第117話 見えない追跡者
王都を出発して二日目。
街道は徐々に細くなり、周囲の景色も石造りの建物から深い森へと変わっていた。
北へ進む旅人は少ない。
すれ違うのは商隊が一組あるかないか。
静かな道だった。
ロックは背中の荷物を担ぎ直す。
「この辺まで来ると、本当に人が少ねぇな。」
セリナも周囲を見渡す。
「王都とは別世界ね。」
風が木々を揺らし、小鳥のさえずりが森に響く。
リゼはその音を聞きながら、小さく微笑んでいた。
ガルドだけは前を歩き続ける。
足取りは一定だった。
***
昼過ぎ。
一行は街道脇の小川で休憩を取ることにした。
ロックは顔を洗い、大きく息を吐く。
「生き返る。」
リゼも水辺にしゃがみ、小さな魚を眺めている。
セリナは周囲の木々を見上げた。
静かだった。
静かすぎる。
その時。
ガルドが突然立ち止まる。
視線は森の奥。
ロックが気付く。
「どうした?」
返事はない。
ガルドは耳を澄ませるように森を見つめていた。
やがて。
一言だけ。
「……誰かいる。」
ロックの表情が変わる。
「敵か?」
ガルドは首を横に振る。
「……分からない。」
気配はある。
しかし殺気はない。
セリナも魔力を探る。
「私には何も……。」
エルフの感覚でも捉えられない。
それほど巧妙なのか。
それとも。
本当に敵意がないのか。
***
ロックは木陰へ回り込み、森を覗く。
何も見えない。
鳥が飛び立つ様子もない。
獣の気配もない。
「気のせいじゃねぇか?」
そう言いかけた時だった。
サッ――
枝葉が揺れた。
ほんの一瞬。
誰かが移動したような音。
ロックは素早く剣を抜く。
「誰だ!」
返事はない。
森は再び静寂に包まれる。
セリナも弓を構える。
リゼはガルドの後ろへ下がった。
数分。
全員が警戒を続けた。
しかし。
何も起こらない。
ロックがゆっくり剣を納める。
「逃げたか……。」
ガルドは森を見つめたまま呟く。
「……違う。」
「見ていた。」
その言葉だけが残った。
***
その日の夕方。
一行は街道沿いの小さな宿場町へ到着した。
旅人向けの小さな宿。
夕食を終え、食堂で地図を広げる。
セリナが指で現在地を示した。
「ここから三日ほどで山岳地帯に入るわ。」
ロックが頷く。
「そこから先は、あの時と同じ道か。」
ガルドが短く答える。
「……違う。」
「違う?」
「北側から入る。」
以前ドラゴンと出会った道とは別のルートらしい。
ロックは笑った。
「また近道か?」
「……安全だ。」
「それを近道って言うんだよ。」
セリナが苦笑する。
ガルドの"安全"は、普通の人間とは少し基準が違う。
***
同じ頃。
宿場町の外れ。
森の中。
一人の男が静かに立っていた。
黒い外套。
顔は木の影で見えない。
男の視線は宿へ向いている。
「やはり……。」
小さく呟く。
「気付かれたか。」
その声に敵意はなかった。
どこか安堵しているようにも聞こえる。
男は懐から小さな木札を取り出した。
そこには古い竜の紋章が刻まれている。
しばらく眺めると、再び懐へしまった。
「まだ会う時ではない。」
男は踵を返す。
森の奥へ歩き出すと、その姿は夕闇へ溶けるように消えていった。
***
さらに北。
険しい山脈の上空。
子ドラゴンが力強く羽ばたいていた。
その飛行は昨日までとは違う。
迷いがない。
一直線に北を目指している。
そして、そのさらに上空。
厚い雲の向こう。
巨大な影が静かに旋回していた。
親竜だった。
黄金色の瞳が遥か南を見つめる。
やがてゆっくりと目を閉じる。
まるで。
遠くから旅人たちの歩みを確かめるように。
北への旅は順調に進んでいた。
だがその旅路には。
結社だけではない、もう一つの視線が静かに寄り添い始めていた。




