第119話 再び竜の山脈へ
旧山道へ入って半日。
人の手が入らなくなって久しい道は、木々の根が石畳を押し上げ、ところどころ崩れていた。
吹き抜ける風も冷たくなる。
北の山脈はもう目の前だった。
ロックが辺りを見回す。
「本当に誰も通ってねぇな。」
足跡もない。
馬車の轍もない。
あるのは獣が通った跡だけだった。
セリナは静かに頷く。
「昔は街道だったはずなのに……。」
ガルドは前だけを見て歩き続ける。
その足取りには迷いがなかった。
***
昼過ぎ。
森が途切れ、視界が一気に開ける。
目の前には巨大な山脈。
白い雪をいただく峰々が連なっていた。
リゼが思わず声を漏らす。
「きれい……。」
空気は澄み渡り、遠くまで見渡せる。
その景色を見た瞬間、ガルドは足を止めた。
セリナが気付く。
「どうしたの?」
ガルドは山の一角を見つめていた。
「あそこだ。」
短く答える。
ロックも目を凝らす。
「分かるのか?」
「ああ。」
あの尾根。
あの谷。
間違いない。
エンシェントドラゴンと出会った山域だった。
***
その時。
『ギィィィッ――』
澄み切った空へ、高い鳴き声が響いた。
四人が見上げる。
蒼い翼。
子ドラゴンだった。
以前よりもさらに大きくなった翼を広げ、山の上空を旋回している。
ロックが笑う。
「いたな。」
子ドラゴンは一度だけガルドたちの頭上を飛び過ぎる。
そして。
谷の奥へ向かって飛び始めた。
途中で一度だけ振り返る。
まるで。
「ついて来い」
そう言っているようだった。
セリナが小さく頷く。
「案内してる。」
ガルドも短く答える。
「……行く。」
***
一行は子ドラゴンの飛ぶ方向へ歩き始める。
しかし。
谷へ入った瞬間だった。
ガルドが急に右手を上げる。
全員が止まる。
ロックが小声で聞く。
「今度は何だ?」
ガルドは崖の上を見ていた。
「……二人。」
ロックも目を細める。
岩陰。
ほんの一瞬だけ。
誰かが身を隠したように見えた。
セリナも視線を向ける。
「昨日の人たち……?」
返事はない。
しかし。
ガルドは静かに頷いた。
「……追ってきている。」
***
崖の上。
灰色の外套を纏った二人は息を潜めていた。
「気付かれた。」
「ええ。」
一人が小さくため息をつく。
「やはり普通ではありません。」
もう一人は水晶を取り出した。
「第二班より報告。」
「対象、竜域へ到達。」
「現在も追跡を継続。」
少し間を置いて返答が届く。
『了解。』
『それ以上接近するな。』
『対象の行動を優先して観測せよ。』
「了解。」
水晶の光が消える。
二人は再び距離を取る。
結社の任務は変わらない。
観測。
ただ、それだけだった。
***
谷の奥。
風が止む。
辺りが静まり返る。
子ドラゴンが一つの岩場へ降り立った。
その場から動かない。
ガルドたちを待っている。
ロックが周囲を見回す。
「ここか?」
ガルドはゆっくり頷く。
「……違う。」
「違う?」
「入口だ。」
その言葉に全員が顔を上げる。
入口。
つまり。
ここから先に何かがある。
セリナは岩壁へ近付く。
魔力を探る。
「……何も感じない。」
普通の岩壁だった。
しかし。
ガルドだけは迷わず歩いていく。
岩壁の前で立ち止まる。
そして。
黒剣へ静かに手を添えた。
その瞬間。
カン――
黒剣が、これまでで最も澄んだ音を響かせた。
同時に。
岩壁へ刻まれていた古い紋様が淡く輝き始める。
「これは……!」
セリナが目を見開く。
ロックも息を呑む。
リゼは無意識にガルドの服を掴んだ。
低い地鳴りが響く。
ゴゴゴゴ……
長い年月、一度も動かなかった巨大な岩壁が、ゆっくりと左右へ開き始める。
その奥から現れたのは。
人工的に削られた石の通路だった。
壁には古い灯火台が並び、天井には竜を象った彫刻が刻まれている。
ロックが呆然と呟く。
「……隠し通路か。」
セリナは首を横に振った。
「違う。」
「これは。」
「竜の遺跡よ。」
ガルドは静かにその入口を見つめる。
背中の黒剣は、もう鳴いていなかった。
まるで。
ようやく帰るべき場所へ辿り着いたかのように。
その様子を、崖の上から見ていた結社の観測者たちは息を呑んだ。
彼らの記録にも。
この遺跡の存在は残されていなかった。




