1-8 ダンジョンアタック
―――はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……ッ!
「……死ぬかと、思った……ッ!」
おれは鬱蒼とした大木の枝の上で、両手両足を文字通り生気のない芋虫のように投げ出し、激しく上下する肩を落ち着かせていた。
最後の最後は完全にパニックになりながら木に登ることで、なんとかあの狂暴なウサギの群れから逃げ切ることができたのだ。
まだほとんど初期値から上げていない、文字通りゴミ一歩手前のステータスだ。
原作の知識があるため、一対一なら負けはしないが、十匹同時のリンチとなれば流動的に危険度が跳ね上がる。
前世で、刃物妹に追われた時のような恐怖を感じたぞ。
下層の草むらからホーンラビットたちの気配が完全に消え去ったのを確認しつつ、周囲の音に細心の警戒を払いながら、おれはスルスルと地上へ降りた。
怪我の功名というべきか、逃げ惑った方向が幸いにも目的のダンジョンのある方角だったため、目的地はもうそろそろ目と鼻の先のはずだ。
おれは先ほどよりもさらに周囲の「ヘイト」に過敏になりながら、ダンジョンへと向かって歩みを進めた。
―――1時間後。
あのウサギの襲撃の後、森の茂みで遭遇したホーンラビットと2度の実戦(もちろん例の左右手足頭からの正拳突きコンボ)を繰り返し、おれは無事に、目的のダンジョンへと到達することができた。
目の前には、地面にポッカリと開いた、いかにもジメジメしていそうな岩肌の洞窟の入り口。
これこそが、この世界で最も不人気なHランク迷宮である。B級映画臭がすごい。
よし、じゃあ早速、予定通り【盗賊】の転職条件をサクッとクリアしに行きますか。
おれはアイテムボックスからナイフを取り出し、あえて利き手ではない「左手」に逆手で握り込んだ。
これは、もしも突発的な不意打ちなどで敵が肉薄してきた場合、利き手である右手を完全にフリーにしておき、得意の前衛格闘スキルで即座に対応するためだ。
見た目は「左手にナイフ、右手は素手」という、料理中のトランス状態の主婦みたいな不審極まりないスタイルだが、大した準備も必要ないので、おれはそのままダンジョンの闇の中へと足を踏み入れた。
このゲームにおいて、基本職【盗賊】の転職解放条件は『短刀を装備した状態で、誰の力も借りずソロで、ダンジョン内で罠の解除と宝箱の解錠を、それぞれ累計10回以上成功させること』だ。
好都合なことに、このダンジョンは全10階層で構成されており、各階層にちょうど一つずつ、計10個の宝箱が確定ポップする仕様になっている。
つまり、全ての階層の宝箱を順に開けながら最深層を目指せば、最下層に着く頃にはぴったり条件を満たせる計算なのだ。
本来、罠を検知するためには、【斥候】のスキル『罠感知』を持っていなければ、文字通り命がけのブラインド解除を強いられて苦労することになる。
だが、おれは8年半の間、このクソゲーの全マップを網羅したトップ廃人である。
この最弱ダンジョンの、どこにどんな罠があり、どこの部屋に宝箱が隠されているのか、そのすべての座標を完全に脳内で把握している。
この最弱迷宮には、強いモンスターなど一匹もいない。
……が、現在武道家であるおれにとって、非常に相性の悪い『スライムさん』が至る所にうようよいらっしゃる。
武器持ちの職業であれば、間合いを取って核を叩き割るだけなので何の問題もない。
しかし、素手で殴ってコアを破壊しようとした場合、スライムの酸性体液が拳に付着し、軽微の火傷を負ってしまうのだ。
今回の基本方針は、徹底した『戦闘回避』で行く。
それらのマイナス要因を踏まえた上で、前世の記憶を細部まで呼び起こし、敵の巡回ルートを脳内でシミュレート。
最短かつ最も安全なルートで回れるよう、歩きながら最適解の脳内ロジックを組み立てていく。
―――さてと、まずは右側の通路、こっちからだな。
道筋は粗方決定した。最短距離で進めて行くぞ。
こっちの広場はコウモリの大群のヘイト範囲だから、あっちの瓦礫から迂回してっと……。よし、あそこを抜ければ大きなショートカットだな。おっと、通路にぽつんと1匹だけいるキラーバットさんは、右の正拳突きでワンパン、と。……げっ、前方通路にスライムさんが溜まってますね。ここはスペースがあるから、こっちの岩影の死角を通り過ぎてタゲを外して――。あ、てめえこら! 用を足してる時に襲って来るんじゃねぇ。―――っつ!!ピョッッコピョッッコ!―――えっと、この奥へと続く細いひび割れた道を抜けたところが……
よし! ナビゲーション通り、なんやかんやで最初のチェックポイントに到着だ。
このエリアは、知識なしの初見プレイヤーがそのまま真っ直ぐ進むと、壁から無音で即死級の矢が飛んでくる感圧式の罠が設置されている。
おれはアイテムボックスから、雑貨屋で揃えた「アイスピックのような、先端が鋭く尖った長めの鉄針」を取り出し、部屋の中央にあるおれの背丈ほどある2つの尖った岩山へと近づくと、躊躇なく左側の岩山の後ろ側へと回り込む。
そこにある、周囲の石肌とはわずかに模様の違う亀裂があり、その上から30センチほどの位置に、その鉄針を迷わずグサリと突き刺した。
―――バキッッ。
内部の歯車が噛み合わずに破壊された、小気味いい金属音が響く。
システムログは出ないが、これで罠の解除は成功だ。
よし! 成功っと! まずは罠解除、1~つ!
