第147話 邪竜の目覚め
幼い黒い竜が。
ノアの手を握った。
その瞬間。
黒剣が。
レオンの手の中で跳ねた。
「っ……!」
柄から。
凄まじい熱が流れ込む。
四つ目の輪。
ノアの契約紋が。
黒く染まり。
その外側に。
新たな輪が浮かび上がる。
五つ目。
名のない輪。
『レオン』
ノアの声が。
遠い。
黒剣の奥。
深い水の底から。
聞こえてくるようだった。
『手を』
『離せない』
「離す必要はありません」
レオンは。
黒剣を両手で握り直す。
「戻ってきてください」
『違う』
ノアの声が震える。
『この子を』
『一人にはできない』
柱の内部。
幼い黒竜は。
ノアの手に縋りついていた。
翼は裂け。
鱗は剥がれ。
身体の半分が。
無数の名でできている。
人。
竜。
獣。
滅びた村。
消えた国。
喰われた記録が。
幼い身体の中で。
苦しげに蠢いていた。
『痛い』
黒竜が言う。
『ずっと』
『痛い』
ノアは。
その姿を見つめる。
かつて。
自分も。
名のない闇の中で。
誰かに見つけてもらうのを待っていた。
だから。
手を振り払えない。
『ノア!』
レオンの声。
今度は。
少し近い。
『その子は邪竜だ!』
アルヴェインの声も。
契約を通じて響く。
『手を離せ!』
グラムが怒鳴る。
『引きずられるぞ!』
ノアは。
幼い竜の目を見る。
赤い瞳。
その奥に。
巨大な何かがいる。
泣いている子供だけではない。
飢え。
怒り。
世界を喰らう意志。
それでも。
ノアは答えた。
『分かってる』
『でも』
『見捨てたくない』
---
現実。
柱の三つの核は。
すでに切り離されていた。
白。
緑。
赤。
それぞれが。
柱の周囲へ浮かび。
不安定に光っている。
残る青の核だけが。
黒剣へ繋がっている。
偽レオンが。
柱へ手を当てたまま叫ぶ。
「切れ!」
「今ならまだ間に合う!」
レオンは。
黒剣を見る。
青い根。
その奥にいるノア。
根を斬れば。
邪竜との接続は切れる。
だが。
ノアも。
幼い黒竜も。
記録の底へ取り残される。
「できません」
偽レオンの顔が歪む。
「またか!」
「今度は全員が死ぬ!」
「なら」
レオンは。
黒剣を逆手へ持ち替える。
「別の方法を探します」
「時間がない!」
その言葉を証明するように。
柱の裂け目が。
大きく開いた。
赤い瞳の周囲から。
黒い鱗がせり出す。
巨大な頭部。
一本の角。
岩盤よりも厚い牙。
邪竜の顔が。
現実へ押し出されてくる。
『返せ』
声が。
地下全体を揺らす。
『我が子を』
柱の奥。
幼い黒竜が。
怯えたように身を縮めた。
ノアは気付く。
これは。
幼い頃の邪竜ではない。
邪竜が切り離した。
最後の弱さ。
孤独。
恐怖。
誰かを求める心。
世界を喰らうために。
捨てた部分。
『お前は』
巨大な邪竜が言う。
『我には不要』
『戻れ』
幼い黒竜の身体が。
震える。
『いや』
小さな声。
『戻りたくない』
『命令だ』
『いや!』
青い核が。
激しく脈打った。
ノアの胸へ。
五つ目の輪が刻まれる。
現実の黒剣にも。
同じ輪。
灰色だった光が。
青と黒の間で揺れる。
レオンが。
息を呑む。
「五人目は」
「邪竜が捨てた心……」
偽レオンも。
呆然と柱を見る。
「だから」
「僕たちは四人では足りなかった」
核を止めるだけなら四人。
だが。
邪竜を完全に倒すには。
その中に残る。
喰らう意志と。
捨てられた心を。
分けなければならない。
五人目。
それは。
邪竜自身だった。
---
突然。
地上から。
精霊光が降り注いだ。
緑の矢。
柱の裂け目へ突き刺さる。
アルヴェイン。
「レオン!」
片腕のエルフが。
崩れた階段の上に立っている。
その隣。
グラムも。
石化した脚を引きずりながら現れた。
「また」
「面倒なもん拾ったな!」
レオンは。
黒剣を構えたまま答える。
「すみません」
「謝ってる場合か!」
グラムは。
赤い核の前へ戦槌を置く。
切り離された核が。
再び柱へ戻ろうとしている。
戦槌で。
地面へ押さえつける。
「俺が赤を止める!」
アルヴェインも。
緑の核へ矢を放つ。
精霊の蔦が。
核を絡め取る。
「緑はこちらだ!」
白い核は。
レオンの正面。
青い核は。
黒剣の中。
四つの核。
そして。
五つ目の心。
「レオン」
偽レオンが言う。
「柱は」
「もう保たない」
黒い石に。
無数の亀裂。
内部から。
邪竜の身体が押し出されている。
翼の先が。
柱を突き破る。
爪が。
地下の壁を掴む。
岩盤が。
紙のように剥がれ落ちる。
