第135話 旅立ちの鍛冶場
エルフの里に、金属を打つ音が響く。
カン――
カン、カン――
澄んだ森の空気には、本来似つかわしくない音だった。
「毎朝これだ」
巡察兵の一人が苦笑する。
「薬師は『患者は寝ていろ』と言い、あのドワーフは『腕だけなら動く』と言って鍛冶場へ行く」
「困ったものだ」
「止められないのですか」
レオンが尋ねると、巡察兵は肩をすくめた。
「止まる男なら、あんな傷は負わん」
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里の外れ。
普段は使われていない古い鍛冶場。
赤く燃える炉の前で、グラムは左腕だけで大槌を振るっていた。
右腕には包帯。
だが、その表情は生き生きとしている。
「遅ぇ!」
レオンの姿を見るなり怒鳴った。
「鍛冶場へ来るなら日の出前だ!」
「申し訳ありません」
「謝る暇があるならふいごを踏め!」
「はい」
レオンは素直にふいごを踏み始めた。
炎が勢いを増す。
グラムは満足そうに頷いた。
「それでいい」
その様子を少し離れた木陰からアルヴェインが見ていた。
「本当に寝ていなくていいのか」
「俺は鍛冶師だ」
グラムは真っ赤に熱した鉄を炉から取り出す。
「鍛冶師は寝てても剣はできねぇ」
「理屈になっていない」
「理屈なんざ酒場に置いてきた」
アルヴェインは深くため息をついた。
「その酒場もないだろう」
「細けぇこと言うな」
レオンは思わず小さく笑った。
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グラムはレオンの欠けた剣を作業台へ置く。
静かに刃を見つめる。
「折れた場所を見ろ」
レオンも覗き込む。
「欠けています」
「そこじゃねぇ」
グラムは指で断面をなぞる。
「ここだ」
細かな波紋。
幾重にも重なる鍛え跡。
「この剣は何度も折れかけてる」
「それでも持ち主が手入れしてきた」
「だから芯が死んでねぇ」
レオンは驚いた。
「そこまで分かるのですか」
「鍛冶師だからな」
グラムは鼻を鳴らす。
「剣は嘘をつかねぇ」
静かに刃を炉へ入れる。
赤く染まる鋼。
やがて取り出し、金床へ置く。
「レオン」
「はい」
「剣ってのは何だ」
突然の問いだった。
レオンは少し考える。
「命を守るものです」
「半分だ」
「半分?」
「もう半分は」
グラムは槌を振り下ろした。
カンッ!
火花が散る。
「持ち主を映す鏡だ」
再び。
カンッ!
「臆病な奴が握れば臆病になる」
カンッ!
「欲張りが握れば欲張りになる」
カンッ!
「お前の剣は」
火花の向こうでグラムが笑う。
「ちゃんとお前になってる」
レオンはその言葉を静かに受け止めた。
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昼過ぎ。
長老から三人へ呼び出しがかかる。
神木の広場。
巨大な古木の根元に、長老が立っていた。
その前には一枚の地図。
「北方だけでは終わらぬ」
長老が言う。
「昨日、各地へ伝令を飛ばした」
地図の上へ、小さな石が置かれていく。
北の鉱山。
西の湿原。
南の砂海。
東の海岸。
「同じ黒い侵食が確認された」
アルヴェインの顔が険しくなる。
「同時に?」
「そうだ」
長老は頷く。
「昨日の山だけではない」
「世界中で何かが動き始めておる」
レオンが地図を見る。
「原因は同じでしょうか」
「分からぬ」
「だが」
長老は黒い核の欠片を机へ置いた。
「調べねばならん」
「お前たち三人に頼みたい」
部屋が静まり返る。
「森を出ろ」
「黒き侵食の正体を探れ」
「そして」
長老の目が三人を順番に見た。
「二度と昨日のような悲劇を繰り返すな」
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誰もすぐには答えなかった。
最初に口を開いたのはグラムだった。
「俺は行く」
即答だった。
「放っておきゃ山が死ぬ」
「山が死ねば鍛冶場も終わりだ」
「だったら叩き潰す」
アルヴェインも静かに頷く。
「巡察兵として命じられた以上」
「断る理由はない」
長老の視線がレオンへ向く。
「お前はどうだ」
レオンは少しだけ考えた。
思い浮かぶのは助けた商人たち。
森で出会ったヴァレス。
石へ取り込まれたボルガ。
そして。
黒い結晶。
「行きます」
短い答え。
だが迷いはなかった。
「見過ごせません」
長老は静かに目を閉じる。
「よかろう」
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夕方。
旅支度が始まる。
アルヴェインは弓を整える。
予備の矢を一本一本確認する。
グラムは工具を袋へ詰め込んでいた。
金槌。
砥石。
鋼の楔。
革袋。
酒瓶。
「酒は置いていけ」
アルヴェインが言う。
「置いてくくらいなら俺が置いてかれる」
「その方が荷物は軽い」
「エルフ!」
二人の言い合いを聞きながら、レオンは笑みを浮かべる。
「仲が良いですね」
二人が同時に振り向いた。
「「どこがだ!」」
見事に声が重なる。
レオンは首を傾げる。
「息は合っています」
「合わせた覚えはねぇ!」
「最悪だ!」
その様子を見ていた巡察兵たちから笑いが漏れる。
少し前までなら考えられない光景だった。
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日が沈む頃。
長老が一つの小箱をレオンへ差し出した。
中には小さな水晶が三つ入っている。
淡い緑色。
「精霊結晶だ」
「危険を知らせる」
「三つは共鳴する」
「離れていても仲間の無事が分かる」
レオンは丁寧に受け取る。
アルヴェインとグラムにも一つずつ渡された。
「壊すなよ」
長老が言う。
グラムが鼻を鳴らす。
「誰に言ってんだ」
「レオンじゃ」
「すぐ人助けで割る」
レオンは少し困ったように笑う。
「気を付けます」
「気を付けても割る」
「否定できません」
グラムは豪快に笑った。
「正直者だな!」
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その夜。
ガルドたちは記憶を見つめていた。
ロックが腕を組む。
「ようやく本当の旅が始まるな」
セリナも頷く。
「ここから三人は世界を巡るんだ」
リゼは小さく微笑む。
「今のアルヴェイン様を見ると」
「最初はこんなに怒ってばかりだったなんて信じられない」
ガルドだけは黙っていた。
長老が渡した精霊結晶。
三人の笑顔。
穏やかな夜。
そのすべてが。
未来を知る自分には、あまりにも儚く映る。
レオンはまだ知らない。
旅の終わりに。
その結晶は一つずつ失われていくことを。
そして。
自らが最も守りたかったものを救うために、三度目の誘惑が訪れることを。
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翌朝。
里の門が開く。
レオンが先頭へ出る。
その右にアルヴェイン。
左にグラム。
三人は同時に振り返った。
長老をはじめ、多くのエルフたちが見送っている。
「行ってまいります」
レオンが頭を下げる。
長老は静かに杖を掲げた。
「行け」
「歴史に呑まれるな」
「歴史を繋いでこい」
朝日が三人を照らす。
その背中はまだ若い。
だが、その一歩は確かだった。
こうして――
後に「黒剣の三英雄」と語り継がれながら、その名だけが歴史から失われることになる長い旅が、静かに幕を開けた。