おれは誰もいない洞窟の中で、ひっそりと勝訴のポーズを決めた。
このゲームのダンジョンでは、約6割の確率で宝箱の直前に罠が設置されている。
そして、この第1階層はこの罠を抜けたすぐ先の小部屋に、目当ての宝箱がひっそりと置かれている。
早速、宝箱の解錠もセットでやってしまいますか。
埃をかぶった木箱の前に移動し、おれはアイテムボックスから、もう1本まったく同じ鉄針を取り出す。
このビギナー用のダンジョンに置かれている宝箱は、ゲーム内でも最も簡易でシンプルな鍵構造(ピッキング難易度:極小)の物だ。
なので、この2本の針を同時に鍵穴に差し込み、内部のピンの噛み合わせを意識しながら、上にガツンと一定の衝撃を与えてやれば――。
―――カチリ。
はい! 解錠っと!
中身はゴミのような物だったが、おれはフッと不敵な笑みを浮かべた。
さぁ、この調子でどんどん進めて行きまっせー!
―――そして、最深部である第10階層へと到着した。
ほいっと。これでラストォ!
パカン、という軽い音と共に、最後の10個目の宝箱の解錠を無事にクリアした。
ここまでの道のりで、落とし穴やら、天井からのトゲトゲ落下トラップやら、数々の嫌がらせのような罠の解除もきっちり10箇所完了している。
これで、基本職【盗賊】の転職解放条件が完了した。
転職条件さえ完了してしまえば、後は神殿で転職が可能だ。
しかし、おれは複数の職業をマルチタスクで、同時に並行して上げていく予定なのだ。
毎回毎回あのクソ面倒くさい門番の尋問を突破して街に戻るのも、その都度神殿の教皇モドキに貴重な軍資金から、3000ゴールドのお布施を毟り取られるのも、絶対に御免被る。
だからこそ、おれがこの最弱ダンジョンへ真っ先に来た、最大の「本命」がここにある。
おれは10階層の部屋の、一番右奥にある、苔むした壁際へと向かった。
そして、壁にペタペタと手を当てながら、まるで怪しいマッサージ師のごとき手つきでワサワサと手当たり次第に石の凹凸を触りまくる。
ええっと、座標的にはこのへんで……あ、あった!!
1箇所だけ、おれの指先の力に応じて、ぬるりと不自然に壁のブロックが中に沈んでいく場所を発見した。
そいつを全体重をかけて奥まで力任せに押し込んでやる。
―――カチッ。
明確なギミック作動音が静かな洞窟に響いた、次の瞬間。
―――ゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!!
地響きと共に石壁がスライドし、壁の向こう側に小さな「隠し小部屋」が現れた。
よし……!! ゲーム通りだ!
おれはそのカビ臭い隠し扉を開けて中へと入って行くと、部屋の中央の石化高台には、ポツンと1つの、古ぼけた宝箱が鎮座している。
この特殊な宝箱には鍵が掛かっていないため、おれはそのまま蓋を開け、中に納められていた「ある物」を恭しく取り出した。
まだ【アイテム鑑定】のスキルを持っていないため、詳細なパラメータ説明を見ることはできない。
なので、おれはそれをアイテムボックスの中に収納し、システムのアイテムリスト画面を確認する。
すると、おれが前世で何度も目にした、あの狂おしいほどに懐かしい名称がくっきりと表示されていた。
そこに表示されたアイテム名は――。
―――【転職の指輪】。




