1-28 それは決して突然なんかではなく、きっとあの時から秘めていた想い
―――お、お、お、終わった……っ、おれは、生き延びたんだな……
数時間前まで、この世の終わりかと思わせるほどの怒号と殺気、そして熟女たちの熱気に包まれていた路地裏の露店は、今や嘘のような物悲しい静寂だけが広がっていた。
床に虚ろな目を落とせば、主婦たちの軍勢に踏みにじられて無残に破れ去った値札のタグや、ちぎれた衣服の破片が、まるで激戦の後の死屍累々たる有様のようにゴミとなって散乱している。
押し寄せる人間の処理が物理的に全く追いつかなかったため、急遽そのへんの店から日当を弾んでバイトとして雇ったはずのスタッフたちは、全員が魂の抜けたような目で呆然と立ち尽くし、左右で完全にちぐはぐになった靴の片方を力なく拾い上げると、そっと首を振っては頭を抱え。
ふと道の端に目をやると、修羅と化した女性陣からの凄まじい圧力と圧迫に耐え切れず、胃の中身を全てぶちまけた状態で力尽き、ピクリとも動かなくなった腐乱死体が何体か転がっていた。
……このような愚行は、金輪際、二度と行いません。
経過は文字通り散々だったが、これで【商人】の転職解放条件である「10万ゴールドの売上」は確実に達成できたはずだ。
おれは命を賭して働いてくれたバイト達と、道端の腐乱死体たちに向かってそっと心の中で手を合わせると、仕入れた日用品の残骸を片付けながら転職の指輪のシステムを起動した。
「ステータスオープン」
アキヒロ
HP : 238/250(+20) MP : 35/35(+10)
SP : 211/220
STR : 30 DEX : 22 VIT : 25(+2) AG I : 24
INT : 1 MND : 6(+2) LUK : 3(+1)
【職業】
商人☆1(0/10) NEW
【職業履歴】
剣士☆3(89/500)、槍士☆3(39/500)、
戦士☆3(0/500)、武道家☆3(6/500)、
盗賊☆2(0/100)、騎士☆3(0/500)、
斥候☆2(0/100)、狩人☆1(0/10)
【スキル】
スラッシュ、回転切り、ダブルエッジ、シングルスラスト、足払い、三段突き、ラッシュ、地走り、アーマーブレイク、正拳突き、回し蹴り、チャクラ、スティール、解錠、ツインストライク、突撃、挑発、プロテクション、シールドバッシュ、気配察知、罠感知、気配遮断、暗視、鷹の目、追跡、夜目、罠設置、アイテム鑑定 NEW、査定 NEW
【所持金】
140820ゴールド
おいおいおいおい、待て待て待て。
なんで森のゴブリン村で大量のゴブリン共軍勢に包囲された時よりも、おれのHPがリアルに12も減ってるんだよ……っ!
あのおばさん達の肘打ちや体当たりは、もはやそのへんの凶悪モンスターの物理攻撃よりも殺傷力が高いんじゃないだろうか。
それになんだ、計算の金額も絶妙に合っていないぞ。
よく見たら、いくつかの商品はレジを通さずにどさくさ紛れでそのまま持って行かれてしまっているようだ。
おれは恐怖を込めて、あの一群をこれから【モンスター大特価災厄】と脳内図鑑に登録することにした。
今日の『習活』はここまでだな。
片付けをして宿に向かおう。
遠方の森から丸10日ぶりに帰って来て、門番と大揉めして、ポニちゃんと一戦交えて、泡娘を気絶させて、地震娘の振動にキレて、受付嬢にプチざまぁして、商店で爆買いして、最後は凶悪モンスターに襲われて……。
おれの精神と肉体は、もう完全にヘロヘロのクタクタ、限界のデッドラインを迎えていた。
お、そうこうしている内に、ようやく目星をつけていた一般向けの宿屋へと辿り着いた。
はぁ……やっと、やっとゆっくりフカフカの布団で寝られるぞ……
そういえばこの世界に来てからというもの、おれは一度もまともな部屋で寝ていなかった。
(初日は手枷付きの懲罰房、残りの9日間は森の湿った洞窟サバイバル)
すみません。1泊お願いします。
「すみませんお客様、本日は満席でして」
―――笑えよ。
あの後、おれは消えかけの命の灯火を消さないよう、疲れた体に無理矢理ムチを打ち、街中の他の宿屋を片っ端から巡った。だが、どういうわけか今日に限ってどこもかしこも満室。
