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自由のアリア  作者: カラノニジ
第十章:縁は縒り合う餞包む綾の布
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第86話:これにて終局

 

 ───

 ──


 崩れ落ちた岩肌の隙間から、湿り気を帯びた風が吹き込んでくる。

 その先に消えた魔族の気配を探るが、完全に断たれていた。


(逃した、か……)


 僕は崩落した坑道の断面を見上げる。

 おそらくは、あの密閉された空間でイシュカの極大爆発から逃れるために、〈オーバードーズ・エヴォルタス〉の巨体を盾にし、余波を空間魔法で逸らしたのだろう。


 そして、逃走経路となる一点に爆圧を集中させ、膨張しきる前に風穴を空けた。


 圧力が外へ逃げたことで、ギリギリ首の皮一枚繋がったというわけだ。


「まったく、しぶとい」


 だが、収穫はあった。

 〈鐵喰い〉の元となった変異ロックドレイク。あれを僕の研究施設から盗み出したのは、やはりグァマで間違いなかったようだ。


 本来なら、僕の研究に繋がりうる芽はここで完全に摘んでおきたかったのだが……イシュカの火力で倒しきれなかったのだから仕方ない。


 それに奴は「人間の私利私欲で実験動物にされていた」と評していた。あの施設の本来の目的までは知らないようだった。

 なら、これ以上深追いするのは、外交問題という別のリスクが高まるだけだ。ならば……。


「待って、シュカ」


 僕は先んじて走って行ったイシュカとアリアを呼び止める。


「外の気候、植生、景観からいって……ここから先は〈ガルドア王国〉領だ」


 ……あの魔族には、ロックドレイクを帝国領に流入させた犯人として、このまま逃亡してもらおう。



 シナリオはこうだ。


 〈鐵喰い〉は魔族が生み出した実験体であり、秘密裏にこのブラックロックマウンテンへ運び込まれた。


 その〈鐵喰い〉を使って鉱山を掘り進めさせ、非人道的な実験場を作りだした。


 偶然にも採掘場とこの洞が繋がったことで、調査依頼が発生。アリアとガロードが〈鐵喰い〉を倒した。



 ……完璧だ。


 これで、軍部が〈鐵喰い〉を倒した『アリア』から、僕の研究へ辿り着く線は消える。

 魔族がうまく(デコイ)として働いてくれるはずだ。



「え~」



「ちっ、しゃーねぇ……」



 不満げな声を上げるイシュカと、舌打ちするアリア。


 〈ジョーカー〉の面々が集まり、互いの健闘を讃え合い、緊張感のない会話をしているのを遠巻きに眺める。



 ふと、この鉱山へ来る前の「お弁当会」での会話を思い出した。



『アリアンナ……今の方が、楽しいかい?』



 僕の問いに、彼女は『まぁな』と答えた。



 メルジュエルとしての責務。誇り。

 それを捨て、自由を求めたアリアンナ。



 軍に追われ、必死の逃亡を続け、新たな仲間と出会い、友情を築き、冒険をしてきた。



 ……本人は、そう思っているだろう。



 だが、現実は少し違う。



 一介の軍人、あるいは貴族令嬢一人を、なぜ軍が捕縛しきれなかったか。


 それは、メルジュエル家を失脚させるため、引き延ばしに躍起になった中流貴族連中の度重なる妨害工作と、軍部との対立があったからだ。


 そして、その隙間を縫うようにメルジュエル家……いや、アリアンナの父――ソーリウス・メルジュエルが裏で手を回し、アリアンナを逃がすための涙ぐましい努力を続けてきたからだ。


