第149話 グラムの遺言
邪竜の咆哮が。
竜骸谷を揺らした。
黒い吐息が。
峡谷の底を一直線に薙ぐ。
「伏せろ!」
グラムが戦槌を振り下ろす。
轟音。
地面から岩壁が立ち上がった。
黒い光が。
岩壁へ激突する。
一瞬。
耐えた。
次の瞬間。
壁全体へ亀裂が走る。
「長くは持たん!」
グラムが叫ぶ。
アルヴェインは。
岩壁の隙間から弓を構えた。
残された矢はわずか。
狙うのは。
邪竜の左目。
かつて黒剣が刺さっていた傷。
「レオン!」
「三歩右だ!」
レオンは。
躊躇なく動く。
その直後。
黒い光が岩壁を貫いた。
グラムの肩を掠める。
鎧が溶け。
肉が焼ける。
「グラム!」
「前を見ろ!」
グラムは怒鳴った。
「俺はまだ立ってる!」
レオンは歯を食いしばる。
邪竜の巨大な爪が。
頭上から振り下ろされる。
黒剣で受ける。
衝撃。
両膝が地面へ沈む。
腕の骨が軋む。
『もっと使え』
邪竜の声。
黒剣から伸びた根が。
レオンの胸へ食い込む。
『我が力を』
『受け入れろ』
「断ると」
レオンは。
爪を押し返しながら言う。
「何度言えば」
黒剣を振り抜く。
爪の一部が。
深く裂ける。
黒い血が。
雨のように降った。
「分かるのです!」
邪竜が。
初めて。
痛みに声を上げた。
その隙。
アルヴェインの弓が鳴る。
一本の矢。
緑の光を纏い。
左目の傷へ飛ぶ。
だが。
邪竜は翼を動かした。
風圧。
矢の軌道が逸れる。
「届かない!」
アルヴェインが叫ぶ。
その時。
グラムが走った。
石化した脚。
一歩ごとに。
砕ける音がする。
それでも。
止まらない。
「俺を使え!」
レオンが顔を上げる。
「何を」
グラムは。
邪竜の前脚へ。
戦槌を叩きつけた。
骨まで響く轟音。
邪竜の身体が。
僅かに傾く。
「アルヴェイン!」
「今だ!」
矢の軌道。
変わったのは。
ほんの僅か。
だが。
それで十分だった。
緑の矢が。
邪竜の左目へ突き刺さる。
『アァァァァッ!』
咆哮。
巨体が暴れる。
尾が。
峡谷を薙ぐ。
グラムの身体が。
直撃を受けた。
「ぐっ……!」
巨体が宙を舞い。
岩壁へ叩きつけられる。
戦槌が。
手から離れる。
レオンが走る。
「グラム!」
「来るな!」
グラムは。
血を吐きながら怒鳴る。
「邪竜を見ろ!」
レオンは。
その場で足を止めた。
邪竜が。
左目を失った怒りで。
両翼を大きく広げる。
峡谷全体の黒い魔力が。
一点へ集まり始めている。
ノアの声が。
黒剣から響く。
『次が来る!』
『さっきより大きい!』
レオンは。
黒剣を構える。
だが。
グラムの方から。
鈍い音が聞こえた。
石が。
崩れる音。
グラムの脚。
すでに腰まで。
黒い石へ変わっている。
石化は。
胸元へ向かって進んでいた。
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「レオン」
グラムが。
低い声で呼んだ。
「聞け」
「戦闘中です」
「だからだ」
「終わってから」
「終わった後じゃ」
グラムは。
戦槌へ手を伸ばす。
届かない。
指先も。
石へ変わり始めている。
「遅ぇかもしれん」
レオンの顔が。
強張る。
「言わないでください」
「聞け!」
グラムの怒声が。
竜骸谷へ響く。
それは。
邪竜の咆哮にも。
負けていなかった。
「俺の一族に」
「槌を残す」
「鍛冶記録もだ」
「全部」
レオンは。
何も言えない。
グラムは続ける。
「黒剣は」
