第118話 観測者の影
翌朝。
山麓の村は薄い霧に包まれていた。
屋根から立ち上る煙が静かに空へ昇っていく。
宿の食堂では、ガルドたちが簡単な朝食を取っていた。
老主人が焼きたての黒パンを運んでくる。
「今日は山道へ入るのかい?」
ロックが頷いた。
「ああ。」
「雪が残ってる頃だよな。」
老主人は少し考え込むような顔をした。
「この季節なら峠までは大丈夫だ。」
「ただ。」
そこで言葉を切る。
「最近、山へ入った連中が妙なんだ。」
セリナが顔を上げる。
「妙?」
「夜になると火を焚かない。」
「村にも寄らない。」
「山の中を何か探して歩いているようだった。」
ロックがパンを置く。
「やっぱり普通の旅人じゃねぇな。」
老主人は静かに頷いた。
「昔、この辺りへ来る者は竜を探す冒険者くらいだった。」
「でも、あの連中は違う。」
「山そのものじゃなく……。」
「何か決まった場所を探しているように見えた。」
ガルドは黙って話を聞いていた。
***
朝食を終え、一行は村を後にする。
山道は徐々に険しくなり、木々も背を低くしていく。
セリナが辺りを見渡した。
「空気が変わった。」
エルフの感覚がそう告げていた。
森とは違う。
もっと古く、静かな気配。
ガルドは歩みを止めない。
その時だった。
カサッ――
背後で小枝を踏む音。
ロックが素早く振り返る。
「誰だ!」
返事はない。
風が吹き抜けるだけだった。
セリナも周囲を探る。
「また……。」
昨日と同じ。
誰かがいる。
だが近付いてこない。
ガルドは静かに森の奥を見る。
「……いる。」
ロックが苦笑する。
「今度は俺も分かった。」
わずかだが。
誰かの視線を感じる。
***
少し先。
岩陰の向こう。
二つの人影が身を潜めていた。
灰色の外套。
旅人のような格好。
しかし、その腰には同じ紋章の短剣が下げられている。
一人が小さく呟く。
「気付かれている。」
もう一人が頷いた。
「報告通りだ。」
「近付くな。」
「観測を優先する。」
その言葉とともに、二人は距離を保ったまま移動を始める。
決して追い越さない。
決して姿を見せない。
ただ。
ガルドたちの進路だけを確認していた。
***
昼過ぎ。
峠へ続く分岐路。
ガルドが足を止める。
前方には二本の道が伸びていた。
一つは整備された街道。
もう一つは草木に覆われた古い山道。
ロックが地図を見る。
「街道はこっちだ。」
「でも遠回りだな。」
ガルドは古い山道へ視線を向ける。
「……こっちだ。」
セリナが地図を見比べる。
「昔の街道ね。」
「今はほとんど使われていないわ。」
ロックが笑う。
「またガルドの勘か?」
ガルドは少しだけ考え。
「……道が残っている。」
説明になっているようで、なっていない。
しかし。
これまで何度も、その感覚に助けられてきた。
ロックは肩を竦めた。
「分かったよ。」
「ついて行く。」
***
岩陰からその様子を見ていた二人の旅人は、小さく顔を見合わせた。
「……街道へ行かない。」
「予想より早い。」
一人が懐から小さな水晶を取り出す。
魔力を込めると、淡い光が灯った。
「こちら第二班。」
「対象が旧山道へ入りました。」
「予定を変更します。」
少し間を置いて、水晶から低い声が返る。
『了解。』
『接触は避けろ。』
『観測を継続せよ。』
光が消える。
二人は再び距離を取って歩き始めた。
***
その頃。
さらに北。
雪をいただく山々の上空を、子ドラゴンが飛んでいた。
谷を抜け。
尾根を越え。
一度だけ後ろを振り返る。
遥か南。
まだ姿は見えない。
それでも。
確かに近付いていることを知っているようだった。
『グルル……』
小さく鳴く。
その声に応えるように。
雲の向こうから、低く重厚な咆哮が響いた。
親竜だった。
子ドラゴンは嬉しそうに翼を大きく広げる。
そして再び。
山脈のさらに奥へと飛び去っていった。
ガルドたちとの距離は、少しずつ縮まり始めていた。




