第87話:直訴
「……さて、何のことかな」
僕は表情一つ変えず、とぼけてみせた。
(ああ……これはまずい……)
思った以上にイシュカはアリアンナに入れ込んでいるようだ。
僕の頭の中を全て見透かし読み取ったとばかりに顔を怒りに染め、理屈が通じない「爆発」の予感が、肌を刺した。
「待ちなさいっ! あたしの友達を勝手に連れて行こうなんて、あたしが許さないわ!」
ドォッ!!
イシュカの全身から、凄まじい魔力の奔流が噴き出した。
熱波が周囲を圧迫し、兵士たちが悲鳴を上げて後退る。
ただの駄々っ子ではない。この国でも指折りの戦力、最強の火力を有する〈爀熱〉のイシュカだ。
ここで暴れれば、軍隊など消し炭になる。
「それに……」
イシュカは不敵に笑い、あろうことかアリアの隣に立った。
「こっちについた方が、面白そうだもの!」
「イシュカ……」
僕は眼鏡の位置をそっと直す。
『わがまま』というには、あまりに短絡的かつ危険すぎる。
国軍が罪人を捕らえようとしている場において、皇族が『面白いから』という理由で軍務の執行妨害どころか、反逆を行おうとしているのだ。
これは交渉ではない。
この辺り一面を焦土にしてもいいのなら断ってみろという脅しだ。
だが、こればかりは僕も譲る気はない。
アリアンナの命一つで中長期的な国益を守ることができるのだ。
この場が焦土になったとて、お釣りがくる。
静かに魔力を練り上げる。洞窟内での再現だ。
この暴走する姉を、周囲への被害を最小限に抑えつつ、いかにして無力化し取り押さえるか。
(イシュカはしばらく口を利いてくれなくなるだろうけれどね……)
今後の事後処理に追われることを考えれば、それもまた良し。
睨み合う僕とイシュカ、そして帝国軍と〈ジョーカー〉。
その張り詰めた糸を断ち切ったのは、アリアだった。
「わりぃ……エステル。それから皆も」
アリアが、ぽつりと呟くと、静かに両手を上げた。
軍団長の前に立ち、両手を差し出す。
「おう、連れてけ。……煮るなり焼くなり好きにしろ」
「はぁ? アリア……! 何言ってんの!?」
イシュカが叫ぶ。
……アリアンナはちゃんとわかっている。
これ以上騒げば、〈ジョーカー〉の仲間が巻き込まれる。
それは彼女が最も避けたいことだろう。
ここで自分が捕まれば、全て丸く収まるのだ。
「……」
僕は沈黙したまま、連行されるアリアを冷ややかな目で見送った。
盤面は決した。
これにて終局。
――そう、確信した時だった。
「ま、待ってくれ!!」
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────
張り詰めた空気を切り裂くように、雑踏を掻き分け、転がるようにして飛び出してくる男がいた。
「なっ、何でお前がここにっ!?」
俺は驚愕に目を見開く。
テイランだ。
だが、その姿はあまりにも凄惨だった。
疲労困憊で足元はおぼつかず、泥にまみれている。
額や腕には簡易的な包帯が巻かれ、目立った外傷はふさがっているものの、全身にこびりついた乾いた血と、破損した装備が、ただならぬ死闘があったことを雄弁に物語っていた。
そして何より、その全身を濡らす、ドス黒い夥しい返り血。
それはあの異形の怪物、〈エヴォルタス〉の血だ。
(テイラン……お前……!)
俺の中で、点と点が線で繋がる。
そうだ。あれだけの数の〈エヴォルタス〉の死骸が転がっているにしては、周囲のドワーフたちや鉱山職員に怪我人が少なすぎる。
軍がすぐに駆けつけて制圧したのかと思ったが、それにしては地形が変わるほど周囲が破壊されすぎている。
……ということは、軍が来るまでの間、あの群れを食い止めていた奴がいたのだ。
テイランが、〈エヴォルタス〉を抑えていた。
そう言われれば、全ての辻褄が合う。
未練がましくも鍛錬は続けていたという話は、本当だったらしい。
(無茶しやがって……本当に、変わってねぇよお前は……)
「お、おい貴様! 下がっていろ!」
兵士が剣を向けるが、テイランは止まらない。
俺に視線を合わせることすらなく――いや、あえて無視するように通り過ぎ、ただ一直線にある人物の元へと向かう。
イレイルだ。
この場の最高権力者である皇子に対し、テイランはドサリと膝をつき、頭を垂れた。
「じ…直訴いたしますッ!!」
「なっ……!?」
俺は驚愕に顔を歪める。皇族への直訴。
そんなことをすれば、どうなるかなど……。
不敬と取られれば、その場で首が飛んでもおかしくない。ましてや相手は、あの腹黒だ。
「やめろ」と、喉まで出かかった声を、俺は必死に飲み込んだ。ここで俺が騒げば、テイランの覚悟ごと台無しになる。
拳を握りしめ、ただ見守ることしかできない。
……あの日、あいつの遠ざかる背中を見送った時と同じように。
「……聞こう」
イレイルが静かに促す。
テイランは顔を上げ、血と泥に汚れた顔で、しかし真っ直ぐな瞳で告げた。
「俺、いや、私の名前は『テイラン・アトランジオ』。このアリアンナ・メルジュエルが取り逃がしたとされる、逃亡兵本人であります!!」
自白。
その場にどよめきが走る。
逃亡兵といえば、アリアンナの罪の根源。
その当人が、自ら姿を現したのだ。
「脱走した責任は、逃げ出した私自身にあります。私が捕まれば、アリアンナに罪はありません!」
テイランは叫ぶ。
アリアンナの罪状は『逃亡幇助』。
たとえ本人が出頭したとしても、過去に逃がした事実は消えない。
……法的にはまかり通らない理屈だ。
だが、テイランは止まらない。
「私は脱走したことをずっと後悔していました……! 逃げて、なお、未練がましくも、いつか軍に戻るべく鍛錬を続けておりました! この身が朽ちるまで、国のために戦う所存でした! 故に……!」
彼は肺の底から、血を吐くような声で覚悟を叫んだ。
「罰せられるのであれば! 脱走兵としてではなく……『軍人』として処刑されたいッ!!」
「……ッ」
包囲していた兵士たちの剣先が、迷うように揺れる。
目の前の男は、本当に斬るべき罪人なのか……そんな動揺が伝播していく。
その鬼気迫る陳情に、軍団長すらも息を呑み、口を挟めずにいた。
「そうだぜっ!! コイツがたった一人で! あのバケモンどもの群れを抑えてたんだ!! 軍に代わってよぉ!!」
脇からオロンが声を張り上げる。
オロンに続いて、手当てを受けていた鉱夫までもが、身を起こして叫んでいた。
兵士たちの間にも、ざわめきが広がっていく。
彼らとて見ているのだ。
積み上げられた死骸の山を。
刺し貫かれた無数の傷跡を。
それを成した男が今、目の前で膝をつき、死に場所を乞うている。
民を守るために怪物と戦い、満身創痍になりながらも、友を庇うために死を願う。
その姿は、罪人などではない。
誰よりも気高く、誇り高い「イドリア軍人」の姿そのものだった。
静寂の中、全ての視線が、ただ一人へと注がれている。
この場の生殺与奪を握る男――イレイル皇子へと。
奴は顎に手を当てたまま、微動だにしない。
眼鏡の奥の瞳が何を映しているのか、俺には読めなかった。