藁にもすがる思いで冒険者ギルドに深夜の宿泊補助を求めて駆け込んだが、のけ反り返った受付嬢に「ハァ? そんな浮浪者を救済するような優しい施設、うちのギルドにはありませんけど? さっさと出て行ってください」と容赦ない罵声を浴びせられ、塩を撒かれるように追い出された。
行く当てもなく、ボロ雑巾のようになって夜の街を泣く泣くトボトボと歩いていたら、追い打ちをかけるように空からバケツをひっくり返したような大粒の大雨が降ってきて、おれは泣き泣き歩いた。
―――笑えよ。
どうすることもできず、冷たい雨に打たれながら完全に途方に暮れ、街中をあてもなく彷徨っていた。
すると、大通りに面した一際大きなお店に、立派な石造りの軒下があるのを発見した。
おれはその軒下の端っこの目立たない暗がりに転がり込むと、体育座りをしながら小さく蹲り、ただただ凍える身体を丸めて雨が止むのをじっと待っていた。
「―――あの、こんなところで、一体どうかされたんですか?」
不意に、頭上からあの鈴を転がすような優しい声が降ってきた。
冷たい雨のカーテンの向こう、おれがハッと顔を上げると、そこには豪奢な傘を差し、心配そうにこちらを覗き込んでいるポニーちゃんの姿があった。
―――た、た、助けてください……っ
重度のコミュ障であるおれが心の中でそう絶叫していると、どうやらここはポニちゃんの実家が経営している、この街一番の大商家の本店だったらしい。
おれがこの大雨の中で黄昏れていた情けない理由(宿難民)をボソボソと言い訳すると、彼女は「そんなっ! 冗談ではありません、ぜひ中に上がってください!」と強く手を引いてくれた。
心も肉体も限界を迎えていたおれは、その言葉に完全に甘えることにした。
おれはすぐに、大浴場のようなお風呂へと案内された。
温かいお湯に浸かって身体を洗うと、驚くべきことに、おれの身体から流した水が「完全に漆黒(」に変色して床を流れていった。
湯上がりには、信じられないほど美味しい贅沢な料理をこれでもかと分け与えてもらい、さらには「使っていない客室が余っていますから、よろしければここに泊まっていってください」とまで提案してくれた。
―――女神!!
おれは今、本物の本物の女神を目の当たりにしている!!
聞けば、彼女の両親は今、新しい商品の仕入れのために他の大都市まで遠征中らしく、現在は屋敷に不在とのことだった。
そのため、誰に気まずい挨拶をすることもなく、おれは親切な使用人の人に連れられ、今日泊まるためのフカフカの客室へと案内された。
天国のような柔らかいベッドに文字通り寝転がり、ポニちゃんへの最大限の感謝の念(南無阿弥陀仏)を脳内で唱えながら、急速に重くなっていく瞼に抗うことなく、おれはそのまま深い眠りにつこうとした。
―――コン、コン、コン。
静かな部屋に、控えめなドアのノック音が響いた。
おっと、こんな夜更けに誰か来たようだ。
おれは枕に溜まったヨダレを慌てて袖で拭き取りながら、「どうぞ、入ってください」と声をかけた。
ゆっくりと扉を開けて入ってきたのは、ポニちゃんだった。
彼女は昼間の白銀の鎧ではなく、ゆったりとした部屋着を身にまとっており、その赤髪のポニーテールが夜の明かりに美しく映えていた。
「夜分遅くに、突然すみません……」とお詫びを言ってきたので、おれは「いえいえ、全然大丈夫ですよ! それに、今回は本当に助かりました、ありがとうございます」と改めて精一杯の感謝を伝えた。
しかし、こんな時間に変なおっさん(17歳アバターだけど中身29歳無職)の部屋に来るなんて、何か急な用事でもあるのだろうか。
おれが「それで、何か用事でしょうか?」と不思議そうに尋ねると、彼女は「ええと、その……」と何かを言い淀んだまま、急に視線を下に落として何も喋らなくなってしまった。
部屋を支配する、とてつもなく、とてつもなく気まずい沈黙。
時計の針の音だけが虚しく響く中、丸々5分ほどの間、おれが「やべぇ、何か地雷でも踏んだか?」と妙な冷や汗を流していると――ポニちゃんは意を決したかのようにガッと顔を上げ、おれの目を真っ直ぐに見据えて答えた。
「――――――私を!
―――――――――あなたの旅に連れて行って頂けませんか!!」
断った。




