第152話 黒剣に飲まれる者
邪竜の核へ。
最後の亀裂が入った。
赤黒い光が。
ひびの隙間から漏れ出す。
ノアは。
レオンの腕を掴んだまま。
離さない。
『やめろ!』
『勝ったら』
『君が邪竜になる!』
レオンは。
静かに。
邪竜の核を見つめていた。
「分かっています」
『分かってない!』
ノアの声が震える。
『君が君じゃなくなるんだ!』
『今までみたいに』
『侵食されるとか』
『そんな程度じゃない!』
『全部だ!』
『名前も!』
『記憶も!』
『アルヴェインも!』
『グラムも!』
ノアの叫びが。
黒剣の中へ響く。
レオンは。
目を閉じた。
森。
山。
鍛冶場。
消えた村。
白い街。
そして。
竜骸谷。
アルヴェインの声。
グラムの笑い。
ノアの皮肉。
全部。
まだ覚えている。
「だから」
レオンは言う。
「今のうちに」
ノアの瞳が。
大きく揺れる。
「終わらせます」
『レオン!』
邪竜が。
低く笑った。
『そうだ』
『受け入れろ』
『我を倒せ』
『我となれ』
黒い根が。
レオンの胸を貫く。
激痛。
心臓が。
一度。
大きく止まる。
次の瞬間。
邪竜と同じ鼓動が。
胸の中で鳴った。
ドクン。
左目が。
赤く染まる。
頬に。
黒い鱗が浮かぶ。
ノアが。
後ずさる。
『もう』
『始まってる……』
レオンは。
自分の手を見る。
指先。
黒い。
爪のように。
変わり始めている。
それでも。
黒剣を離さない。
「ノア」
『嫌だ』
「聞いてください」
『嫌だ!』
「アルヴェインと」
「グラムへ」
『自分で言え!』
ノアが。
レオンの胸を殴る。
『帰って』
『自分で言え!』
レオンは。
少しだけ笑った。
「本当に」
「あなたは変わりましたね」
『誰のせいだ!』
「私でしょうか」
『君以外に誰がいる!』
邪竜の核。
亀裂が広がる。
あと一撃。
それで終わる。
そして。
始まる。
次の邪竜が。
レオンとして。
「なら」
レオンは。
ノアの肩へ手を置いた。
「最後まで」
「付き合ってください」
ノアは。
涙を浮かべながら。
睨み返した。
『最後にするな』
「努力します」
『そこは』
『言い切れよ……』
レオンは。
黒剣を。
さらに深く押し込んだ。
---
現実。
邪竜の巨体が。
激しく痙攣した。
胸に刺さった黒剣を中心に。
黒い亀裂が。
全身へ広がっている。
レオンの身体にも。
同じ亀裂。
アルヴェインは。
竜骨の陰から。
その姿を見ていた。
「……レオン」
気付いた。
黒剣が。
邪竜を斬っているのではない。
何かを。
吸っている。
邪竜の黒い光が。
すべて。
レオンへ流れ込んでいる。
「まさか」
アルヴェインは。
立とうとする。
脚が動かない。
それでも。
右手で地面を掴む。
這う。
少しずつ。
レオンへ。
石像となったグラムの前を通る。
その瞬間。
契約紋が。
強く光った。
赤。
グラム。
まだ。
消えていない。
アルヴェインの瞳が。
鋭くなる。
「グラム」
「聞こえるなら」
「力を貸せ」
石像。
返事はない。
だが。
地面へ落ちた戦槌。
バルガンが。
僅かに震えた。
---
黒剣の中。
邪竜の核が。
崩れ始める。
『やめろ!』
今度は。
邪竜自身が叫んでいた。
『我が消える!』
『世界から!』
レオンは。
刃を押し込む。
「あなたが喰らった名を」
「返してください」
『拒む!』
「返してください」
『我がものだ!』
ノアが。
レオンの隣へ立つ。
幼い黒竜も。
その横へ。
灰色の光が。
邪竜の核を包む。
『違う』
幼い黒竜が言う。
『全部』
『お前のものじゃない』
無数の名が。
核から溢れ出す。
人。
竜。
獣。
国。
村。
失われた記録。
光となり。
黒剣の中から。
外へ昇っていく。
邪竜の身体が。
小さく。
崩れていく。
『返せ!』
『返せ!』
『我には』
『それしかない!』
幼い黒竜の瞳から。
涙が落ちる。
『僕がいる』
邪竜が。
止まる。
『何?』
『お前が捨てた』
『僕がいる』
ノアが。
幼い黒竜の手を握る。
『一人じゃない』
巨大な邪竜は。
初めて。
何も言えなかった。
レオンは。
その姿を見つめる。
怒り。
飢え。
孤独。
全てを喰らうことで。
自分を埋めようとした存在。
「あなたも」
レオンは言う。
「終わっていい」
邪竜の赤い瞳が。
揺れる。
『終わる』
『我が』
『消える』
「消えません」
『なぜ』
レオンは。
幼い黒竜を見る。
「残っています」
邪竜の目が。
そちらへ向く。
小さな自分。
捨てた自分。
泣いていた自分。
長い沈黙。
やがて。
邪竜が。
ほんの僅かに。
笑った。
『そうか』
その声から。
怒りが消えた。
『なら』
『もう』
『喰わなくていいのか』
幼い黒竜が。
泣きながら頷く。
『うん』
邪竜は。
目を閉じた。
『疲れた』
最後の亀裂が。
核を貫いた。
光。
---
邪竜の巨体が。
竜骸谷で。
静かに崩れ始めた。
咆哮はない。
黒い鱗が。
灰となり。
雪へ溶けていく。
空を覆っていた翼も。
少しずつ。
消えていく。
邪竜は。
倒れた。
アルヴェインは。
その光景を見て。
息を吐いた。
「終わった……」
だが。
すぐに。
顔を上げる。
レオンが。
動かない。
邪竜の胸。
黒剣の柄を握ったまま。
立っている。
「レオン?」
返事がない。
アルヴェインは。
這うように近づく。
「レオン!」
ゆっくり。
レオンが振り返る。
左目。
赤。
頬。
黒い鱗。
首筋から。
胸元へ。
黒い亀裂。
そして。
黒剣から伸びる根が。
完全に。
レオンの身体へ入り込んでいた。
「……アルヴェイン」
声は。
まだ。
レオンだった。
だが。
その奥に。
別の低い響きが混ざっている。
アルヴェインの顔から。
血の気が引く。
「剣を離せ」
レオンは。
黒剣を見る。
手を開こうとする。
指が。
動かない。
柄と。
皮膚が。
繋がっている。
「離れません」
アルヴェインが。
唇を噛む。
レオンは。
静かに言った。
「約束を」
「覚えていますか」
「忘れるものか」
「なら」
「私が」
レオンの声が。
一瞬。
二重になる。
『我が』
レオンは。
歯を食いしばる。
自分の喉を。
押さえる。
「……私で」
「なくなったら」
アルヴェインの瞳が。
揺れる。
「止めてください」
その時。
石像となったグラムの契約紋が。
強く赤く光った。
戦槌バルガンが。
地面から。
ゆっくり浮かび上がる。
ノアの声も。
黒剣の中から響く。
『僕もいる』
レオンは。
苦しそうに。
それでも。
ほんの少し笑った。
「では」
「三人で」
黒い亀裂が。
レオンの右目へ向かって。
ゆっくり伸び始めた。




