第151話 邪竜決戦
レオンは。
邪竜の胸へ向かって走った。
グラムが砕いた鱗。
アルヴェインが作った隙。
その奥。
脈打つ黒い肉が見える。
『来るな』
邪竜の声が響く。
『お前は』
『我へ戻る』
「戻りません」
レオンは地を蹴った。
跳躍。
巨大な胸へ。
黒剣を。
突き立てる。
――ズン。
刃が。
深く沈んだ。
『アァァァァァッ!』
邪竜が絶叫する。
巨体が仰け反る。
黒い血が噴き出し。
レオンの鎧を染めた。
「ノア!」
『いる!』
「五つ目を!」
『分かってる!』
黒剣の中。
ノアが。
幼い黒竜の手を握る。
『離すなよ』
『うん』
灰色の光が。
黒剣を走る。
レオンは。
さらに刃を押し込んだ。
だが。
邪竜の傷口から。
黒い根が伸びる。
腕。
肩。
胸。
今度は。
防具の上ではない。
肉の中へ。
直接。
入り込んできた。
「ぐっ……!」
『レオン!』
心臓が。
大きく鳴った。
一度。
二度。
三度。
自分の鼓動とは。
違う。
もう一つの鼓動が。
胸の中で。
動き始める。
『受け入れろ』
邪竜が囁く。
『そうすれば』
『苦しみは終わる』
レオンの視界が。
黒く染まった。
---
見えたのは。
王都だった。
人々が笑っている。
戦争はない。
邪竜もいない。
黒剣もない。
道の向こう。
アルヴェインが。
両腕で弓を持っている。
グラムが。
酒樽を抱えて笑っている。
ノアもいる。
人の姿で。
こちらへ手を振っている。
「レオン!」
グラムが笑う。
「遅ぇぞ!」
アルヴェインも。
穏やかに言う。
「待っていた」
ノアが。
こちらへ走ってくる。
「もう戦わなくていい」
レオンは。
立ち尽くした。
戦わなくていい。
誰も死なない。
誰も失わない。
黒剣を。
握らなくてもいい。
「……そうですか」
手から。
剣が落ちる。
ノアが笑う。
「帰ろう」
差し出された手。
レオンも。
手を伸ばす。
その時。
何かが。
引っかかった。
グラムの腰。
戦槌がない。
アルヴェインの胸。
契約紋がない。
そして。
ノア。
「あなたは」
レオンが言う。
「そんな顔で」
「笑いません」
ノアの笑顔が止まる。
「何を」
「もっと」
「意地が悪い」
景色に。
亀裂が走った。
「レオン」
「それに」
レオンは。
アルヴェインを見る。
「彼は」
「私に生きて戻れとは」
「言わなかった」
亀裂が広がる。
「グラムも」
「槌を置いていかない」
王都が。
砕け始めた。
ノアの顔が。
黒く歪む。
『なぜ』
邪竜の声。
『幸福を拒む』
レオンは。
足元の黒剣を拾った。
「簡単です」
剣を構える。
「偽物だからです」
世界を。
斬った。
---
現実。
レオンが。
目を開く。
邪竜の胸。
黒剣は。
まだ刺さっている。
『レオン!』
本物のノアの声。
『聞こえる!?』
「はい」
『馬鹿!』
「すみません」
『戻ってこないかと思った!』
「約束しましたので」
竜骨の陰。
アルヴェインが。
レオンを見ている。
その表情が。
僅かに緩んだ。
だが。
次の瞬間。
「レオン!」
邪竜の爪が。
横から迫る。
レオンは。
黒剣を抜こうとする。
抜けない。
黒い根が。
刃を邪竜へ固定している。
爪が。
レオンの身体を捉えた。
衝撃。
骨が。
何本も折れる。
レオンは。
黒剣を握ったまま。
邪竜の胸から引き剥がされた。
地面へ叩きつけられる。
一度。
二度。
三度。
視界が白くなる。
「……っ」
立てない。
右脚。
感覚がない。
左腕も。
上がらない。
邪竜が。
ゆっくり近づく。
胸には。
黒剣が刺さったまま。
『終わりだ』
レオンは。
地面へ手をつく。
立とうとする。
身体が動かない。
邪竜の爪が。
頭上へ上がる。
その時。
鈍い音。
――ゴン。
邪竜の足元へ。
何かがぶつかった。
戦槌。
バルガン。
レオンが振り返る。
石像。
グラム。
動くはずがない。
だが。
石化した右腕が。
僅かに。
前へ伸びている。
戦槌を。
投げた姿勢で。
止まっていた。
「グラム……」
完全には。
石になっていなかった。
最後の。
ほんの僅かな意識。
それだけで。
槌を投げた。
邪竜の爪が。
一瞬止まる。
その隙。
緑の光。
アルヴェインの精霊が。
レオンの身体へ絡みつく。
「立て!」
アルヴェインが叫ぶ。
「まだ終わっていない!」
レオンは。
動かない右脚を。
無理やり地面へ立てる。
