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自由のアリア  作者: カラノニジ
第十章:縁は縒り合う餞包む綾の布
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第88話:自由の代償

 

「……………」


 僕は顎に手を当て、沈黙する。



 周囲は固唾を飲んで、僕の次の言葉を待っている。


 テイラン、と名乗った男の直訴。



(これは考慮するに値する…)



 いや、法的に考えれば、この沙汰について考える必要など微塵もない。


 テイランが英雄的行いをしようが、ただの『脱走兵』であり、アリアンナの罪状はその『逃亡幇助』だ。


「脱走兵が実はいい奴だったから逃がしました」などという理屈は、軍法会議では一切まかり通らない。


 アリアンナの罪状は『逃亡幇助』および『命令違反』。対象である逃亡兵が戻ったところで、それが消えるわけではない。


 彼の言い分は、感情論に過ぎない。

 本来なら即座に却下すべき案件だ。



 だが――さらに大局的に、盤面全体を俯瞰してみれば。



(……なるほど、悪くない)


 僕の脳内で、バラバラだった情報が高速で結びついていく。


 この男の陳情は、僕にとって非常に有益な『最後のピース』――いや、すでに描き上げた絵画を飾るための『額縁』になりうる。



 必要なのは、事実の羅列ではない。

 大衆と貴族が好む、ドラマチックな『額縁』だ。



 カチリ……と全てが組み合わさる音がした。



 筋書きは、こうだ。


 戦場の過酷さに耐えきれず、一度は逃げ出した若き一兵卒。

 だが彼は、その罪を深く悔いた。

 軍に戻れぬ身と知りながらも、密かに鍛錬を続け、護衛という職に就き、贖罪の機会を探していた。


 そして今、このブラックロックマウンテンにおいて、魔族が生み出した生物兵器〈エヴォルタス〉の脅威に晒された時――彼は逃げなかった。

 軍が到着するまでの間、たった一人で化け物の群れに立ち向かい、その身を盾にしてイドリア国民を守り抜いたのだ。



 ……完璧だ。



 高々、平民の一兵卒の一度の過ちを赦すには、その程度のエピソードがあれば十分だ。


 得てして民衆や貴族というものは、そういった誉れ高い人情話に『弱い』。


 これを皇族の強権だという者は居まい。



 そして、ここからが重要だ。



 その『英雄的な平民』の罪が恩赦によってなくなれば、どうなる?


 当然、メルジュエル家に下されていた『処刑任務』は、その対象を失う。

 対象がいなくなれば、任務の遂行は不可能だ。


 長らく『保留中』であった処刑任務を白紙に戻すことで、アリアンナにかかる『逃亡幇助』や『命令違反』の罪状自体が、根底から揺らぐ。


 少なくとも、後の英雄を殺さなかったという情状酌量の余地が生まれる。


 そうなれば、国内の歩調を乱す中流貴族連中もまとめて黙らせることができる。


「魔族の兵器から民を守った英雄を処刑せよ」などと叫べば、それこそ彼らの品位と支持を落とすことになるからだ。

 ついでに、目の前で今にも爆発しそうなイシュカが暴れる理由もなくなる。


 この案の最も素晴らしい点は、問題の焦点をアリアンナ・メルジュエルという政争の火種である貴族から、テイランというただの平民一兵卒の沙汰にずらしていることだ。


 皇族である僕が、アリアンナの罪状について直接的に口出しすれば、軍部と貴族に対して後々面倒なしこりを残す。

 依怙贔屓だと批判も出るだろう。


 だが、「民を守った名もなき英雄に慈悲を与える」という形なら?

 それは皇族としての徳であり、軍の士気を高める美談となる。


 既に、僕自身の『勝ち』は揺るがない。

 勝負は決している。今はもう『どう美しく勝つか』という段階だ。


 この平民一兵卒のたった一度の過ちを許す。

 たったそれだけのことで、ドミノ倒しのように連鎖的に、全ての懸念を払拭できる。

 より美しく盤面を整理できる。


 僕は眼鏡の奥で、誰にも気づかれないように目を細めた。



「……ふむ」



(どうせ勝つのなら、美しく勝つ方が気分がいい、か……)



