第50話 聖域
港町の中心部へ近づくにつれ、空気が変わっていった。
人の数が増える。
声が増える。
だが――
「……なんか、落ち着かねえな」
ロックが呟く。
周囲は普通だ。
商人の声。
荷車の音。
行き交う人々。
だが、自分たちだけが少し浮いているような感覚がある。
セリナは前を見たまま言う。
「……目立ってるわね」
理由は明白だった。
ガルド。
その背に、リゼ。
そして、漂う“違和感”。
隠しきれるものではない。
ロックが肩をすくめる。
「まあ、今さらだな」
やがて。
白い石造りの大きな建物が見えてくる。
高い塔。
静かにそびえ立つそれは、周囲の喧騒とは切り離されていた。
「……あれか」
「聖教会」
門をくぐる。
その瞬間。
ロックの足が、わずかに止まる。
「……っ」
眉が寄る。
頭の奥に、微かなズレ。
音が遠くなるような感覚。
セリナが振り返る。
「どうしたの?」
ロックは首を振る。
「……いや」
だが、小さく付け足す。
「……やっぱ、ここ嫌いだ」
中へ入る。
静寂。
外の喧騒が嘘のように消える。
白い床。
高い天井。
差し込む光。
現実感が薄い。
聖職者たちの視線が集まる。
一人の男が近づいてくる。
「……その子を」
セリナが前に出る。
「診てほしいの」
男は頷く。
「中へ」
案内される。
奥の部屋。
ガルドがリゼを静かに下ろす。
寝台へ。
その瞬間。
首元が、かすかに光る。
聖職者の目が細くなる。
「……妙だ」
手をかざす。
反応はある。
だが。
「……呪いではない」
「魔導具の残滓でもない」
セリナの表情が揺れる。
「……じゃあ」
聖職者が言う。
「“干渉”だ」
空気が変わる。
「外から、直接」
「内側へ触れられている状態」
セリナの指が震える。
「……治せるの?」
沈黙。
そして。
「……ここでは、足りない」
はっきりと。
ロックが低く言う。
「じゃあ、どこだ」
聖職者は答える。
「……森だ」
「精霊の領域」
その言葉が落ちた瞬間。
セリナの目が、わずかに見開かれる。
「……精霊の……」
息が、揺れる。
記憶ではない。
もっと深いところ。
血に刻まれた感覚が、反応する。
「……そうか……」
小さく、呟く。
そして、はっと顔を上げる。
「……フィルエナ」
ロックが眉をひそめる。
「フィルエナ?」
セリナは頷く。
「精霊の守り神」
「エルフの国に伝わる存在」
その声には、確信があった。
「……あの領域なら」
「届くかもしれない」
聖職者が目を細める。
「……知っているのか」
セリナは短く答える。
「……私は、エルフだから」
ロックが小さく息を吐く。
「……なるほどな」
一瞬だけ、納得した顔になる。
「最初からお前の領分だったわけか」
セリナは否定しない。
ただ、リゼを見る。
「……行く」
迷いはない。
ロックが肩をすくめる。
「決まりだな」
その時。
ガルドがわずかに動く。
黒剣が、小さく脈打つ。
ドクン。
聖職者の視線がそこに向く。
「……その剣も」
小さく呟く。
だが、それ以上は言わない。
セリナがリゼの手を握る。
「……待ってて」
リゼの指が、わずかに動く。
応えるように。
外の光は、変わらない。
だが。
彼らの進む先は――
人の領域ではない。
精霊の領域。
そして。
まだ誰も知らない“深部”へと続いていた。




