2-7 時に人は、自分の限界を越える必要がある
2時間ほど街道を進むと、それまでの木々に囲まれた景色が嘘のように一転し、まるでモンゴル国を思わせるような果てしない大草原が目の前一面に広がってきた。
どこまでも続く青空と緑の絨毯。
その草原の街道をさらに1時間ほど進んだところで、おれ達を乗せた馬車は街道を大きく外れ、道なき草原をひたすら東へと進んで行く。
やがて行く手に、深い碧色をした少し小さめの美しい湖がその姿を現した。
―――はぁ……。やっと、やっと到着したぞ……ッ!
3時間半以上もの間、ずっっっと耳が劈く喧騒をバックミュージックに、街道がずっっっとガタガタなのかと思うほどの揺れる振動馬車の中、我慢の限界に到達したおれは、神職に転職せずともリミットブレイカーになれそうな気配を感じていた。
特殊転職条件か?
昼飯にするぞと、叫び暴れて馬車にしがみつく泡娘をひっぺがし、「マダイキタイ」と泣きじゃくる地震娘に寄り添っている赤顔娘が「す、すぐぐに、YO、YO、意しまますね」とラッパーのようなライムを咬ましながら昼食を用意してくれた。
「あのな、馬車の中でも何度も何度も何度も説明しただろ。今から行くダンジョンは、おれの知ってる攻略手順さえ分かっていれば、そこまでの肉体的危険は一切ない。その上、手に入る経験値の美味さはエリア随一なんだ。強くなりたいって自分から言ったくせに、これしきの事でそんなパニック状態になるなら、この先どこかで発狂して、そのまま狂死するからな。それが嫌ならもう今すぐ諦めて街へ帰れ」
出来立てのサンドイッチを口に運びながら、おれは道中で重ねてきた説教を、改めて全員の網膜に焼き付けるように冷徹に言い放った。
おれの放ったガチの「帰れ」という重い言葉に、さすがの泡娘も叫ぶのをピタリと止め、バツが悪そうに黙って昼飯を口に運び始めた。
地震娘もなんとかマグニチュード2.5程度にまでようやく鎮まり、さっきからこぼしまくっていた昼食を少しずつ咀嚼し始めた。涙目で。
だが、静かになったテーブルの対面から、赤顔娘が不思議そうに美しい首を傾げて問いかけてきた。
「……しかし、何故わざわざこのような何もない草原に来たのでしょうか? この周辺には迷宮など存在しなかったはずなのですが……」
「あ、そうなの? 現地の一般の冒険者には知られていないんだ。……ほら、あそこに見える碧い湖、あの中心の『湖底』にあるんだ」
「そ、底に!? そんな水の中に隠しダンジョンがあるなんて……っ」
驚く彼女たちを尻目に、おれはスープを飲み干して平然とこれからのチャートを告げる。
「このダンジョンで、おれとアイシャの回復士の熟練度を一気に『☆7』まで引き上げるから。それなりに時間は拘束されるから、覚悟しておいて」
「―――――――――はぁっ?」
開いた口が完全に塞がらなくなり、綺麗な口元から咀嚼中だった昼飯のパンくずをポロポロと盛大にこぼし始めるアイシャ。
そのただならぬ崩壊っぷりに、スタコラシスターズの2人が「アイシャ!? しっかりして!」「あわわわわー……」と大慌てで彼女に声をかける。
美人が台無しである。
「そ、そんなの絶対無理です!☆7まで極めるだなんて……!普通の回復士が人生を賭して、10年以上の歳月を死に物狂いで捧げてやっと到達できるレベルですよ!?」
強制再起動を果たした赤顔娘が、普段のお淑やかさなどどこへやら、珍しくギルドのロビーばりの怒号でおれに詰め寄ってきた。
どうやら、この現役Aランク冒険者の頭は、まだこの世界のポンコツな『常識』とやらにガチガチに凝り固まっているらしい。
よし、廃人として、その頑固な脳味噌のシステムを一度綺麗にほぐしてやろう。
おれは少しだけ声を低くし、まっすぐに彼女の瞳を見据えた。
「アイシャ。おれに付いて来ると自分の意思で決めたのなら、そんな現地の世間の常識とかいうゴミ概念はすべて今この瞬間にドブに捨てろ。おれが『出来る』と言った事だけを、100%盲信して付いて来い。分かったな?」
「ふぁ、ふぁふぁふぁ……ふぁいっ!!」
彼女は飲みかけのスープ皿に、頭が突き刺さるほどの勢いで、顔を真っ赤にして大慌てで俯いた。
実際前髪がちょっと濡れている……。
「―――よし、ここから潜るぞ。おれの後ろをぴったり付いてくるんだ」
半径100メートルほどの碧い湖の中心まで全員で泳いできたおれ達は、湖面にぷかぷかと浮きながら最後の指示を出した。
隠しダンジョンの入り口がある湖底20メートルまで、一気に生身で潜水する必要があるのだ。
そこそこの距離があるため、水中ではぐれて窒息しないよう厳重に注意を促す。
なお、おれの言うことしか聞かないあの助平馬は、草原の草むらに完全放置でお留守番だ。
おれを先頭に、おれ達は一斉に碧い水面へと身を翻して深く潜り始めた。
両手で水を力強く掻き、どんどん冷たい湖の底を目指して潜行していく。
おれの後ろを、赤顔娘と泡娘がさすがの冒険者らしい見事な泳ぎで追随してくる。
地震娘は、溺れて足をバタつかせてるガチョウのようだ………。
やがて、仄暗い湖底の砂地に、小さく不自然に盛り上がった不気味な岩の山が見えてきた。
その岩山の根元には、中が空洞になった、まるで海底トンネルのような直径数メートルの横穴がぽっかりと開いている。
おれは迷うことなくその闇の中へと進入し、さらに下方へと進路を取る。
すると途中から、水流の向きが変わって通路が斜め上方向へと大きく反転した。
道なりに全力で浮上していくと、やがて水膜の向こうに、眩いばかりの水面の光が差し込んできた。
ザパァァァンッッ!!!