 僕は一つ頷き、ゆっくりと口を開いた。


「顔を上げたまえ、テイラン・アトランジオ」


 僕の声が、静まり返った戦場跡に響く。

 テイランは尚も頭を伏せたまま沙汰を待つ。


 兵の一人が顔を上げるように促そうとするが、僕はそれを一言で制す。


「構わない」


 軍団長が頷き、兵士たちが緊張する。アリアンナが息を呑む気配がした。

 僕は一拍置いて、言葉を続ける。


「貴君の陳情、しかと聞き届けた。……だが」


 僕は言葉を区切る。周囲の空気が張り詰める。


「貴君の申告した脱走の罪。軍法に照らせば、本来は極刑に値する」


 セドリック軍団長が、処刑の命令を待って身構える。


 だが、僕が紡いだのは、彼らの予想を裏切る言葉だった。



「しかし、だ。国を守るために盾となり、民を生かすために己の命を投げ出した者を処刑する法は、このイドリア帝国には存在しない」



「……え?」



 テイランがようやく顔を上げ、目を丸くする。

 思考が追いついていない彼に、僕は畳み掛けるように言葉を重ねる。


「貴君は此度、魔族が生み出した生物兵器〈エヴォルタス〉の脅威に対し、単身で立ち向かった。己の命を顧みず、逃げ遅れた民を守り、軍が到着するまでの時間を稼ぎきったその功績は、多大なものである」


 オロンたち鉱夫、そして現場の惨状を見た兵士たちが、無言で頷いている。


 そうだ、この男は罪人ではない。

 英雄なのだと、場の空気が完全に塗り替えられた。


 空気はできている。

 あとは、仕上げだ。


「よって、その英雄的行動に免じ、脱走の罪を不問とする。テイラン・アトランジオ。本日ただいまをもって、貴君のイドリア帝国軍への帰属と復隊を認める!」


 わっ、と爆発するような歓声が上がった。


 兵士たちが剣を掲げ、ドワーフたちが手を叩く。


「……あ、ありがとうございますっ!!」


 テイランが目を見開き、震える声で嗚咽を漏らしながら、深く頭を垂れた。

 その背中に、ドスッ! と重い衝撃が走る。



「やったな! 若ぇの!!」



「ぐえっ……い、っててて……」



 オロンが涙ぐみながら、テイランの背中をバシバシと叩いている。


 怪我人に容赦がない。


 そこへ、もう一人の男が歩み寄る。


「まったくだ。とんだ護衛を雇っちまったもんだ」


 〈運び屋ウィンランド〉の親方だ。

 彼は呆れたように肩をすくめると、テイランの肩をポンと叩いた。



「積荷の護衛を放っぽり出したんだ、おまえはクビだよ。……軍でもどこでも、好きにしな!」



「親方ァ……っ」



 ウィンランドなりの、不器用な送り出しの言葉。

 テイランは顔をくしゃくしゃにして、何度も何度も彼らに頭を下げた。



 ……感動的だな。

 民衆は英雄を讃え、罪人は赦され、大団円だ。



 彼の罪を恩赦するだけでなく、軍へ戻すのには理由がある。


 貴族どものやっかみを一手に集めるための……わかりやすい(デコイ)だ。


 英雄としてのしがらみ。


 それが彼の代償だ。



(これで、一つ)


『アリアンナの罪の根源』は消滅した。


 英雄を処刑しなかった慈悲深い皇族と、寛大な軍部という評価も得られる。



 だが、これで終わりではない。

 ここからが本題だ。


「さて、アリアンナ・メルジュエル」


 僕は視線をアリアに移す。

 イシュカが「変なこと言ったら燃やすわよ」という目で僕を睨んでいる。



(……やれやれ、怖い怖い)



「逃亡兵が存在しない以上、貴様の『逃亡兵の逃亡幇助』という罪状も成立しない。また、長らく『保留』となっていた逃亡兵の追跡処断の任についても、この未曾有の事態における民間人保護活動を優先した結果と判断し、不問とする」



「なっ…」



 アリアンナの顔が驚愕に見開かれる。

 まさか、そんな詭弁が通じるのか、という顔だ。


 通じるさ。


 通す相手を選べばね。



「セドリック軍団長」



「は、はっ!」



 まさか皇子殿下が自分の名前を覚えているとは思わなかったのか、一瞬遅れながらも慌てて返事をする。


「アリアンナ・メルジュエルの罪状は『逃亡兵の幇助』だ。だが、その対象であるテイランは、今や罪を償い、軍に復帰した英雄だ。……存在しない『逃亡兵』を幇助する罪など、成立し得ない」


 セドリック軍団長が目を白黒させる。


 屁理屈だ。


 だが、もはや軍部にとって、アリアンナへの処罰は面目を保つためのものでしかない。


『一度は捕らえた』という事実と、『英雄テイランを処罰しなかった』という言い訳さえ用意されれば、メンツは保たれ、『寛大な軍部』という評価が得られる。


 皇族の裁定に逆らってまで、処罰を強行する理由もない。


 そして何より――セドリック軍団長個人としても、アリアンナを捕縛した当事者となれば、貴族たちからのやっかみや、メルジュエル派からの報復を受けることを理解している。


 誰だって貧乏くじ(ババ)は引きたくないのだ。



「そ、その通り……であります! 罪状の前提が崩れた以上、アリアンナ・メルジュエルの拘束根拠は消失するかと……!」



「よって、メルジュエル家への追討任務も白紙撤回だ」



「はっ!」



 セドリック軍団長の剣が鞘に納められる。


(これで、二つ)


