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自由のアリア  作者: カラノニジ
第十章:縁は縒り合う餞包む綾の布
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第87話:直訴

 

「……さて、何のことかな」


 僕は表情一つ変えず、とぼけてみせた。


(ああ……これはまずい……)


 思った以上にイシュカはアリアンナに入れ込んでいるようだ。


 僕の頭の中を全て見透かし読み取ったとばかりに顔を怒りに染め、理屈が通じない「爆発」の予感が、肌を刺した。


「待ちなさいっ! あたしの友達を勝手に連れて行こうなんて、あたしが許さないわ!」


 ドォッ!!


 イシュカの全身から、凄まじい魔力の奔流が噴き出した。


 熱波が周囲を圧迫し、兵士たちが悲鳴を上げて後退る。


 ただの駄々っ子ではない。この国でも指折りの戦力、最強の火力を有する〈爀熱〉のイシュカだ。

 ここで暴れれば、軍隊など消し炭になる。


「それに……」


 イシュカは不敵に笑い、あろうことかアリアの隣に立った。



「こっちについた方が、面白そうだもの!」



「イシュカ……」



 僕は眼鏡の位置をそっと直す。

『わがまま』というには、あまりに短絡的かつ危険すぎる。

 国軍が罪人を捕らえようとしている場において、皇族が『面白いから』という理由で軍務の執行妨害どころか、反逆を行おうとしているのだ。


 これは交渉ではない。

 この辺り一面を焦土にしてもいいのなら断ってみろという脅しだ。


 だが、こればかりは僕も譲る気はない。

 アリアンナの命一つで中長期的な国益を守ることができるのだ。

 この場が焦土になったとて、お釣りがくる。


 静かに魔力を練り上げる。洞窟内での再現だ。

 この暴走する姉を、周囲への被害を最小限に抑えつつ、いかにして無力化し取り押さえるか。


(イシュカはしばらく口を利いてくれなくなるだろうけれどね……)


 今後の事後処理に追われることを考えれば、それもまた良し。



 睨み合う僕とイシュカ、そして帝国軍と〈ジョーカー〉。


 その張り詰めた糸を断ち切ったのは、アリアだった。


「わりぃ……エステル。それから皆も」


 アリアが、ぽつりと呟くと、静かに両手を上げた。

 軍団長の前に立ち、両手を差し出す。



「おう、連れてけ。……煮るなり焼くなり好きにしろ」



「はぁ? アリア……! 何言ってんの!?」



 イシュカが叫ぶ。



 ……アリアンナはちゃんとわかっている。



 これ以上騒げば、〈ジョーカー〉の仲間が巻き込まれる。

 それは彼女が最も避けたいことだろう。

 ここで自分が捕まれば、全て丸く収まるのだ。


「……」


 僕は沈黙したまま、連行されるアリアを冷ややかな目で見送った。


 盤面は決した。



 これにて終局。


 ――そう、確信した時だった。



「ま、待ってくれ!!」



 ────

 ────


 張り詰めた空気を切り裂くように、雑踏を掻き分け、転がるようにして飛び出してくる男がいた。


「なっ、何でお前がここにっ!?」


 俺は驚愕に目を見開く。


 テイランだ。


 だが、その姿はあまりにも凄惨だった。


 疲労困憊で足元はおぼつかず、泥にまみれている。

 額や腕には簡易的な包帯が巻かれ、目立った外傷はふさがっているものの、全身にこびりついた乾いた血と、破損した装備が、ただならぬ死闘があったことを雄弁に物語っていた。


 そして何より、その全身を濡らす、ドス黒い夥しい返り血。

 それはあの異形の怪物、〈エヴォルタス〉の血だ。


(テイラン……お前……!)


