第145話 柱に刻まれた名
轟音。
黒い柱が軋む。
中央に開いた裂け目の奥で、巨大な赤い瞳がゆっくりと開かれていく。
空気が重くなった。
息を吸うだけで肺が軋む。
「これが……」
レオンが黒剣を構える。
「邪竜……」
『まだだ』
ノアの声が響く。
『まだ身体は封じられている』
『今なら止められる』
レオンは黒い柱を見上げた。
無数の名。
無数の紋様。
そのすべてが赤黒く脈打っている。
先ほどまで偽レオンへ繋がっていた黒い糸は消えた。
代わりに、柱そのものが邪竜の鼓動と同調し始めていた。
『柱を見ろ』
ノアが言う。
『あれは封印じゃない』
レオンは目を凝らした。
黒い石だと思っていた柱の表面には、細かな文字が幾重にも刻まれている。
いや。
文字ではない。
「……名前?」
近づくにつれ、それが人の名であることに気付く。
騎士。
兵士。
魔術師。
村人。
子供。
老人。
数え切れないほどの名が、幾重にも刻まれていた。
「これは……」
『邪竜に喰われた者たちだ』
ノアの声は静かだった。
『魂ではない』
『記録だ』
レオンは息を呑む。
「記録……」
『人は忘れられれば終わる』
『だから柱は』
『喰った者の名前を保存している』
レオンの瞳が揺れる。
「保存……?」
『違う』
ノアは否定する。
『閉じ込めている』
『思い出されないようにな』
その瞬間。
黒い柱から低い笑い声が響いた。
『理解したか』
喰らう影。
『名とは器』
『記録とは鎖』
『忘れられぬ限り』
『我は永遠』
柱の表面が脈打つ。
刻まれた名前が、一斉に淡く光る。
レオンは黒剣を握る。
「ノア」
『分かってる』
「この柱を壊せば」
『全員が解放される』
「だが」
ノアは続ける。
『柱そのものが壊れれば』
『私も消える』
沈黙が落ちた。
ノアは柱へ繋がれていた。
柱に刻まれた「ノア」の名。
それがある限り存在できる。
柱が壊れれば。
ノアという記録も失われる。
「……だから」
レオンが呟く。
「あなたは柱を壊せと言ったんですね」
『そうだ』
「あなたも消えるのに」
『構わない』
黒剣の輪が微かに震えた。
『ここで終われば』
『君は生きられる』
レオンは小さく笑った。
「あなたは」
「昔からそうですね」
『何がだ』
「自分だけ犠牲になればいいと思っている」
ノアは答えない。
その代わり。
黒剣の奥から苦笑が伝わる。
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同じ頃。
地上では。
アルヴェインが白い街の中央広場へ辿り着いていた。
崩れ始めた神殿。
避難する人々。
その奥で。
一本の巨大な石碑が割れている。
「長老!」
若いエルフが駆け寄る。
「封印が!」
アルヴェインは石碑を見た。
そこにも名が刻まれていた。
数百。
いや。
数千。
その中に。
見覚えのある名を見つける。
「レオン……」
その隣。
「グラム」
さらに。
「ノア」
そして。
まだ空白の一行。
アルヴェインの背筋に寒気が走る。
「違う……」
彼は震える指で空白へ触れた。
石碑が淡く光る。
そこへ。
ゆっくりと文字が刻まれ始めた。
『アルヴェイン』
「……!」
彼は反射的に手を離す。
刻印は途中で止まった。
「まだ……」
「終わっていないのか」
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地下。
グラムも異変に気付いていた。
半ば石化した脚が。
さらに灰色へ変わっていく。
「ちっ」
「時間がねぇな」
戦槌を肩へ担ぐ。
その柄には。
古いドワーフ文字が刻まれていた。
『継ぐ者へ』
グラムは苦笑する。
「まだ早ぇぞ」
「俺ぁまだ死なん」
その時だった。
床が割れる。
巨大な爪が突き出した。
「来やがったか!」
グラムは戦槌を振り上げる。
轟音。
爪を叩き落とす。
だが。
割れ目の奥から。
さらに赤い光が漏れ始めた。
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地下最深部。
レオンは柱を見つめていた。
無数の名。
その中に。
幼い子供の名もある。
兵士もある。
魔物に襲われた村人もある。
「全部……」
レオンが拳を握る。
「邪竜が喰った人たちか」
『そうだ』
ノアが答える。
『奴は肉を喰うんじゃない』
『存在を喰う』
『だから』
『誰も思い出せなくなる』
レオンの脳裏へ。
一つの光景が浮かぶ。
未来。
ガルド。
セリナ。
ロック。
誰かが。
「消えた」
と言っていた。
思い出せない。
誰が消えたのか。
誰も覚えていない。
ただ。
喪失感だけが残る。
「そうか……」
レオンは静かに呟いた。
「この災厄は」
「未来まで続いている」
『だから止める』
ノアが言う。
『ここで』
『柱ごと』
レオンはゆっくり首を振った。
「違います」
『レオン』
「まだ方法があります」
『ない』
「あります」
「柱を壊さず」
「あなたを助ける方法が」
『無理だ』
「まだ知らないだけです」
ノアがため息をつく。
『君は本当に』
『諦めが悪い』
「褒め言葉として受け取ります」
その時だった。
カツン。
静かな足音。
先ほど消えたはずの偽レオン。
その姿が。
再び柱の前へ現れた。
だが。
もう身体を縛る黒い糸はない。
彼はレオンを見る。
「一つだけ」
静かな声だった。
「思い出した」
レオンは頷く。
「何をですか」
偽レオンは柱へ視線を向けた。
「僕は」
「作られたんじゃない」
「ここへ」
「連れてこられた」
レオンの瞳が見開かれる。
「連れて……?」
「最初は」
「名前があった」
偽レオンは苦しそうに頭を押さえる。
「でも」
「思い出せない」
柱の奥。
赤い瞳が笑う。
『思い出すな』
『名は』
『我のもの』
偽レオンが膝をつく。
「うっ……!」
頭を抱え。
苦しむ。
レオンは駆け寄ろうとする。
だが。
偽レオンが手を上げて止めた。
「近づくな」
「思い出したら」
「僕は」
柱を見る。
その瞳に。
恐怖が浮かぶ。
「柱を壊す方法を」
「知っている」
地下に。
静寂が落ちた。
ノアが息を呑む。
『まさか』
偽レオンはゆっくり頷く。
「柱には」
「四つの核がある」
「一本じゃない」
「四人だ」
レオンの胸元。
四つの契約紋が。
同時に淡く光り始めた。
その意味を理解した瞬間。
ノアが静かに呟く。
『だから……』
『俺たち四人だったのか』
邪竜は。
最初から。
四人でしか倒せないように。
柱そのものを造り替えていたのである。