 アリアンナとイシュカが、信じられないものを見る目で僕を見ている。

 同時に、怪訝そうな顔をしている。


 話が上手すぎる、と思っているのだろう。

 その通りだ。タダで逃がすつもりはない。


 僕には守るべき秘密がある。

 もし彼らが国内に留まり、今回の件を嗅ぎ回れば、僕の『魔法金属実験』や『ロックドレイクの持ち込み』といった事実に辿り着く可能性がある。


 これらが僕の研究であると露見することは、特にイシュカや母上に知られるわけにはいかない。


 ならば、どうするか。

 答えは簡単。『厄介払い』だ。


「とはいえ、だ。アリアンナ。君が軍律を乱し、混乱させた事実は変わらない」


 僕が厳かに告げると、彼女が身構える。



「その責任は取ってもらう必要がある」



「……はっ!」



 アリアンナは恭しく膝をつき、頭を下げて次の言葉を待つ。



「よって……貴君らパーティ〈ジョーカー〉を、魔族グァマの計画を未然に防いだ功績をもって、〈金等級〉への昇格を推薦する」



「………は?」



 アリアンナは呆けた顔をしている。


 いくら僕でも、ギルドの内部の人事にまで口を出す権利はない。

 だが、ギルドとて実際の功績も伴っている以上、僕の推薦を無下には出来ない。


 だからこの推薦は確実に通る。


 本来なら何年もかけて到達する地位を、この一言で与えてやるのだ。感謝してほしいものだね。



 ……そう無茶を言っているわけではないさ。

 総合力で言えば、相応しいだけの実力はある。

 ほんの少し……下駄を履かせてやるだけだ。



「魔族グァマは国境を越え、〈ガルドア王国〉へ逃げ込んだ。すぐにでも追っ手を向けなくてはならないが、軍隊が国境を越えれば戦争になる。だが、冒険者ギルドの依頼という形であれば、他国での活動も許容される」


 彼らがガルドア王国でグァマを追い回してくれれば、全ての罪はグァマに被せられる。

 僕への捜査の手は完全に途絶える。



「へぁっ!? き、金等級ですかぁ!?」



「やりましたわね、みなさまっ! 流石はイレイル様ですわ! 見る目がありますわっ!」



「わー! おめでとー!」



「まあ、ボクがいるんだ。妥当なところだろうね」



「……」ゴソゴソ……


 本人らはコソコソとしゃべっているつもりだろうが、この静かな空間では、はっきりと聞こえる。



「ん、ガロード、そのクッキーあたしにもちょーだい!」



「……」



 嫌そうな顔をしながら手渡す。

 クッキーを広げるガロードに周囲が身構えるが、皇女が率先して食べることで誰もその不敬を追及できなくなった。


 ……全く、自由な連中だ。


「コホン……」


 僕はわざとらしく咳払いをして、空気を引き締める。


「逃亡した魔族、グァマ。奴は今回の事件の首謀者であり、数々の非人道的な実験を行った大罪人だ。放置はできない……」


 この一連の騒動の全責任は、あの逃げた魔族グァマに擦り付ければいい。

 そして、その真実に唯一到達しうる可能性を持った〈ジョーカー〉を、あの魔族を追わせるという名目で、ほとぼりが冷めるまでイドリア国外へ追放する。


 これはアリアンナを生かすための温情措置であり、同時に、僕の秘密を守るための追放処分だ。



「金等級パーティ〈ジョーカー〉。そして、そのリーダー『〈ババ抜き〉のアリア』。その権限と実力をもって、ガルドア王国へ『使者』として入国し、魔族グァマを追跡・討伐せよ」



(これで、三つ)



 ……これは『勅命』だ。


 提案ではない。拒否権のない、皇族からの絶対命令。


「謹んでお受けいたします…っ」


 アリアンナの……怒りを堪えて苦虫を噛み潰したような複雑な顔を見て、僕の長らく固まっていた表情筋が、わずかに緩んだ。


「書状は追って届ける」


 僕はアリアンナの耳元に顔を寄せ、誰にも聞こえない声で、囁いた。


「励むといい。……期待しているよ。〈ババ抜き〉のアリア」


 坑道では散々無茶をさせられたからね。これくらいの仕返しは構わないだろう?



「ふふっ、やればできるじゃない、イレイル!」



(……四つ)



 イシュカの機嫌もひとまず直ったようだ。


「全く……次はないからね」


 僕は委細を詰めるべく、セドリック軍団長の元へと歩いていく。




 さあ、行きたまえ。



 僕の目の届かない、遥か遠くの空へ。



 それが、君が望んだ「自由」の代償だ。



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