 この奇妙な政争のバランスこそが、アリアに仮初の自由を与えていただけに過ぎない。



 ……皮肉な話だ。



 飛び出した鳥籠の外は、自由な大空ではなく……。



 ――ただの「閉め切られた部屋の中」だったわけだ。




「はぁ~あ、あたしもあんな風に、自由に遊びたいなぁ……」


 アリアたちを見つめながら、イシュカがこぼす。


「……それは難しいね」


『僕ら』のように立場ある人間は、それを放棄することすら許されない。

 たとえ鳥籠の中であっても、そこで歌い続けることが義務付けられている。


「わかってるわよ……」


 ふぅ、と唇を尖らせるイシュカ。

 その横顔を見て、僕はふと尋ねた。



「イシュカ……」



「なぁに?」



「楽しかったかい?」



「ええ、とっても!」



 イシュカは即答し、曇りのない満面の笑みを僕に向けた。


「なら、よかったよ」


 それは、偽らざる本心だ。


 アリアンナの選んだ道は修羅の道だ。

 『自由』という名の幻想を追いかけ、最後には行き止まりの壁にぶつかる。


 僕は、イシュカには『アリア』と同じ思いはさせたくない。


 守らなければならない。


 どんな手を使っても。


「さて……そろそろ戻ろうか」


 僕は静かに眼鏡の位置を直し、出口へと歩き出した。


「そうだな。外の様子も気になる」


 同意するアリアの顔は険しい。

 アリアも察しているだろう。

 外であの〈エヴォルタス〉が暴れているのであれば、民間人では対処することは難しい。

 犠牲は少なくないだろう。


 そして……。


 そのような状況であれば軍は間違いなく出てくる。


 例の妨害工作のおかげで大々的な捜査が封じられ、詳細な手配書は出回っていない。


 情報にあるのは名前と背格好程度のものだ。


 だから、もしかしたら切り抜けられるかもしれない。


 ……心のどこか奥底で、そんな甘い一縷の希望を抱いているかもしれない。


(……そう、甘くはないだろう)


 辺境とはいえ、ガルドア王国との国境に接するこのブラックロックマウンテンは、イドリア帝国においても軍事上の要所の一つだ。


 配置されているのは、軍団長クラスの指揮官である可能性が高い。一兵卒ならいざ知らず、要所を任されるほどの将校だ。

 中央の貴族事情にも明るいだろうし、何より、軍部と関わりの深いメルジュエル家の顔を知らぬはずがない。


 鉢合わせれば、今度こそ逃亡は叶わない。


 僕は積極的に介入しない。

 僕はもう『勝利条件』を満たし終わったからね。



 ……残念だが、アリアンナ。



 君の自由は、この暗い虚ろの底でおしまいだ。



 ───

 ──


 外に出た僕たちの眼前に広がっていたのは、生々しい戦場の跡だった。

 すでに軍が事後処理を始めているようだが、ひび割れた地面、砕けた瓦礫、そして積み上げられた〈エヴォルタス〉の死骸の山が、その激闘を物語っていた。


(石の棒……いや、槍か?)


 瓦礫の中に、いくつか人工的な加工の施された、粗雑な石造りの武器の破片が混じっている。

 観察すれば、〈エヴォルタス〉の死骸のほとんどが、斬撃ではなく刺突によるダメージで絶命している。


 ……軍の剣による傷ではない。


(どうやら、軍は間に合わなかったようだね……)


 そこへ、一人の男が前に出てきた。

 黒鉄の鎧。太陽の描かれたエンブレム。腰には長剣を佩いている。


(……思った通り)


 セドリック・ヘインズ軍団長。

 僕の脳内にある人物名鑑が、即座に照合を完了する。

 突出した能力こそないが、現場指揮から交渉まで卒なくこなし、部下からの信頼も厚い……。


 教科書通りの優秀なイドリア軍人だ。


 惜しむらくは――。

 優秀であることこそが、ここにいるアリアンナにとっては救いにならないという点だが。


「貴様ら何者だ、何故ここに居る……」


 セドリック軍団長が口を開きかけた、その瞬間。

 彼の目が、大きく見開かれた。


「ま、まさか――き、貴様!? 『アリアンナ・メルジュエル』!?」


 それは、ただの脱走兵の名ではない。

 軍の威信を揺るがした、大罪人の名だ。

 即座に抜刀音が響き、軍の警戒レベルが跳ね上がる。

 こうなってしまえば、アリアンナはもう手詰まりだろう。


 あの時、あの洞窟の奥底でガルドア王国に向け、一人で走って逃げてくれていれば、僕も積極的に追いはしなかった。


 ………。


(いや……イシュカがついていくと駄々を捏ねそうだから、結局は捕縛したかもしれないけれど)


 ――だが彼女は、律儀にも安否確認のために入口まで戻ってきた。


 ずいぶんと甘い。


 ……いや、手にした繋がりを土壇場で捨てられなかったか。


 因果なものだ。

 自由を求め、手に入れたものが自分を縛る不自由()になるのだから。


(……さて、あとはイシュカが駄々を捏ねなければいいのだけれどね)


 などと考えている間に、僕の隣から気配が消えていた。

 視線を戻せば、赤い影がすでに兵士の前に立っている。



(ああ、もう……)



