逃げ続けて(伯爵視点)
伯爵視点です。
どうしてこうなったのか。必死に記憶をたぐり寄せる。
忘れもしないあの夜。王都での仕事を終えて妻とともに帰宅すると、息子が風邪で寝込んでいた。かなりタチの悪い風邪だったらしく、高熱にうなされながら何度もせき込んでいる。かたわらには馴染みの医者が、なんとも言えない表情でたたずんでいる。
医者から聞いた話では、エドワードは風邪をひいた幼なじみを見舞った数日後に、体調を崩したという。
その後、遠方から久しぶりに訪ねてきた友人と狩りに出かけて、さらに悪化させた。医者にかかるのが遅れたせいで、風邪はこじれにこじれたのだ。
「誘いを断れない性格が災いしましたな。ご友人との約束を優先せず、すぐ私を呼んでいたら治ったでしょうに⋯⋯」
「だが治るのだろう?」
老齢だが腕の良い医者だ。エドワードの容態が通常の風邪とは違うと感じていたが、私は楽観的に構えていた。
私の問いに、医者は眉間にしわを寄せた。私からエドワードへと視線をめぐらせ、難しい顔をして沈黙した。
その反応に、猛烈に嫌な予感がする。
「ご子息が風邪を発症してから、もう一週間以上経っています」
「一週間⋯⋯」
「肺炎を併発しているようです。できる限りの治療はしましたが⋯⋯覚悟しておいてください」
私は言葉を失った。妻は半狂乱でエドワードの名前を何度も叫んだ。夜通しの看病もむなしく、エドワードは帰らぬ人となった。
(なぜこうなった?ああ、仕事に赴く前、「幼なじみのナンシーに会いに行きたい」とエドワードが言ったときに止めていれば⋯⋯!!)
「もしもこうだったら」という後悔に苛まれる。だが自分の悲しみにばかり沈んでもいられない。
嫡男がいなくなった貴族家の爵位は、親戚に継承させる決まりとなっている。
(私が今日まで社交を欠かさず、真面目に領地経営をしてきたのは、息子に万全の状態で爵位を譲るためだ。
親戚に譲るなど、冗談ではない⋯⋯!)
私にはもうひとつ懸念があった。もう一人の息子、エリオットは庶子だ。私の実子とはいえ権力がない。
エリオットが異母弟だと知らないエドワードの前では、妻がエリオットにつらく当たることはなかった。
だが、エドワードはもういない。妻が権力をにぎるこの領地でいびられ続けたら、伯爵家から出ていってしまうのではないだろうか。
(なんとかして、エリオットは私の手元に残したい。となれば⋯⋯)
私はただちに家令と家政婦長を呼ぶ。まずは箝口令をしき、エドワードの死を徹底的に隠した。
次にエリオットとその母親を呼び、成りかわりの計画を伝えた。エドワードは生きていることにして、エリオットをエドワードとして、数年後に社交界に登場させる。
エリオットはためらっていたが、伯爵家を守るためだと言って強引に了承させた。
最後に妻を呼ぼうとした。エリオットを毛嫌いする妻に成りかわりを説得するのは気が重い。でも話さないわけにもいかない。
ところが妻は、エドワードが亡くなってからずっと伏せっているらしい。
(ならば好都合だ。妻がいないうちに計画を進めてしまおう)
そこからの私の行動は早かった。エリオットには極秘に領地の勉強をさせ、後継者としての心得をたたき込んでいく。
エドワードあての夜会の手紙はすべて「欠席」で返信する。理由は「幼なじみの看病で忙しい」ということにした。
婚約者がいる令息としては、醜聞にしかならない理由だ。エドワード自身が病気だということにした方が、ましなのかもしれない。
だが、もしエドワードの友人が見舞いに来てしまったらごまかし切れない。それに、息子に風邪をうつした男爵令嬢への仕返しの意図もあった。
「あなた⋯⋯」
久々に聞く妻の声。なにげなく振り向いて、息を呑む。
靴も履かず、素足でただようように歩いてくる。髪は乱れ、目には光がなく死人のようだった。
「ねえ⋯⋯あの子はどこ?」
目をギョロギョロと動かして探すさまは、とてもおそろしい。
「あ⋯⋯あの子とは誰だ」
平静をよそおったつもりだったけれど、声がかすれてうまくいかない。妻は私の問いには答えずふらふらと近づいてくる。
「おそらく、エドワード様を探しておられるのでしょう」
家令がそっと私に耳打ちしてくれる。おそろしさしか感じない私と違って、彼は妻に同情しているようだ。表情にも声にも憐れみがにじんでいた。
⋯⋯妻は、いつからこうだった?
思えば、エドワードが亡くなってから一度も妻と話していない気がする。
もともと政略結婚で、妻には関心を持てなかった。妻は私と会話したがったが、「忙しい」と言って相手にしていなかった。
それでも、お互いに息子のことは愛していた。かろうじて、エドワードを通してつながっているような夫婦だったのだ。
エドワードがいない今、私たちをつなぐものは皆無だった。
なおも近づいてくる妻から距離をとろうとして、じりじりと後ずさる。壁に追い詰められたところで、私は家政婦長に目を向けた。
「何してる! 妻を早く部屋に戻せ!」
「⋯⋯かしこまりました」
家政婦長はなぜか私に冷たい一瞥を送る。しかし、妻にはびっくりするほど優しく声をかけた。
「さあ奥様、戻りましょう」
妻は依然としてきょろきょろと探す仕草をしたが、大人しく部屋に帰っていく。
その後も、妻はたびたび誰かを探して屋敷内をうろついた。おそろしさから妻を避けていたが、なぜか毎回私にばかり声をかける。
ときどき癇癪をおこして、「あなたが隠したの?! ねえ、今すぐあの子を出して!」とエリオットやエリオットの母親に詰め寄ることがあった。でも普段はエリオットたちのこともわからないらしく、誰かを探して歩いているときにエリオットに遭遇しても、素通りする。
逃げ続ける日々。
妻の顔が見たくなくて、執務室にこもることが増えた。
⋯⋯ああ、どうしてこうなったのだ。
次話から主人公視点に戻ります。




