第134話 三つの誓い
朝霧が、エルフの里を包んでいた。
巨木の枝葉から差し込む柔らかな光が、木造の家々を照らしている。
里の中央にある治療院。
木の香りと薬草の匂いが混ざる静かな部屋で、グラムは深い眠りについていた。
胸には白い包帯。
右腕の黒い痣は消えたものの、皮膚には細い黒い線が焼け跡のように残っている。
老薬師が静かに息を吐いた。
「命は繋いだ」
その一言に、レオンの肩から力が抜ける。
「ですが」
薬師は包帯を巻き直しながら続けた。
「完全には消えておらぬ」
アルヴェインが表情を引き締める。
「残滓ですか」
老薬師は頷く。
「あれは病ではない」
「呪いでもない」
「もっと古い何かじゃ」
「身体から追い出しても、傷跡だけは残る」
レオンは眠るグラムを見る。
「また現れるのでしょうか」
「分からぬ」
薬師は首を横に振った。
「だからこそ調べねばならん」
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治療院を出ると、朝日が眩しかった。
アルヴェインはしばらく黙って歩き、やがて立ち止まる。
「……昨日は助かった」
レオンは少し驚いたように彼を見る。
「こちらこそ」
「違う」
アルヴェインは首を振る。
「礼を言っている」
「お前がいなければ」
「グラムは死んでいた」
レオンは静かに微笑む。
「一人では救えませんでした」
「あなたが心臓を守ってくれたからです」
アルヴェインは目を細める。
「何でも半分にするのだな」
「事実です」
「功績まで分ける必要はない」
「仲間ですから」
その言葉に。
アルヴェインは足を止めた。
仲間。
昨夜、自分も同じ言葉を口にした。
思わず出た言葉だった。
だが今、改めて聞くと、不思議な重みがあった。
「……まだ」
アルヴェインは小さく息を吐く。
「簡単には慣れん」
「構いません」
レオンは穏やかに答える。
「ゆっくりで」
「急ぐ旅ではありませんから」
アルヴェインは苦笑した。
「いや」
「これから急ぐ旅になる」
そう言って、山の方角へ視線を向ける。
黒い光は消えた。
しかし森の精霊たちは、まだ落ち着きを取り戻してはいない。
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その日の昼。
里の会議の間には、長老と巡察隊、それにレオンが集められていた。
中央の机には、黒い核の欠片が置かれている。
昨日、レオンたちが持ち帰ったものだった。
欠片は砕けている。
だが時折、弱く赤い光を放っていた。
長老はそれを見つめながら言う。
「間違いない」
「これは古き侵食の欠片だ」
レオンが尋ねる。
「過去にも現れたのですか」
「何度も」
長老は静かに頷く。
「森だけではない」
「山にも」
「海にも」
「砂漠にも」
その言葉に、里がざわつく。
「各地で?」
「そうだ」
長老は杖を握る。
「だが不思議なことに」
「必ず、痕跡だけが残る」
「記録は消える」
レオンの眉が動く。
「記録が?」
「戦った者の名も」
「出来事も」
「時には町そのものも」
「歴史から抜け落ちる」
現在のガルドたちは、その言葉に息を呑んだ。
セリナが小さく呟く。
「レオン……」
ロックも腕を組む。
「やっぱり繋がってるな」
レオンの名が歴史から消えた理由。
それは偶然ではなかった。
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その時だった。
一人の巡察兵が部屋へ飛び込んできた。
「長老!」
「伝令です!」
息を切らせながら、一枚の古びた金属板を差し出す。
「国境の見張り小屋で見つかりました!」
長老が受け取る。
表面には、見慣れない紋章が刻まれていた。
円環。
その内側に、閉じた一つの目。
ガルドの表情が変わる。
セリナも気付く。
「……結社」
今の結社の紋章とは少し違う。
だが。
確かに同じ意匠だった。
レオンは金属板を見る。
「この印は」
長老は低く答える。
「観測者」
「古い記録を集める者たちだ」
アルヴェインが眉をひそめる。
「学者ですか」
「表向きはな」
長老は金属板を裏返す。
そこには細かな文字が刻まれていた。
『第一観測隊 北方調査記録』
レオンが目を通す。
しかし途中で眉を寄せた。
「読めません」
文字が途中から黒く潰れている。
いや。
潰れているのではない。
そこだけが。
最初から書かれていないようだった。
長老も目を閉じる。
「また消えておる」
「記録が喰われている」
静かな部屋に、重苦しい空気が流れた。
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夕暮れ。
レオンは里の外れに立っていた。
欠けた剣を静かに見つめる。
「まだ使うのか」
背後から声がした。
振り返ると、グラムが木にもたれて立っていた。
包帯姿だが、もう歩けるらしい。
「寝ていなくていいんですか」
「寝飽きた」
グラムは鼻を鳴らす。
そしてレオンの剣をじっと見る。
「貸せ」
レオンは黙って差し出した。
グラムは刃を確かめる。
指で欠けた部分をなぞる。
鍔を叩く。
柄を握る。
しばらく無言だった。
やがて。
「悪くねぇ」
レオンが首を傾げる。
「前は酷いと」
「ああ」
グラムは笑う。
「剣は酷ぇ」
「だが」
刃をレオンへ返す。
「持ち主が育ててる」
レオンは少し驚いたような顔になる。
グラムは照れ隠しのように咳払いした。
「だから鍛え直してやる」
「もっと強ぇ鉄に」
「もっと折れねぇ剣に」
レオンは深く頭を下げた。
「お願いします」
「礼はいい」
グラムは笑う。
「代わりに一つ約束しろ」
「何でしょう」
「次に無茶する時は」
「俺たちにもやらせろ」
レオンは一瞬だけ目を丸くした。
そして。
自然に笑う。
「はい」
「約束します」
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夜。
長老は一人、古木の祠へ向かっていた。
誰もいない祭壇。
その奥にある古い石碑へ、静かに手を添える。
「始まったな」
その時。
背後から一人の老人が姿を現した。
白い旅装束。
長い杖。
その胸元には、昼間見たものと同じ「閉じた目」の紋章。
「始まりました」
老人は静かに答える。
「三人は出会いました」
長老は振り返らない。
「見届けるのか」
「ええ」
老人は空を見上げた。
「歴史はまた繰り返されます」
「今度こそ」
「結末が変わることを願って」
その瞳には憂いがあった。
敵意ではない。
使命でもない。
ただ、何度も同じ悲劇を見てきた者だけが持つ諦めにも似た悲しみ。
木々を揺らす夜風が吹く。
遠く離れた山の底では、砕けた黒い核がなお脈打っていた。
一方、静かに眠るグラムの右腕の黒い痕も、ごくわずかに熱を帯びる。
そしてレオンはまだ知らない。
自分が拒み続けた黒い剣が、三度目には「仲間を救うため」ではなく、「世界そのものを守るため」の選択として現れることを――。




