1-29 時には乙女のように
―――朝。いや、太陽の高さから察するに、もうとっくに昼だな。
昨日の夜、あの寝室で「お断りします」と文字通り秒速で拒絶を突きつけたあの瞬間から、おれの運命は完全にバグっていた。
あの後、おれの枕元で丸々7時間にもわたって繰り広げられた、ポニちゃんアイシャからの熱烈な「脅迫」……げふんげふん、熱烈な「拷問」……げふんげふんげふん、もとい、熱烈な「お誘い(パーティ加入交渉)」の数々。
深夜から明け方にかけて押し寄せる強烈な眠気と、Aランク騎士の圧倒的な覇気による圧迫面接。
おれの貧弱な精神状態は、『1分が何時間にも感じるほどの時の部屋』に放り込まれたかのような感覚に陥り、その間ずっと首元に鋭いナイフの切っ先をチクチクと突き立てられているような、生きた心地のしない幻覚を味わっていた。
ついに夜明け前、脳細胞が完全に稼働を停止したおれは、「もう断るのは物理的に無理だ」と涙目で悟り、彼女が旅に付いて来ることを許してしまった。
いや、正確に言うならば、許さざるを得なかったのだ。
あ、あれだ。ガタガタと震える手で契約書に実印を捺させられているような、そんな不可抗力の状態である。
よく考えたら、彼女の家にまんまと招き入れられ、美味い飯を食い、客室のフカフカのベッドを提供された時点で、おれに拒否権などという高尚な人権は、ハナから1ミリも残されていなかったのだ。
東の空が白々と明るくなり始めた頃、おれから無条件降伏のサインを勝ち取って満足した彼女は「では、明日の朝に」と上機嫌で自身の部屋へと戻っていき、おれはそのまま糸の切れた人形のようにベッドへ倒れ込み、気絶するように眠りについたのだった。
そして、現在――。
昼過ぎにようやく目を覚まし、重い身体を起こしてベッドから這い出た、まさにその「刹那」だった。
コンコン、というノックと同時に、ガチャリとドアが開いてアイシャが部屋に入ってきた。
恐いって!! ホラーかよ!! ずっと部屋の扉の前に張り付いて待機してないと、おれが起きた瞬間のこのタイミングで入ってくるのは絶対に無理だろ!
おれが心の中で全力の悲鳴を上げていると、彼女はすでにいつでも出発できる完璧な旅装束を身にまとっており、眩いばかりのビジネススマイルでおれを見つめてきた。
「本日はこれよりどのような予定でしょうか?」
そう聞いてきたので、おれはこれからのロードマップに従い、次の基本職【回復士】の条件を解放するために街の教会へ行く予定であることをボソボソと伝えた。
「ご一緒します(即答)」
こちらを真っ直ぐに向き直り、有無を言わせぬ美しき満面の笑みを浮かべる彼女。
それを見た瞬間、おれは「ここで『いや、ソロで行くから』と断れば、間違いなく昨日の夜の7時間拷問フェーズの第2ラウンドが幕を開ける」という事実を、自身の細胞レベルで瞬時に認識することができた。
おれは深く、長いため息を2つほど吐き出すと、大人しく街へ出かけるための準備を始めたの。
「―――ようこそ、神の御前へ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
白亜の石造りの教会の中に入ると、清潔な法衣をまとったシスターが静かに出迎えてくれた。
おれはいつものハキハキとした営業用スマイル(擬態)を起動し、用件を伝える。
「はい。不遜ながら、私の持つ癒しの力で、怪我に苦しむ人々をお救いしたいと考えまして。教会の治療所をお借りできないでしょうか」
「おぉ、なんと素晴らしい志でしょう。神もきっとお喜びになります」
シスターは感銘を受けたように微笑み、それからおれの後ろに直立不動で控えているポニちゃんへ視線を向けた。
「承知いたしました。では、そちらのお連れ様も、ご一緒の治療活動ということで宜しかったでしょうか?」
……ん? 待てよ。せっかくなら、ここでポニちゃんも一緒に【回復士】職の条件を解放させておいた方が、後々の効率が良いんじゃないか?
