第60話 拒絶から信頼へ
静寂が、長く続いていた。
誰も、すぐには言葉を出せない。
長老アルヴェインの前。
開かれた精霊記録。
そこに刻まれていたのは、ただの昔話ではない。
今、目の前に立つガルドと――
あまりにも似すぎた“過去”だった。
ロックが、ゆっくりと息を吐く。
「……洒落になんねえな」
苦笑混じり。
だが、その声はいつもより低い。
セリナは黙ったまま、ガルドを見ていた。
首元の黒い痣。
背中の黒剣。
そして――
何も変わらない、その背中。
本人だけが、いつも通りだった。
アルヴェインが、静かに本を閉じる。
重い音。
それだけで、場の空気が切り替わった。
「リュシア」
長老の声。
「……はい」
「村へ伝えろ」
短く。
だが、迷いなく。
「この者たちは、客人だ」
部屋の空気が、一瞬止まる。
リュシアの目が見開かれる。
「……長老」
初めて。
彼女の声に、明確な動揺が混じった。
「ですが、その剣は――」
アルヴェインが視線だけを向ける。
それだけで、リュシアは口を閉じた。
沈黙。
やがて、静かに頭を下げる。
「……承知しました」
だが。
その時だった。
外が、ざわついた。
複数の足音。
高まる気配。
リュシアの眉が寄る。
「……早い」
次の瞬間。
扉が開く。
三人のエルフたち。
若い戦士たちだった。
その目には、明確な敵意。
「長老!」
先頭の男が叫ぶ。
「何故、人間を中へ!」
「しかも、あの呪われた剣まで!」
視線は、ガルドへ。
隠そうともしない殺気。
ロックが肩をすくめる。
「……来ると思った」
アルヴェインは答えない。
ただ、見ている。
何を選ぶかを。
若いエルフが一歩前へ出る。
「その剣は森を汚す!」
「今すぐ外へ――」
その時。
「……ッ!」
リゼの身体が、大きく跳ねた。
セリナの表情が変わる。
「リゼ!」
首元が、強く光る。
今までで、一番強く。
白い光ではない。
紫が混じる。
嫌な色。
リゼの呼吸が乱れる。
身体が震える。
「……あ、ああ……ッ」
苦しそうな声。
ロックの目が鋭くなる。
「まずい!」
エルフたちも息を呑む。
空気が、歪む。
世界樹の根の中。
抑え込まれていた“干渉”が、暴れ始めていた。
若いエルフが弓を構える。
「危険だ!」
「離れろ!」
セリナが叫ぶ。
「撃たないで!」
だが、間に合わない。
弓が引かれる。
その瞬間。
ガルドが動いた。
一歩。
ただ、それだけ。
リゼの側へ。
黒剣には、触れない。
抜きもしない。
ただ――
近づく。
その瞬間。
リゼの身体が、ぴたりと止まった。
光が、揺らぐ。
呼吸が、戻る。
暴れていた魔力が――
静かに、沈んでいく。
若いエルフたちが、言葉を失う。
セリナも。
ロックも。
知っていた。
だが――
初めて見る者たちには、衝撃だった。
何もしていない。
剣も抜いていない。
魔法も使っていない。
ただ、そこに立っただけで。
アルヴェインが、小さく目を閉じた。
「……やはり」
若いエルフの一人が、震える声で言う。
「な、何をした……」
ロックが、苦く笑う。
「何もしてねえよ」
腕を組む。
「それが一番怖えんだけどな」
ガルドは何も言わない。
ただ、リゼの側に立っている。
それだけ。
その姿を見て。
アルヴェインが、ゆっくりと立ち上がる。
「見たな」
低く。
重い声。
若いエルフたちが姿勢を正す。
「剣に飲まれた者ではない」
一歩。
前へ出る。
「剣を従えている者だ」
その言葉に。
部屋の空気が変わる。
若いエルフたちの目から、敵意が少しずつ消えていく。
代わりに浮かぶのは。
警戒。
そして――
畏れ。
アルヴェインが、静かにガルドを見る。
深い翠の瞳で。
「……お前は、違う」
その言葉に。
ガルドは、僅かに視線を上げた。
ほんの少しだけ。
そして。
短く。
「……そうか」
初めて。
この場所で、言葉を返した。
短く。
だが、それだけで。
森の空気が、少しだけ和らいだ。
アルヴェインの目が、僅かに細くなる。
まるで――
何百年越しに、答えを見つけたように。
そして。
彼は、静かに告げた。
「……まだ、守れるかもしれんな」
その言葉の意味を。
この場で完全に理解できた者は――
まだ、誰もいなかった。




