面の視線が、ロックへ向いた。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
仮面の奥で、微かなノイズが走る。
――ザッ……
ロックが、眉をひそめる。
「……?」
隣の仮面が、低く問う。
「どうした」
先頭の仮面は、数秒だけ沈黙し――
再び、淡い光を走らせた。
「……問題なし」
短く。
「人間個体」
「戦闘能力、中程度」
ロックが、口元を歪める。
「中程度って、失礼だな」
だが。
誰も反応しない。
完全に。
興味を失ったように。
ロック自身は気づかない。
だが。
アルヴェインだけが、僅かに目を細めていた。
「……」
言葉はない。
ただ、静かに見ている。
仮面の視線が、再びリゼへ戻る。
「観測継続」
「特異点、再接続開始」
その瞬間。
セリナの腕の中で。
リゼの身体が、大きく跳ねた。
「……ッ!」
セリナの表情が変わる。
「リゼ!」
首元が、強く光る。
白ではない。
紫が混じる。
嫌な光。
リゼの呼吸が、一気に乱れる。
「ぁ……っ……!」
苦しそうな声。
セリナが、強く抱き寄せる。
「大丈夫……! 大丈夫だから……!」
だが。
紫の光は、さらに強くなる。
空中の魔法陣から伸びる細い光の糸が――
セリナの腕の中のリゼへ、直接繋がっていた。
ロックが、舌打ちする。
「……直接繋いでやがる!」
リュシアが、即座に弓を引く。
「長老! 撃ちます!」
周囲のエルフたちも、一斉に魔力を込める。
だが――
アルヴェインが、一歩前へ出た。
「待て」
低く。
森そのものが従うような声。
リュシアの指が、止まる。
「ですが――!」
アルヴェインの視線は、光の糸へ向いていた。
「今撃てば、あの娘ごと貫く」
リュシアが、息を呑む。
確かに。
観測者たちは、意図的にセリナとリゼの直線上へ立っていた。
外せば当たる。
撃てば巻き込む。
完全に計算されている。
ロックが、顔をしかめる。
「最初から、それ狙いかよ……」
アルヴェインは、すでに片手を掲げていた。
空中に、緑の精霊文字が浮かぶ。
世界樹が呼応する。
「干渉を断つ」
翠の光が、一気に広がった。
緑の光が、紫の糸を包み込む。
だが――
切れない。
紫の糸は、脈打ちながら繋がったまま。
アルヴェインの表情が、僅かに険しくなる。
「……世界樹の中で、これほどか」
セリナの腕の中で。
リゼが、さらに苦しそうに身体を震わせる。
「ぁ……あ……っ……」
セリナの声が、震える。
「やめて……!」
その時。
ガルドが――
一歩、前へ出た。
無言のまま。
黒剣は、まだ抜かない。
だが。
その一歩だけで。
三人の観測者が、ぴたりと動きを止めた。
仮面の奥。
初めて。
ほんの僅かに。
“警戒”が滲む。
「……」
森の空気が、張り詰める。
戦いが。
始まろうとしていた。