おれはシスターに向かってコクりと頷く。
「ではこちらへ」と教会の奥から、隣接する治療所へと案内される。
一歩足を踏み入れた治療所の中には、血の匂いと消毒液の香りが漂っており、様々な傷を負った現地の冒険者や市民たちが、治療の順番を待って長い列を成していた。
そのうちの一人の患者にシスターが声をかけ、個室の別室へと連れて行く。
その後すぐにおれの名前が呼ばれたため、おれはポニちゃんを引き連れて部屋へと入っていった。
「では、まずはこちらの方の治療をお願いいたしますね」
ベッドに横たわる患者の怪我の状態を確認する。
おそらく街の外で凶暴なモンスターの爪にでも引き裂かれたのだろう、右の二の腕の肉が、20センチほどにわたってパックリと深く裂けていた。
前世の現代医療の感覚なら、麻酔を打って外科医が80針は縫合しなければならないレベルの重傷だ。
さて、ここからが廃人の本番である。
本来、この世界で基本職【回復士】に転職するには、聖なる回復魔法を長期にわたって同じ高位のヒーラーから学び、気の遠くなるような時間をかけて『魔力感知』のセンスを磨き、その才能を教会に認められた者だけが、神の祝福を授かることでようやく転職できるシステムだ。
しかし、おれが今からやるのは、その数ヶ月、下手をすれば数年かかる面倒な工程をすべてすっ飛ばし、「実際に傷をその場で一瞬で治せるから、おれの才能を今すぐ認めてくれ」という形で神殿の転職判定を強引に起動させてしまう、謂わば特級の『裏ワザ(抜け道)』である。
使用するのは、おれがすでに☆3まで上げている武道家の初期スキル――【チャクラ】だ。
本来、この『チャクラ』というスキルは、術者本人の体内の魔力を急速に循環させて自己治癒力を高める技であるため、「自分自身にしか効果がない」というのが、この世界の誰もが知る常識だ。
なぜなら、他人の怪我を治すのは『回復魔法』。自分の怪我を治すのが『チャクラ』。
それが現地の住人の100%の認識になっている。
しかし、おれはその2つの肉体の間にある「魔力のパス」を強引に繋ぎ、他人にチャクラを施すための『特殊なコツ』を知っていた。
おれは早速、ベッドに横たわる患者の右の二の腕の裂傷を覆うように、自身の右手をかざした。そしてもう片方の左手で、患者の「左手」をガシリと力強く掴む。
――相手の身体も、すべて自分の身体の一部(同一の回路)だと脳のシステムに誤認させる。
右手から患者の身体を通して、左手からおれの身体へと魔力を戻す……綺麗な円の形を強く意識する。
おれの体内から溢れ出た魔力が、おれの左手から患者の左手へと流れ、彼の身体の傷口を通り、おれの右手へと繋がって綺麗に一周したとで完全に認識した、その瞬間。
おれは頭の中で、武道家のスキル――【チャクラ】を全力で発動した。
―――フオォォォン……!
淡い暖色の光が、おれの右手と患者の腕を包み込む。
すると、どうだ。手で覆っていたはずのパックリと裂けていた生々しい傷口が、まるで時間を巻き戻しているかのように、みるみるうちに細胞が結合して塞がっていくではないか。
後は完全に皮膚が元通りになるまで、回路を維持したままチャクラを連打し続ければいい。
……ふぅ。よし、こんなもんでしょ。
ものの数分で治療が完璧に完了したため、付き添っていたシスターに「これでどうですか」と確認を取ると、問題は無いようだ。
どうやら、転職条件のフラグは無事に達成できたようだ。
「では、すぐに次の方の治療をお願いしますね。
お待ちの患者様を連れて参ります」
シスターは今治ったばかりの患者を連れて、部屋を出て行く。
次はポニちゃんの番だよと後ろを振り向くと、彼女は、完全に顎が外れそうなほど口を「あんぐり」と大きく開けたマヌケな顔で、こちらを凝視して固まっていた。
「い、今のは……間違いなく、武道家の基礎スキルである『チャクラ』でしたよね……!? ど、どのようにして、自分専用の自己回復の力を、他人の肉体へと転向させたのですか……!?」
あ、しまった……。
廃人としての効率を最優先させるあまり、彼女にそのバグ技のやり方を全く教えていない状態でここに連れてきてしまった。
すぐにシスターが次の重症者を連れて部屋に戻ってきてしまう。
患者が来る前のわずかな時間で、彼女にこの魔力循環の『コツ』をすべて教え込むしかない。
しかし、この精密な魔力のパスの繋ぎ方は、言葉や口頭の説明だけで理解させるのは100%不可能な領域だ。
―――クソ、仕方ない……! 合理的にいくぞ!
おれは迷うことなくポニちゃんの目の前へと一歩踏み込むと、おれの右手で彼女の「左手」を、おれの左手で彼女の「右手」を、それぞれガシィッ!と逃がさないように力強く掴み取った。
お互いの手のひらを隙間なくぴったりと密着させ、指の間に指を滑り込ませる、いわゆる完全なる『恋人繋ぎ(両手バージョン)』の構えである。
「えっ、えっ、えええっ!? 一体何を――!?」脳内メモリが突発的なイベントによって大パニックを起こし、可愛い悲鳴を上げているが、こちとら時間がないんだ。
おれは彼女の動揺を完全に無視し、おれの右手から自分の身体へ、そして左手から彼女の身体へと、おれの魔力を強引に流し込んで連結させた。
おれの身体と、アイシャの身体の間を、光のような魔力がぐるぐると高速で循環していく。
「いいですか?今身体の中に流し込んでいる、この魔力の『巡る感覚』を覚えて下さい。次の患者が来たら、相手の身体で全く同じように魔力円を作り出して、その状態でチャクラスキルを起動するんです。ポイントは、左手から相手の身体を通して、右手へとその魔力が戻ってくるように意識することです。……分かったりましたか?」
おれは廃人のガチトーンで早口に説明し、彼女がこの超高難度の感覚をきちんと理解してくれたかどうかを確認するため、繋いだ両手にぐっと力を込め、彼女の顔を至近距離からじっと覗き込んだ。
すると、そこには。
頭の頂点のポニーテールから、耳の先、果ては首筋に至るまでのすべての皮膚を、まるで沸騰したヤカンのように「真っ赤っ赤っ赤」に染め上げ、目をぐるぐると回しながら、完全にショートしてオーバーヒートしている彼女の姿があった。
繋いだ両手からは、凄まじい熱量と小刻みな振動が伝わってくる。
―――これはギャルゲーじゃないんだが、、、