「封印は終わる」
「今ここで」
「目覚める」
レオンは。
巨大な赤い瞳を見る。
「なら」
「目覚める前に倒します」
『無理だ』
邪竜が嗤う。
『お前たちは』
『我の核を切り離した』
『封印を弱めたのは』
『お前たち自身だ』
柱が。
大きく砕けた。
黒い翼が。
地下空間いっぱいに広がる。
風圧。
レオンたちは吹き飛ばされる。
グラムが。
戦槌を床へ突き立てる。
アルヴェインは。
精霊の蔦で壁へ身体を固定する。
レオンは。
黒剣を岩へ突き刺し。
片膝をついた。
偽レオンだけが。
柱の前に残る。
黒い破片が。
その身体を貫いた。
「……っ」
レオンが顔を上げる。
「離れてください!」
偽レオンは。
首を横へ振る。
「僕が離れれば」
「四つの核が戻る」
黒い破片が。
胸を貫く。
腹を裂く。
身体が。
灰色の光となって崩れ始める。
「もう」
「名を持てないなら」
穏やかに笑う。
「せめて」
「自分で役目を選ぶ」
両腕を広げ。
四つの核を繋ぐ線を。
自分の身体へ集める。
「今だ」
「邪竜が完全に出る前に」
「全員を連れて逃げろ」
レオンは動かない。
「あなたも来てください」
「無理だ」
「まだ」
「レオン」
偽レオンは。
初めて。
強い声で遮った。
「僕に選ばせろ」
レオンの表情が止まる。
それは。
自分が何度も。
仲間へ求めてきたことだった。
誰かのために。
勝手に選ばない。
本人の意思を。
奪わない。
レオンは。
歯を食いしばる。
そして。
深く頭を下げた。
「……分かりました」
偽レオンは笑う。
「今度は」
「早かったな」
その身体が。
四つの核を包む。
白。
緑。
赤。
青。
四色の光が。
一本の輪となり。
柱を締め上げる。
「行け!」
グラムが。
戦槌を担ぎ直す。
アルヴェインも。
退路へ矢を放つ。
崩れた岩を砕き。
通路を開く。
レオンは。
最後まで。
偽レオンを見ていた。
名のない者。
忘れられることを望んだ者。
それでも。
確かに。
自分で選んだ者。
「忘れません」
レオンが言う。
偽レオンは。
少し困ったように笑った。
「だから」
「それは嫌だって」
次の瞬間。
四つの核が。
同時に爆ぜた。
光が。
偽レオンの姿を飲み込む。
柱が。
完全に崩壊した。
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レオンたちは。
崩れる地下を駆けた。
背後。
巨大な咆哮。
邪竜の身体が。
封印から解き放たれる。
地上。
白い街の中央が。
内側から盛り上がった。
塔が倒れ。
城壁が割れる。
大地を突き破り。
黒い竜の頭が現れる。
続いて。
二枚の翼。
夜を塗り潰すほど巨大な翼が。
雪空へ広がった。
人々が。
立ち尽くす。
逃げることさえ忘れて。
世界で最初の災厄を。
見上げる。
邪竜は。
長い首を巡らせた。
その片目には。
かつて黒剣が刺さっていた。
深い傷。
もう片方の赤い瞳が。
地上へ出たレオンを捉える。
『見つけた』
黒剣が。
震える。
喜びではない。
恐怖でもない。
帰ろうとするような。
強い脈動。
『我が牙』
レオンは。
黒剣の柄を握る。
刃の中。
ノアが。
幼い黒竜の手を握ったまま叫ぶ。
『レオン!』
『剣が引かれている!』
黒剣が。
レオンの手から。
抜け出そうと暴れる。
邪竜が。
大きく口を開いた。
喉の奥。
黒い光が集まる。
一息で。
街を消し去る力。
アルヴェインが叫ぶ。
「全員伏せろ!」
グラムが。
レオンの前へ出る。
戦槌を地面へ叩きつける。
石壁が隆起する。
だが。
足りない。
レオンは。
黒剣を両手で構えた。
「ノア」
『何』
「五人目を」
「守れますか」
ノアは。
幼い黒竜を見る。
震えている。
それでも。
手を離していない。
『守る』
「なら」
レオンは。
邪竜の喉へ剣先を向ける。
「私は」
「ここを守ります」
黒い光が。
放たれた。
レオンは。
真正面から。
黒剣を振り下ろした。
白。
緑。
赤。
青。
そして。
灰色。
五つの光が重なり。
邪竜の吐息と激突する。
空が。
真昼のように白く染まる。
その光の中心で。
邪竜が。
初めて。
レオンの名を呼んだ。
『レオン』
『お前を』
『次の我とする』
黒剣の柄から。
黒い根が伸びる。
レオンの両腕へ。
胸へ。
心臓へ。
五つの輪のうち。
レオンの輪だけが。
赤黒く染まり始めた。
邪竜は。
完全に目覚めた。
そして同時に。
レオンが黒剣へ飲まれる。
最後の戦いが。
始まった。