「壊すな」
レオンが目を見開く。
「ですが」
「あれは」
「壊せば終わる剣じゃねぇ」
グラムは。
邪竜を見る。
「牙と」
「翼と」
「記憶と」
「人の意志が」
「混ざりすぎてる」
「下手に壊せば」
「中身が全部外へ出る」
アルヴェインも。
グラムを見る。
「では」
「どうする」
「打ち直す」
グラムが答える。
「何度でも」
「持ち主に合わせて」
「剣が」
「誰か一人を喰わねぇように」
石化した拳が。
少しだけ動く。
「力の流れを」
「変える楔を作る」
「今は無理だ」
「だが」
口元に。
いつもの笑み。
「俺の子孫なら」
「いつかやる」
レオンは。
黒剣を握り締める。
「あなたが」
「自分で作ってください」
「だから」
「終わってから話してください」
グラムは。
少しだけ。
目を伏せた。
「レオン」
「鍛冶師はな」
「自分が完成させられねぇものを」
「次へ残すこともある」
「それを」
「負けとは言わねぇ」
邪竜の喉。
黒い光が。
限界まで膨らむ。
アルヴェインが叫ぶ。
「来るぞ!」
グラムは。
最後の力で。
戦槌へ手を伸ばした。
届かない。
レオンが。
代わりに拾う。
重い。
ただ重いだけではない。
何千回も。
鉄を打った手の記憶。
山の匂い。
炉の熱。
不器用な笑い声。
全てが。
槌に残っている。
グラムが言う。
「柄の底」
レオンは。
戦槌の柄を見る。
小さな金具。
指で外す。
中から。
細い金属板が落ちた。
古いドワーフ文字。
『継ぐ者へ』
「俺の血筋に渡せ」
「誰でもいい」
「強い奴じゃなくていい」
「剣を」
「人より上に置かねぇ奴に」
レオンは。
金属板を握る。
「必ず」
「渡します」
「それでいい」
グラムは笑う。
「あと」
「そいつに言え」
「酒を水で割るなってな」
アルヴェインが。
こんな時なのに。
呆れた声を出す。
「それが遺言か」
「大事だろうが」
邪竜の吐息が。
放たれた。
黒い奔流。
峡谷そのものを。
消し去る力。
レオンは。
黒剣を右手に。
戦槌を左手に持った。
「グラム」
「借ります」
「返せよ」
「はい」
「生きて返せ」
レオンは。
答えなかった。
代わりに。
前へ出る。
アルヴェインが。
隣へ並ぶ。
「一人で受けるな」
「分かっています」
「本当に?」
「努力します」
グラムが。
背後で笑った。
「そこは」
「変わらねぇな!」
レオンは。
黒剣を戦槌の柄へ重ねた。
白い光。
赤い火花。
二つが。
一本の刃へ流れ込む。
ノアの青い炎。
幼い黒竜の灰色の光。
そして。
アルヴェインの緑の精霊光。
五つの力が。
再び重なる。
黒い奔流が迫る。
レオンは。
黒剣を振り下ろした。
アルヴェインが。
残った弓を。
光の流れへ突き立てる。
グラムは。
石化しながら。
最後に戦槌の名を叫んだ。
「バルガン!」
その名に応え。
戦槌が。
赤く燃え上がる。
五色の斬撃が。
黒い吐息を。
中央から割った。
轟音。
光が。
邪竜の胸まで届く。
鱗が砕け。
巨大な傷が開く。
邪竜が。
苦痛の咆哮を上げる。
だが。
背後では。
グラムの石化が。
首元まで達していた。
レオンが振り返る。
グラムは。
もう動けない。
それでも。
目だけは。
生きていた。
「行け」
石になる寸前。
唇が。
僅かに動く。
「俺の槌を」
「無駄にすんな」
次の瞬間。
グラムの身体は。
完全な黒い石像となった。
レオンの手の中。
戦槌だけが。
燃えるような熱を残していた。




