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自由のアリア  作者: カラノニジ
第十章:縁は縒り合う餞包む綾の布
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第85話:チェックメイト

 

 俺たちが坑道を抜けた先に広がっていたのは、人々の行き交う騒がしい作業風景ではなかった。


 地面には瓦礫が溢れ、壊れた木箱やら樽やらの破片や採掘道具なんかが散乱している。


 あちこちに激しい戦闘の痕が刻まれていた。

 岩が砕け散り、抉れた地面は何ヶ所にも及ぶ。


 そしてその中央に集められたのであろう青い巨体の山。


 何体もの〈エヴォルタス〉の死骸が、折り重なるように転がっている。


「な……なんですの!? これ……」


 エステルが、震える声で呟いた。

 ここへ入る前からは想像もつかないほど変わり果てた戦場だった。


 血の匂いが鼻を突く。

 黒ずんだ体液が地面を濡らし、戦いの凄惨さを物語っていた。

 外で、これだけの数と戦ったというのか。

 黒鉄の鎧に身を包んだイドリア帝国正規軍の兵士たちが、すでに現場を制圧していた。


 戦闘は終わっている。

 兵たちは〈エヴォルタス〉の死骸を検分したり、負傷した仲間の手当てをしたりと、慌ただしく動き回っていた。


 さらに奥に、ドワーフの老人の姿が見えた。


 オロンだ。衣服に血がついていて、額には包帯が巻かれているが、治療は済んでいるようだ。

 兵士が何かを聞いているが、オロンは腕を振り回しながら一方的に捲し立てていた。


「――だからよぉ! そういうことじゃねぇっつってんだろっ! 呼んだらすぐ来い! すぐだ! てめえらが遅いせいで、若ぇのが一人で頑張ってたんだぞ!!」


 ギャースカと騒ぐ平常運転のオロンにほんの少しだけ安堵した。

 兵士が困り果てた表情で、必死にオロンをなだめようとしている様子には多少同情したが。


(生きてたか、ジジイ……軍が間に合ったのか)


 だが、それは俺にとっては最悪のタイミングだった。



 冷たい汗が背中を伝う。



 第三坑道から現れた俺たちにその場の視線が集まっていく。


 空気が変わる。

 何人かの兵士が剣に手をかけ、すぐに戦闘態勢に入れるよう警戒の色を強めた。


 当然だろう。


 〈エヴォルタス〉の出所である第三坑道から、突然現れた集団――怪しまれないわけがない。



 軍団長らしき男が前に出てきた。

 黒鉄の鎧。太陽の描かれたエンブレム。腰には長剣を佩いている。

 鋭い眼光が、俺たちを値踏みするように見据えた。


「貴様ら何者だ、何故ここに居る……」


 軍団長が口を開きかけた、その瞬間。


 俺と、目が合った。


 そして軍団長の目が、大きく見開かれた。

 俺は静かに、目を伏せることしかできなかった。


「ま、まさか――き、貴様!? 『アリアンナ・メルジュエル』!?」


 その名が響き渡った瞬間、俺の心臓が凍りついた。


 それは、ただの脱走兵の名ではない。

 軍の威信を揺るがした、大罪人の名だ。


「総員、構えッ!!」


 軍団長の怒号が飛ぶ。


 ギィン――!


 軍団長が即座に剣を抜き放つ。

 それを合図に、周囲の空気が爆ぜた。


 ジャキッ! ザッ!!


 一斉に抜刀音が響く。

 十、いや二十。

 その場にいた兵士たちが一斉に武器を構え、無数の切っ先が殺意を持って俺に向けられる。


 包囲完了。逃げ場はない。


「動くな! 抵抗すれば即座に斬り捨てる!!」


 刃が光を反射して煌めいた。



 アリアンナという名を捨てても、過去に犯した罪までは消えやしない。


 過去はどこまでも追ってきて、そして今、追い付かれて捕まった。



 ――思えば、今まで逃げおおせてきたのが不思議なくらいだ。

 辺境とはいえ、街には手配書が出回っていたはずだ。


 ……だというのに、それらには容姿の特徴すらほとんど書かれておらず、ただ名前と大まかな背格好だけが記されていた。


 おざなりな捜査。

 やる気のない検問。


 まるで、軍以外の「誰か」が、俺が捕まるのを意図的に邪魔していたかのような杜撰さだった。

 俺にとっちゃ渡りに船で、今までそう深く考えはしなかったが。


(……ああ、そうか。俺は「泳がされていた」のか)


 誰かの都合で? 何かの政治的な意図で?