痛み。
骨が擦れる。
それでも。
立つ。
「はい」
邪竜の胸。
黒剣。
そこから。
黒い根が。
邪竜の全身へ広がっている。
レオンは気付いた。
「ノア」
『何』
「剣を抜く必要は」
「ないのでは?」
沈黙。
ノアも。
理解した。
『中から』
「はい」
『邪竜の力を』
「切ります」
黒剣へ。
手を伸ばす。
距離。
二十歩。
邪竜が。
その意図を察する。
『させぬ』
翼が広がる。
黒い光が。
全身へ集まる。
アルヴェインが叫ぶ。
「走れ!」
レオンは。
走った。
一歩。
右脚が軋む。
二歩。
血が落ちる。
三歩。
邪竜の尾。
身を屈める。
頭上を通過。
四歩。
爪。
左へ。
避けきれない。
肩が裂ける。
五歩。
十歩。
十五歩。
邪竜の口が。
目の前で開く。
牙。
その奥。
黒い光。
避ける場所はない。
レオンは。
腰へ手を伸ばした。
グラムの戦槌。
バルガン。
片手では。
重すぎる。
それでも。
振る。
邪竜の下顎へ。
叩き込んだ。
轟音。
口が閉じる。
黒い吐息が。
口内で爆発した。
邪竜が仰け反る。
レオンは。
戦槌を捨てる。
跳ぶ。
胸。
黒剣の柄。
掴む。
その瞬間。
世界から。
音が消えた。
---
黒剣の中。
レオンが立っていた。
目の前。
ノア。
その隣。
幼い黒竜。
そして。
遥か奥。
巨大な邪竜。
現実より。
さらに巨大。
無数の人間の名が。
鱗となって。
身体を覆っている。
『来たか』
邪竜が言う。
レオンは。
黒剣を構えた。
「ええ」
『ここは我だ』
『お前の剣も』
『力も』
『記憶も』
『全て我から生まれた』
「それが」
レオンは。
一歩進む。
「どうしました」
邪竜の瞳が細くなる。
『勝てぬ』
「一人なら」
『何?』
レオンの背後。
緑の光。
アルヴェイン。
赤い光。
グラム。
青い光。
ノア。
灰色。
幼い黒竜。
そして。
白。
レオン。
五つの光が。
一本の道になる。
「一人ではありません」
邪竜が咆哮した。
無数の名が。
鱗から剥がれる。
兵士。
子供。
老人。
竜。
獣。
喰われた者たちが。
黒い影となり。
レオンへ殺到する。
「ノア!」
『任せて!』
青い炎が。
影を包む。
焼かない。
名だけを。
照らす。
一人。
また一人。
影の胸に。
名前が戻る。
邪竜が叫ぶ。
『やめろ!』
「アルヴェイン!」
緑の光が。
影と邪竜を繋ぐ糸を射抜く。
「グラム!」
赤い戦槌が。
記録を閉じ込めた殻を砕く。
解放された名が。
光となって昇っていく。
邪竜の身体が。
少しずつ。
小さくなる。
『やめろ!』
『それは』
『我の力だ!』
幼い黒竜が。
前へ出た。
震えている。
ノアが。
手を握る。
『大丈夫』
幼い黒竜は。
巨大な邪竜を見上げる。
そして。
初めて。
自分から言った。
『違う』
邪竜が止まる。
『その人たちは』
『お前じゃない』
無数の名が。
一斉に輝いた。
邪竜の胸。
奥深く。
赤黒い核が。
露出する。
ノアが叫ぶ。
『レオン!』
レオンは走る。
邪竜も。
巨大な爪を振り下ろす。
黒剣。
爪。
激突。
腕が。
折れる。
それでも。
剣を離さない。
一歩。
さらに。
踏み込む。
「これは」
刃が。
邪竜の爪を割る。
「あなたの」
肩へ。
黒い根が食い込む。
「力では」
胸へ。
根が達する。
「ありません!」
黒剣を。
赤黒い核へ。
突き立てた。
邪竜が。
絶叫する。
同時に。
レオンの胸へ。
黒い亀裂が走った。
ノアの顔色が変わる。
『レオン』
黒剣と。
邪竜と。
レオン。
三つの鼓動が。
完全に重なる。
『駄目だ』
ノアが叫ぶ。
『これ以上は!』
レオンは。
核へ刺した剣を。
さらに押し込む。
『レオン!』
黒い亀裂が。
首へ。
頬へ。
左目へ。
広がっていく。
邪竜の核も。
砕け始める。
あと少し。
ほんの。
あと少し。
だが。
その先にあるものを。
ノアだけが理解した。
邪竜を倒せば。
黒剣に残った全ての力が。
最後に。
一人の契約者へ流れ込む。
その一人は。
黒剣を握っている。
レオン。
『やめろ!』
ノアが。
レオンの腕を掴む。
『勝ったら』
『君が邪竜になる!』
レオンは。
驚かなかった。
ただ。
静かに。
ノアを見た。
「やはり」
ノアの瞳が揺れる。
『知ってたの』
レオンは。
ほんの少しだけ。
笑った。
「途中から」
邪竜の核へ。
最後の亀裂が入った。




