第107話 記録の継承者
聖教会本部。
地下記録庫。
レオンの手記を読み終えた一行は、しばらく誰も口を開かなかった。
部屋を包む静寂は重い。
ただ古い魔石灯だけが、淡く石壁を照らしている。
最初に口を開いたのは老神官だった。
「……その記録は、ここに残された全てではありません」
ライルが顔を上げる。
「まだあるのですか?」
老神官は静かに頷いた。
「レオンは慎重な人物でした。」
「一冊の記録に全てを書き残すような方ではありません。」
セリナも耳を傾ける。
老神官は石棚の奥へ歩き、一枚の古い羊皮紙を取り出した。
そこには王都近郊の古い保管庫がいくつか記されている。
「邪竜戦争後、レオンは複数の場所へ記録を分散して保管したと伝えられています。」
「それぞれが別々の内容を持ち、一つだけでは真実へ辿り着けないように。」
ロックが感心したように口を開く。
「ずいぶん用心深い人だったんだな。」
老神官は苦く笑う。
「そうしなければならない理由があったのでしょう。」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ重くなる。
***
ライルが机へ広げられた羊皮紙を見つめる。
「騎士団にも古い封印書庫があります。」
「今まで閲覧許可が下りなかった区画です。」
セリナが驚く。
「そんな場所が?」
「はい。」
ライルは頷く。
「歴代団長だけが存在を知る書庫です。」
ロックが肩を竦めた。
「王都って隠し部屋ばっかりだな。」
「否定できません。」
ライルも苦笑する。
「ですが、今回なら閲覧理由として十分です。」
ガルドは静かに羊皮紙を見ていた。
記録。
封印。
北。
全てが一つへ向かっている。
***
その時だった。
リゼが小さく呟く。
「……本。」
全員が振り向く。
リゼは遠くを見るような目をしていた。
「白い部屋。」
「本が……いっぱい。」
セリナが優しく問い掛ける。
「研究室?」
リゼはゆっくり頷く。
「壁いっぱい。」
「難しい本。」
「みんな……同じ印。」
昨日見つけた刻印を思い出す。
円と幾何学模様。
結社の印。
「何か覚えてる?」
リゼは眉を寄せた。
必死に思い出そうとする。
「黒い……本。」
「鍵。」
「開けちゃ……だめ……。」
そこで頭を押さえる。
痛みが走ったのだろう。
セリナはすぐに肩へ手を添える。
「十分よ。」
「無理に思い出さなくていい。」
リゼは小さく頷いた。
しかし一つだけ確かなことがあった。
結社も大量の古い記録を保管している。
しかも重要なものだけを。
***
老神官は静かに考え込んでいた。
「……そういうことですか。」
ライルが尋ねる。
「何か分かったのですか?」
老人は首を横に振る。
「確証はありません。」
「ですが、もし結社が古い記録を集めているなら。」
「彼らもまた、真実を探しているのでしょう。」
ロックが眉をひそめる。
「探してる?」
「知ってるんじゃなくて?」
老人はゆっくり答えた。
「本当に全てを知っている者なら、記録を集める必要はありません。」
セリナも納得する。
確かにそうだ。
結社は歴史を隠している。
だが。
歴史そのものを全て知っている訳ではない。
だから集めている。
失われた欠片を。
***
その頃。
王都地下。
結社潜伏拠点。
観測室。
観測者の一人が報告書を手にしていた。
「聖教会地下保管庫。」
「対象、閲覧終了。」
カイナは静かに頷く。
「内容は。」
「断片のみ。」
「レオン記録の一部です。」
「回収命令は?」
「不要。」
短い返答だった。
部屋が静まる。
観測者が僅かに首を傾げる。
「よろしいのですか。」
「はい。」
カイナは観測水晶を見つめる。
そこにはガルド達の光が映っていた。
「今はまだ。」
「観測を優先します。」
「対象は必ず、自ら次の記録へ辿り着く。」
その言葉に迷いはなかった。
利用する。
追う。
観測する。
それが結社のやり方だった。
***
夕暮れ。
聖教会の中庭。
ロックは空を見上げて大きく伸びをした。
「結局、王都だけじゃ終わらねぇな。」
セリナも空を見る。
茜色に染まる空。
その向こう。
北の山々は見えない。
だが確かに存在している。
レオンが最後に示した場所。
竜の眠る地。
ガルドは静かに立っていた。
背には黒剣。
その黒剣は今日一度も鳴かなかった。
まるで。
次に動く時を待っているかのように。