「―――ッパァ! ふぅ……!」
光を突き破って顔を出した先には、湖の底だというのに、不思議と清浄な空気がたっぷりと満ちた、広大な鍾乳洞のような地下空間が広がっていた。
おれに続いて、姦娘たちも次々と「ぷはっ!」「ゲホッ、ゲホッ!」「ブベラッ!」と激しい飛沫を上げて水面から顔を出してくる。
最後尾の地震娘に至っては、「ゼーハー……ゼーハー……ッ!」と完全に肺の酸素を使い果たして、今にも白目を剥いて溺れ死にそうな瀕死の声をあげていた。
おれ達はすぐにゴツゴツとした陸地へと這い上がり、地震娘の呼吸ゲージが完全に回復するのを静かに待つことにした。
「もう水の中は嫌ですぅ……本当に死ぬかと思いました……っ」
地震娘はボロボロと大粒の涙を流しながら、泡娘の細い腰にガチガチと激しくしがみつき、いつもの超高速振動を再開させていた。
よっぽど途中で呼吸ゲージのデッドラインが見えて死にそうだったのだろう。
少しだけ哀れである。
「……ここが……本当にB級のダンジョンなのですか?」
濡れた赤髪のポニーテールを絞りながら、赤顔娘がおれの方を真っ直ぐに見つめて尋ねてきた。
おれは無言のまま、小さくコクりと頷いてみせる。
おれ達の眼前に広がっていたのは、異様な光景だった。
空間の両側を、尋常ならざる超高速で激しくゴウゴウと流れる巨大な地下川が挟んでおり、その水の奔流が、遥か暗闇の奥深くに向かってずぅーっと直線的に続いているのだ。
基本的には、この激しい川の流れに沿って進路を取っていくタイプの迷宮である。
難易度B級のダンジョンなだけあって、まともに攻略すれば階層は全部で70階層まで存在する大長編なのだが……。
おれの目的の効率レベリングスポットは、わずか10階層の場所に位置している。
しかも、このダンジョンには、前世のトップ廃人しか知らない『システム上のバグじみた抜け道』が存在するため、一瞬にして10階層までひとっ飛びでショートカットすることが可能なのだ。
―――さてと、あと問題なのは……あいつが、ちゃんと『飛べる』か……だな……
おれはアイテムボックスから、商店で爆買いしておいた、人数分の【潜水用シュノーケリング一式とゴーグル】を地面にドバドバと吐き出した。
そのプラスチック製の日用品の異様なビジュアルを目にした瞬間、地震娘の危険探知(緊急アラーム)センサーが、これから起こる凄まじい非条理な殺意を敏感に察知したのだろう。
彼女は「マダシニタクナイ………」と不吉な呪言をブツブツと唱えながら、これまでにないほどガタガタと激しく震え出した。
おれは満面の爽やかな営業用スマイルを浮かべると、そのシュノーケルを地震娘の小さな手に優しく、しっかりと手渡してやった。
大丈夫、大丈夫。そんなに怯えなくていいよ。
川に一度身を飛び込ませてしまえば、もう後は人間の力ではどうする事も出来ないから。
こんな激流の川を逆走出来るのは範馬○次郎だけだから。
ただ水流に身を任せて、浮き輪のようにぷかぷかと流されていれば、数分すぐ着くよ。
最後は『落差100メートル級の、巨大地下滝』が待ってるけど――ね。