「ちょ、ちょっと待ちなさいよアンタたち!!」



 イシュカは被っていたフードを勢いよく取り払って、アリアを庇うように立ち塞がると、腰に手を当てて兵士たちを睨みつけた。



「アリアンナって誰よ? 人違いじゃない? いきなり剣を向けるなんて失礼しちゃうわ!」



「イ、イシュカ皇女殿下!?」



 驚愕の声が、静まり返った場に響き渡る。


 僕は、自分でもわざとらしいと思うほど重いため息をつき――「皇子」の仮面を被り直す。

 どうせ僕たちの顔も割れている。こうなることは想定内だ。


「はぁ……やれやれ、やはりこうなったか……」


 僕は観念したように眼鏡の位置を直しながら、おずおずと歩み出る。


「イ、イレイル皇子殿下も!?」


 セドリック軍団長は、何が何だか分からないという顔で硬直していた。



「で、殿下……何故このような場所に……」



「お忍びだよ。……もっとも、もう忍べていないがね」



 僕は淡々と答える。


 軍団長は脂汗を流しながらも、職務への忠誠心でなんとか踏みとどまり、確認を取る。

 不測の事態でもきちんと処理しようとする姿勢は評価できる。やはり優秀だ。


「し、しかし殿下! この女は軍律を破り、逃亡兵の逃亡幇助をした罪で手配中の『アリアンナ・メルジュエル』です! いかな殿下の御友人といえど、こればかりは……身柄を確保させていただきます。……よろしいですか?」



 確認。



 僕がそれを知っていたか。


 僕が公私を分け判断するのか。


 個人として、軍部として確認している。



「――なんと、そうだったか」


 イシュカの言葉を遮るように、わざとらしく驚いて見せた。


 僕の答えは初めから決まっている。



「それは『知らなかった』」



 僕たち皇族が手配犯を認識していなくてもおかしくはない。

 僕たちはお忍びでこの鉱山の視察に訪れ、その護衛として現地の冒険者を雇っただけだ。


「ふむ、軍務を全うしてくれ」


 皇族が犯罪者を庇う道理などない。


 全てのイドリア民は法の下に平等であり、皇族は全てのイドリア民に公平であるべきだ。


「なっ……イレイル!?」


 イシュカが信じられないものを見る目で睨む。


「はッ! 確保ォ!!」


 僕の了承を得たセドリック軍団長が号令をかける。



 僕とアリアンナの間にあった、暗黙の不可侵条約。


 お互いの正体を黙認する代わりに、軍には引き渡さないという均衡。


 僕は〈鐵喰い〉を倒した冒険者『アリア』が『アリアンナ』であったと知り、『アリアンナ』が捕縛されることで『アリア』の倒した〈鐵喰い〉の侵入経路を追及されるのを恐れた。


 反逆者であるアリアンナがロックドレイクの流入を手引きしたとして調査が入ってもおかしくはない。


 だが、そこを軍に追及され、魔法金属の研究が僅かにも滞るのは『面倒』だ。


 だからこそ、『アリアンナを軍に引き渡せない』のではなく、『〈鐵喰い〉を討伐したアリア』を軍に引き渡せなかった。


 しかし、僕はこの依頼の過程で、その『懸念』を取り払うことができた。


 〈ウロカクシ〉――魔族グァマ。


 今回の一件の原因を全て彼が背負ってくれる。


 僕の今回の『お忍び』の目的は――


 一つ。変異した〈鐵喰い〉の素材である『〈魔鉄〉の入手』。

 これはアリアからサンプルとして買い取った。性能としては期待したほどではなさそうだが、研究の余地はあるだろう。なかなかに興味深い。


 二つ。『〈鐵喰い〉が変異した理由』を突き止める。

 魔族グァマの〈変異促進薬〉。

 そしてその元となった〈魔人化薬〉の存在。研究資料は処分されていたが、存在を知れただけで十分だ。


 そして、三つ。『魔法金属研究の隠蔽』。

 〈鐵喰い〉を倒したのがアリアンナであったせいで、ずいぶんと遠回りさせられたが、全てを魔族グァマに押し付けることで軍部の追及も僕の研究には届かない。



 全ての『勝利条件』を満たし終えた。


 ……アリアンナが捕まったとしても最早、何の問題もない。



「……あんた、全部知ってたのね?」


 イシュカが、刺すような視線で見てくる。



 アリアの正体も、軍がここに来ることも、全て分かっていたのかと。


 知っていたのならアリアを救う方法をあんたなら考えられたはずだ。という糾弾。



 答えは全て――『イエス』。



 皇族の強権を使えばこの場を有耶無耶にすることもできる。



 だが、しない。



 ここでアリアンナを無罪放免にすれば、軍部に不信感を抱かれる。

 小さなひび割れが大きな波紋を生むかもしれない。


 そして中流貴族ども。

 正当な理由なくメルジュエルを叩く理由を取り上げれば、表立って皇族を批判することはできないだろうが確実に反発は大きくなるだろう。


 このような些事に熱中する役に立たない者たちであっても国の礎を築く石の一つだ。

 その石が一つ抜ければ足元が崩れないとどうして言い切れよう?


 だから、イシュカの言わんとする「アリアを救え」という要求に対する答えは……。




 ――『ノー』だ。




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