待つのが苦手な私たち
「こらっ、アネット! 待ちなさい⋯⋯っ。ていうか、お願い!待って〜!!」
今日も、屋敷中に響く私の声。
兄の長女のアネットは、歩き出してからが早かった。興味をひくものがあると、そこをめがけて突進する。
アネットは兄そっくりの見た目をしているが、中身は母親似だ。おてんばで、好奇心旺盛な性格。誤飲をふせぐため、アネットが口に入れそうなものは一通り片付けているものの、一瞬たりとも目が離せない。
乳母よりも先にアネットのもとに飛んでいく私を、母が面白そうに眺めている。
両親は兄とその妻に、割り振る仕事を増やしはじめた。次期子爵夫妻として、将来困らないだけの実務経験を積ませようとしているそうだ。
多忙な兄夫婦に代わり、姪っ子を追いかけるのが私の仕事だ。
兄が結婚する前は私が補佐していたが、母や兄嫁がいる以上、私が出る幕はない。
兄と結婚したのは、まさかのロレッタだった。
私を通じて知り合った二人は急速に距離を縮めた。兄の猛アピールの末、ロレッタがほだされる形で結婚した。恋愛になると妙な行動力をみせるところは、さすが兄妹といえよう。
やっとの思いでつかまえて抱っこすると、ちょうど兄夫婦が今日の執務を終えて出てくるところに出くわした。
「ジャクリーン、お疲れ様。アネットの面倒をみてくれてありがとう。
ほら、アネット。おいで」
「ロレッタとお兄様こそ、お疲れ様」
抱っこをロレッタと交代した。兄が横から愛娘の頬をなでる。ひとしきりなでてから私の方に向き直る。
「ちょうどよかった。ジャクリーン、お前に話がある。父上が執務室でお待ちだ」
「話とは何ですか?」
「縁談だ」
鼓動がはねた。
兄はくるりと踵をかえし、執務室に戻っていく。どうやら「ついてこい」という意味らしい。跳ね回る心臓の音が周りに聞こえやしないだろうか?
母とロレッタは、ただほほえんで私を見た。私より前に、父や兄から縁談のことを知らされていたのだろう。特に驚いた様子もなく、アネットを連れて乳母のもとに行ってしまった。
兄に続いて部屋に入る。父が持っていた書類から顔をあげて、私に「座りなさい」と声をかけた。
「相手は北方にある子爵家の長男だ。こちらでも調査したが、家も裕福だし、本人も真面目で評判がいい人物らしい。」
「⋯⋯そうですか」
違った。
父から渡された手紙に目を落とす。この三年、縁談が来るたびに「もしかしたら」と思っては、がっかりさせられている。
兄がじっと私を見ながら言う。
「今までの縁談は、過去の婚約解消の影響で条件が悪かった。だがあれから三年経った。社交界がやっと婚約解消を忘れてくれつつある。今や、クレイ伯爵家との交易で潤っている我が家と、縁付きたいと思ってくれる家はたくさんあるんだ。
⋯⋯この縁談をお前はどう思う?」
本心を言うわけにいかない。少し迷ったが、当たり障りのない答えを返すことにした。
「お断りくださいませ。今は婚姻よりも この地での仕事や、アネットと遊ぶのが楽しいのです」
私の言葉に父と兄は黙り込んだ。こんな好条件の縁談はめったにない。父は困惑ぎみだが、兄は値踏みするような視線を向けてくる。落ち着かない気持ちになった。
「お前、何を待っている」
「⋯⋯え」
「ごまかすな。お前は、縁談のたびに何かを期待するようなそぶりを見せる。そのくせ、縁談の内容を聞いたらあからさまにがっかりしてみせるだろ」
「⋯⋯」
「何かを⋯⋯いや、誰かを待ってるように見える」
図星だった。兄のするどさに舌打ちしたくなる。私の内心などお構いなしに、兄は続けた。
「もしそうなら、いい加減決めたらどうだ」
「⋯⋯何をでしょうか」
「待つのをやめるか、やめないか。待たないと決めたなら、腹をくくって縁談を受けろ。待つにしても、俺たちを言い訳に使うのはやめてくれ。『姪の世話があるから』、『補佐の仕事が楽しいから』を言い続けてたら、いつかお前自身の本当の気持ちを見失うぞ」
下唇をかみしめた。兄の言うとおりだ。でも、どうしても私は——。
「それに、お前は俺に似て待つのが苦手なはずだ。それなのに、ここにとどまっている。本心を言ったら俺たちに迷惑がかかるとか、俺たちが悲しむとか思ってるんだろ」
それも図星だった。だから、会いたい人がいても、それを口に出さずに過ごしてきた。
それでもなお、頑として本心を言わない私を、兄がじっと見る。ややあって、兄がふっと息を吐いた。ため息のようにも、笑ったようにも聞こえた。
「⋯⋯実は縁談はもう一つ来ている」
私がはっと顔を上げると、兄はにやりと笑った。昔からいたずらが成功したときに見せる、兄の笑い方だ。
「父上も俺も、『どの面下げて手紙を送ってきたのか』と、怒りのあまり捨ててやろうかと思った。⋯⋯でもそのとき、縁談の話に一喜一憂するお前の顔が頭をよぎった。
結婚したい相手がいるなら、なぜ俺たちに言わないのかと前々から不思議に思っていた。
最初、身分が高すぎる相手を好きになって、それで言い出せないんじゃないかと考えていたが⋯⋯。いつまでも相手を言わないところを見ると、もしや我が家と因縁のある相手だから言えないのではと、気づいたんだ」
兄は一通の手紙を取り出して、自分の顔の前にかざした。
「とある伯爵家の領地のひとつを任されている若き代官との縁組だ。
その代官は長年領地の勉強をしていたらしく、 知識が豊富でなかなかのやり手らしい。実力が認められて、伯爵領の中でもっとも豊かな土地を任されているらしいぞ」
(伯爵家⋯⋯領地の勉強⋯⋯。それってまさか⋯⋯!)
兄が手紙を持つ手をくるりと返した。羊皮紙を結ぶリボンの結び目が、私の方を向く形になる。そこには、クレイ伯爵家の封蝋がしてあったことが見て取れた。
兄の手からひったくるように手紙を受け取り、読みはじめた。父が優しい声で続ける。
「代官が、伯爵家を通じて縁談を申し込んできた。はじめは伯爵家が世話する縁組など受けられるかと思っていたが——」
びくりと手紙を持つ手が震える。父が苦笑した。
「お前の様子を見るに、受けざるをえまい。私たちはお前が幸せになってくれたらそれでいい。お前がどんな未来を選択しようとも、私たちが悲しむことはないのだ。
だから、余計なことは考えずに思うままに生きていけ」
胸がいっぱいになる。みるみる目に涙の膜が張ってきた。兄が笑いながら私の頭をくしゃりとなでる。
「だから行ってこい。⋯⋯お前は俺に似て、待つのが苦手だからな」




