第36話 代償
黒剣を握った瞬間。
何かが、確かに“通った”。
それが何なのか。
言葉にはならない。
だが。
確実に、内側に触れた。
――そして。
何事もなかったかのように。
静まる。
ガルドの手の中で、黒剣はただの鉄のように沈黙している。
だが。
わずかに。
ほんのわずかに。
“削られている”。
痛みはない。
違和感も、ほとんどない。
だが確実に。
何かが、少しずつ持っていかれている。
命の奥。
その一部が。
静かに。
気づかれぬように。
奪われている。
――それでも。
ガルドの呼吸は変わらない。
視線も。
姿勢も。
何一つ、揺らがない。
その様子を見て。
親ドラゴンが、低く言う。
「……始まったか」
その声は、ガルドにだけ届く。
外には、響かない。
「それは、喰らう剣だ」
「力と引き換えに」
「お前を削る」
ガルドは答えない。
ただ、剣を握っている。
「多くの者は」
「ここで変わる」
わずかな間。
「力を得たと知り」
「求める」
「強さを」
「勝利を」
「守るための、力を」
その言葉の奥に。
過去が滲む。
幾度も見てきた光景。
「だが」
声が、わずかに沈む。
「感情が昂ぶるほど」
「侵食は、深くなる」
黒剣が、わずかに脈打つ。
ドクン。
ガルドの手の中で。
「怒り」
「悲しみ」
「執着」
「それらすべてが、餌となる」
静かに。
確実に。
「気づいた時には、遅い」
「内側から崩れ」
「やがて、自らを失う」
ガルドは動かない。
そのまま、剣を握る。
脈動は、すぐに収まる。
まるで――
何も起きていないかのように。
「……だが」
親ドラゴンの視線が、深くなる。
「お前は、静かだ」
その言葉は、評価ではない。
確認。
「今はまだ」
「ほとんど、喰われていない」
それが、異常だった。
この剣を握った者は。
最初の瞬間から、変わる。
だが。
ガルドは違う。
何も変わらない。
「……稀だ」
わずかな間。
「あるいは――」
言葉が途切れる。
その先は、まだ定まっていない。
未来。
可能性。
どちらにも転ぶ。
「いずれ、知る」
「その剣の、重さを」
その声とともに。
わずかに。
黒剣が反応する。
ほんの一瞬。
何かが、揺れる。
だが。
言葉にはならない。
ただ。
“在る”。
その感覚だけが残る。
そして――
音が戻る。
風が流れ込む。
ロックの声が、耳に届く。
「おい、ダンナ!!」
セリナも駆け寄る。
「ガルド!」
現実。
巣の中。
二人の姿。
すべてが戻ってくる。
ロックが肩を掴む。
「……大丈夫か!? 急に止まって……」
セリナも黒剣を見る。
「……それ」
言葉を選ぶように。
「普通じゃないわね」
ガルドは答えない。
ただ、剣を見下ろす。
ロックが顔をしかめる。
「……嫌な感じしかしねぇな」
セリナも頷く。
「……何かを、奪ってる」
確信はない。
だが。
感覚が告げている。
この剣は。
ただの力ではない。
ガルドは、何も言わない。
ただ、立っている。
黒剣を手に。
静かに。
確実に。
“削られながら”。




