第35話 選定
巣の中に、静寂が落ちていた。
先ほどまでの激しい衝突の余韻だけが、空気の奥に残っている。
砕けた岩。
抉れた地面。
焼け焦げた痕。
その中心で――
ガルドは、立っていた。
全身に傷を負い、血を流しながら。
それでも、倒れない。
剣は握っている。
だが、その刃は――向けられていない。
ロックが息を吐く。
「……なんなんだよ、この空気……」
セリナは答えない。
ただ、目の前の存在を見据えている。
親ドラゴン。
その巨躯は動かず、ただガルドを見下ろしている。
先ほどまでの殺意は、消えている。
だが、緩んではいない。
それは――
測る視線。
値踏みするような、圧。
そのとき。
低く、重い音が響いた。
親ドラゴンの喉が震える。
そして――
「……なぜ、傷つけるために振るわぬ」
言葉だった。
重く、低く、響く声。
ロックが目を見開く。
「……喋った……!?」
セリナの表情がわずかに変わる。
「……知性種」
伝承にのみ語られる存在。
人の言葉を解する、上位の竜。
親ドラゴンの視線は、ガルドから外れない。
「我が力を受け」
「その剣を持ちながら」
「なぜ、命を奪うために振るわぬ」
問い。
だが、責めではない。
ただの確認。
ガルドは答えない。
沈黙。
その場に立つだけ。
呼吸も荒い。
血は流れ続けている。
それでも。
一歩も引かない。
一度も、刃を向けない。
子ドラゴンが、小さく鳴く。
震えながら。
それでも、ガルドの側へ寄る。
その姿を見て――
親ドラゴンの目が、わずかに揺れた。
「……我が子を、守ったか」
短い言葉。
だが、その中に含まれる意味は重い。
ガルドは、やはり答えない。
ただ、立っている。
沈黙のまま。
「……人でありながら」
その言葉には、わずかな驚きが混じっていた。
「……そして」
空気が、わずかに張り詰める。
「感情の強き波を感じぬ」
ロックが眉をひそめる。
「……は?」
意味が分からない。
だが、セリナは違った。
何かに気づいたように、目を細める。
「……それって……」
親ドラゴンは続ける。
「怒りも」
「恐怖も」
「執着も」
「強き揺らぎが、感じられぬ」
その言葉が、静かに巣に落ちる。
「多くの人間は違う」
「守るためであろうと」
「力を振るうとき、必ず感情は昂ぶる」
「それが――喰われる」
視線が、ゆっくりと動く。
親ドラゴンが、ゆっくりと口を開く。
深く。
暗い喉の奥。
そこから、何かが出てくる。
重い音とともに、それは地面へと落ちた。
鈍い衝撃。
地面に突き刺さる。
黒い。
歪な。
剣。
その瞬間、空気が歪む。
ロックが思わず一歩下がる。
「……なんだ、それ……」
ただの武器ではない。
見た瞬間に分かる。
“異質”。
黒剣の周囲の魔力が、微かに揺らいでいる。
いや。
吸い込まれている。
地面に突き刺さった“それ”へ。
黒い剣。
歪な形状。
ただ存在しているだけで、周囲の魔力を歪ませている。
セリナが低く呟く。
「……吸ってる……魔力を……」
ロックも顔をしかめる。
「……なんだよ、それ……気味悪ぃな……」
親ドラゴンが言う。
「それは、人の持つものではない」
短い言葉。
だが、断定。
「多くの者が手にした」
「力を求め」
「あるいは、守るために」
「だが」
わずかな間。
「すべて、死んだ」
空気が、重く沈む。
ロックが小さく舌打ちする。
「……呪い、ってやつかよ」
その問いに応えはない。
「感情に、喰われる」
親ドラゴンの声は変わらない。
ただ、事実を並べる。
「怒りは、力を引き出す」
「悲しみは、刃を鋭くする」
「執着は、限界を超えさせる」
「だが――」
その目が、わずかに細くなる。
「すべて、代償となる」
沈黙。
風が、ゆっくりと吹き抜ける。
そして。
親ドラゴンの視線が、再びガルドへ戻る。
「だが、お前は違うようだ」
低く。
確信を持って。
「感情の波が、極めて静かだ」
「力を振るう者でありながら」
「揺らがぬ」
その言葉に、重みが宿る。
「……静かだ」
たった一言。
だが、それがすべてを表していた。
ロックが息を呑む。
セリナも言葉を失う。
その評価は――
“強さ”ではない。
“在り方”そのもの。
そして。
親ドラゴンが、わずかに身を引く。
「ならば」
空気が張り詰める。
「試す価値がある」
その言葉と同時に。
黒剣が――
脈打った。
ドクン。
まるで、心臓のように。
ロックが一歩下がる。
「……おい……今の……」
セリナの視線が鋭くなる。
「……反応してる……」
黒剣が、わずかに震えている。
まるで、何かを感じ取ったように。
親ドラゴンが告げる。
「それを取れば」
「戻れぬ」
「力を得る代わりに」
「削られるのは――お前自身だ」
警告。
だが、止めはしない。
「それでも、手にするか」
問い。
だが。
ガルドは、答えない。
ゆっくりと、一歩前に出る。
ロックが叫ぶ。
「おい、ダンナ……!」
止めようとする。
だが、足が動かない。
本能が拒絶している。
セリナも同じだった。
ただ、見ていることしかできない。
ガルドの手が、伸びる。
黒剣へ。
触れる。
その瞬間――
空気が裂けた。
魔力が一斉に揺らぐ。
黒剣が、大きく脈打つ。
ドクン。
ドクン。
強く。
激しく。
そして。
一瞬だけ。
“何か”が動いた。
言葉ではない。
音でもない。
だが確かに。
意思。
選ぶように。
確かめるように。
そして――
静かに、収まる。
ガルドの手の中で。
黒剣は、動きを止めた。
ロックが、呟く。
「……なんだよ……それ……」
セリナは、ただ見ている。
その剣と。
それを握る男を。
親ドラゴンが、低く言う。
「……生きたか」
それは驚きではない。
確認。
そして。
「ならば、見届けよう」
「その結末を」
風が、再び動き出す。
ガルドは何も言わない。
ただ、黒剣を手に立っている。
その背に――
“終わりへ向かう力”を背負って。




