震えるほどの(エリオット視点)
エリオット視点です。
俺は恋なんかしない。
そう思っていた 。
母は恋に溺れるタイプだった。
母はもともと、侯爵家のお嬢様に仕える侍女だった。そのお嬢様がクレイ伯爵家に嫁ぐことになり、母も嫁入りと同時に伯爵家にやってきた。
完全なる政略結婚だったが、お嬢様は結婚相手を愛していた。伯爵夫人として、クレイ伯爵家を必死に盛り立てていたらしい。
しかし母は、よりにもよって主の夫——伯爵のことを好きになってしまった。理性で恋心を押さえつけようとすればするほど、伯爵への想いは募る。あきらめられない母は、父に強引に関係を迫った。その結果、俺が生まれてしまったのだ。
伯爵夫人は母と俺を憎んで、徹底的に冷遇した。無理もない。侍女が伯爵夫人を裏切ったのだ。当然、ほかの使用人は誰もかばってはくれない。
俺は伯爵夫人の目を避けるように過ごした。異母兄にあたるエドワードが俺に話しかけたそうな様子をみせたこともあったが、そのたびに伯爵夫人がさりげなく俺に用事を言いつけて遠ざけた。
(俺たちを追い出そうとしないのは慈悲なのか、あるいは自分の目の届かないところで父と母が会うのを防ぐためなのか⋯⋯)
伯爵夫人は俺たちを目障りに思っていても、父を愛しているから追い出せない。
父に執着する母は、何があっても伯爵家を出て行こうとしない。父と離れたくないのだろう。
もっとも、この家を出たところで、伯爵夫人が紹介状を書いてくれるとは思えない。きっとろくな働き口がないだろう。
母と伯爵夫人。幼少の頃から、父に対する二人の執着を目の当たりにしてきた俺にとって、恋はおそろしいものだった。
(俺は、恋なんてしない)
誰にも心を許せず、不義の子として無気力に生きる日々。
そんなとき、彼女と出会った。
ジャクリーン様は栗色の柔らかい髪をした、全体的に落ち着いた雰囲気の少女だ。
「エドワード様が不在なのはあなたのせいではないでしょう。私も気にしてないから大丈夫よ」
大丈夫なわけがない。「エドワードに放置される婚約者」という悪評が立っているのだ。彼女がどれほど苦しんでいるのか、想像に余りある。
彼女は最初からそうだった。どんなに自分がつらくても、いつも「あなたのせいじゃない」と俺を気遣ってくれる。
毎回夜会を欠席するエドワードに思うところはあっても、侍従である俺を責めることはなかった。
彼女だけは、俺自身を見てくれる。伯爵家の日陰者だった俺を、一人の人間として扱ってくれる。
あんなに「恋だけはするまい」と思っていたのに、だんだんと彼女を想う時間が増えていく。
こんなにも優しくて、お人好しな彼女のことを俺は騙している。自覚するたび、激しい罪悪感に苛まれた。
⋯⋯だが、心の片隅では、この成りかわり計画が成功してしまえばいいのにと思い始めていた。
もし俺が「伯爵家嫡男」になれば、「婚約者」である彼女を堂々と妻にすることができる。それはひどく魅力的な未来だった。
しかも、すぐに破綻すると思っていた成りかわり計画は、意外にも誰にも気づかれていない。
エドワードは、どうやら男爵令嬢への思いを仲間内で打ち明けていたらしい。「幼なじみを放っておけないから」という欠席理由に、友人たちは「ああ、あいつならやりかねない」という反応を見せた。
エドワードは素直な分、自分の欲望にも忠実だったのだ。友人たちは呆れながらも納得してしまった。
こうして、俺の破滅はどんどん先延ばしになっていく。
(もしかしたらこのまま、彼女を妻にできるんじゃないか?このまま、成りかわってしまえば⋯⋯)
許されない望み。でもそれは、俺にとってひどく甘美なものだった。
しかしそんな日々も長くは続かない。
終わりは突然訪れた。
「今までありがとう。あなたは、どうか幸せになってね」
成りかわり計画が露見した日。最後に彼女が俺に向けてくれた笑顔は、とてもきれいだった。
彼女に、「あのまま計画どおり進んでいたら、あなたと結婚できたかも」と言われたときは、いつもの冗談かと思った。
彼女は、夜会の欠席を告げに来る俺の心を軽くするために、よく冗談を言ってくれたから。
奇しくも、彼女も俺と同じようなことを考えてくれていたのだ。彼女は俺と結婚したかったと言ってくれた。あれはきっと、冗談ではなかったのだ。
(俺はなぜ一瞬でも冗談だと思ったんだ。なぜすぐに「俺もあなたと結婚したかった」と言わなかったんだ。すぐ返事していたら、何かが違ったかもしれないのに⋯⋯!)
彼女は俺を苦しめないために、立ち去ったのだ。後に残された俺は呆然と立ち尽くし、彼女を追いかけることすら思いつかなかった。
それから一週間ほど、ジャクリーン様のことを考えては、落ち込んだ。
(こんなとき、エドワードだったらどうするんだろうな)
あいつなら、迷わず好きな人を追いかけるはずだ。だってあいつは、俺と違って自分に自信があって、明るくて——⋯⋯。
⋯⋯何を考えてるんだ、俺は。
別の人間なんだから、エドワードと俺が違うのは当たり前のことだ。それにまだ、俺は自分にできることをすべてやったわけでもない。落ち込むのはまだ早い。
できない理由よりも、できる理由を考えるんだ。
俺は、父の執務室をノックした。父はすぐに仕事の手を止めて、俺を招き入れてくれた。
俺は、俺のやり方でジャクリーン様との未来をつかみ取ってみせる。緊張で震える足で、ゆっくりと部屋に入っていく。
——この歩みが、彼女との未来につながると信じて。