 俺の中で、点と点が線で繋がる。

 そうだ。あれだけの数の〈エヴォルタス〉の死骸が転がっているにしては、周囲のドワーフたちや鉱山職員に怪我人が少なすぎる。


 軍がすぐに駆けつけて制圧したのかと思ったが、それにしては地形が変わるほど周囲が破壊されすぎている。


 ……ということは、軍が来るまでの間、あの群れを食い止めていた奴がいたのだ。


 テイランが、〈エヴォルタス〉を抑えていた。


 そう言われれば、全ての辻褄が合う。

 未練がましくも鍛錬は続けていたという話は、本当だったらしい。



(無茶しやがって……本当に、変わってねぇよお前は……)



「お、おい貴様! 下がっていろ!」



 兵士が剣を向けるが、テイランは止まらない。


 俺に視線を合わせることすらなく――いや、あえて無視するように通り過ぎ、ただ一直線にある人物の元へと向かう。


 イレイルだ。

 この場の最高権力者である皇子に対し、テイランはドサリと膝をつき、頭を垂れた。



「じ…直訴いたしますッ!!」



「なっ……!?」



 俺は驚愕に顔を歪める。皇族への直訴。

 そんなことをすれば、どうなるかなど……。


 不敬と取られれば、その場で首が飛んでもおかしくない。ましてや相手は、あの腹黒だ。

「やめろ」と、喉まで出かかった声を、俺は必死に飲み込んだ。ここで俺が騒げば、テイランの覚悟ごと台無しになる。


 拳を握りしめ、ただ見守ることしかできない。


 ……あの日、あいつの遠ざかる背中を見送った時と同じように。



「……聞こう」


 イレイルが静かに促す。

 テイランは顔を上げ、血と泥に汚れた顔で、しかし真っ直ぐな瞳で告げた。



「俺、いや、私の名前は『テイラン・アトランジオ』。このアリアンナ・メルジュエルが取り逃がしたとされる、逃亡兵本人であります!!」



 自白。


 その場にどよめきが走る。

 逃亡兵といえば、アリアンナの罪の根源。

 その当人が、自ら姿を現したのだ。


「脱走した責任は、逃げ出した私自身にあります。私が捕まれば、アリアンナに罪はありません!」


 テイランは叫ぶ。


 アリアンナの罪状は『逃亡幇助』。

 たとえ本人が出頭したとしても、過去に逃がした事実は消えない。


 ……法的にはまかり通らない理屈だ。


 だが、テイランは止まらない。


「私は脱走したことをずっと後悔していました……! 逃げて、なお、未練がましくも、いつか軍に戻るべく鍛錬を続けておりました! この身が朽ちるまで、国のために戦う所存でした! 故に……!」


 彼は肺の底から、血を吐くような声で覚悟を叫んだ。



「罰せられるのであれば! 脱走兵としてではなく……『軍人』として処刑されたいッ!!」



「……ッ」



 包囲していた兵士たちの剣先が、迷うように揺れる。

 目の前の男は、本当に斬るべき罪人なのか……そんな動揺が伝播していく。

 その鬼気迫る陳情に、軍団長すらも息を呑み、口を挟めずにいた。


「そうだぜっ!! コイツがたった一人で! あのバケモンどもの群れを抑えてたんだ!! 軍に代わってよぉ!!」


 脇からオロンが声を張り上げる。

 オロンに続いて、手当てを受けていた鉱夫までもが、身を起こして叫んでいた。


 兵士たちの間にも、ざわめきが広がっていく。


 彼らとて見ているのだ。

 積み上げられた死骸の山を。

 刺し貫かれた無数の傷跡を。

 それを成した男が今、目の前で膝をつき、死に場所を乞うている。



 民を守るために怪物と戦い、満身創痍になりながらも、友を庇うために死を願う。



 その姿は、罪人などではない。


 誰よりも気高く、誇り高い「イドリア軍人」の姿そのものだった。



 静寂の中、全ての視線が、ただ一人へと注がれている。


 この場の生殺与奪を握る男――イレイル皇子へと。


 奴は顎に手を当てたまま、微動だにしない。


 眼鏡の奥の瞳が何を映しているのか、俺には読めなかった。


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