(イレイル……ではないか、コイツなら行動がちぐはぐだ……)


 だが、それもここまでだ。


 どこの誰の描いた絵図かは知らないが。

 どんな裏工作も、目の前の「現物」と「証人」までは誤魔化せねぇ。

 俺の顔を直接知る、正規軍の軍団長と鉢合わせちまったんだ。


 この運の尽きが、俺の年貢の納め時ってやつだろう。


(クソっ……)


 覚悟の上だったがどうしようもない『詰み』の状態に、何も言えずに奥歯を噛み締める。


 軍に包囲された、他の面々の反応はそれぞれだった。


「へ、へぇええ!? ど、どどどどういうことなんですかぁ!?」


 ニーコが素っ頓狂な声を上げて狼狽える。


 盾を構えるべきか、それとも降伏の意を示すべきか。

 パニックに陥り、涙目でおろおろと俺と兵士たちの間で行ったり来たりしている。


「な、なんですの!? 私どもは魔族を追い払ったんですのよ!? ど、どういう間違いですの!?」


 エステルも顔面蒼白だ。さっきまでの勝利の興奮は消え失せ、ガタガタと震えだす。



「ろ、牢屋は嫌ですわっ!? わたくし、暗くてジメジメしたところはもう堪忍ですのよっ!?」



「……ふぅむ」



 対照的に、ジーンは冷静だった。

 いや、努めて冷静さを保とうとしているのか。口元に手をあて、何かを計算するように目を細める。そして、確認するかのような視線を、チラリと俺に向けた。



 一番マズいのはガロードだ。


 ジャッ。


 背後で、硬質な音が鳴った。

 いつもの何を考えているのかもわからない無表情ではなく、鬼のような形相で闘争心を剥き出しにしている。


「……」


 兵士たちが武器を抜いたのを見て、反射的に自身のブロードソードの柄に手をかけている。


 手を出せば、俺が捕まるだけで済む話が、国家への反逆という最悪の形で拗れることになる。


 俺が制止しようとした、その時だった。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよアンタたち!!」


 俺と兵士の間に、颯爽と割って入る影があった。

 シュカ――いや、イシュカだ。


 彼女は被っていたフードを取り払って、俺を庇うように立ち塞がると、腰に手を当てて兵士たちを睨みつけた。


「アリアンナって誰よ? 人違いじゃない? いきなり剣を向けるなんて失礼しちゃうわ!」


 イシュカは〈ジョーカー〉たち同様、何も知らない。

 俺がアリアンナであることも。なぜ軍に追われているのかも。


「貴様、執行妨害で……ッ!?」


 怒鳴り返そうとした軍団長の言葉が、喉の奥で凍りついた。


 平民服を身に纏い、泥と煤にまみれてはいるが、その特徴的な朱色の髪と、不敬を許さない傲慢なまでの威圧感。


 軍に属する者で、彼女の顔を知らぬ者はいない。


「イ、イシュカ皇女殿下!?」


 驚愕の声が、静まり返った場に響き渡る。


「はぁ……やれやれ、やはりこうなったか……」


 その背後で、わざとらしいほど重いため息をつく男が一人。

 イル――イレイルが、観念したように眼鏡の位置を直しながら歩み出る。


「イ、イレイル皇子殿下も!?」


 軍団長は完全にパニック状態だ。

 抜刀したままの剣をどうすべきか――下ろすべきか、護衛のために構えるべきか、敬礼すべきか――判断がつかず、剣先が泳いでいる。

 鞘に納めることすら忘れているようだ。


「は……? へ……ふぇええ!? イシュカ皇女殿下に、イレイル皇子殿下!?」


 その場の空気をさらに混沌とさせたのは、ニーコの素っ頓狂な悲鳴だった。

 涙目で俺と、目の前の「皇族」を交互に見比べている。


「ま、まぁ、お二人はお姫様と王子様だったのですわねっ! どうりで気品漂う佇まいだと思いましたわっ……って、そうではなくて!!」


 エステルも混乱の極みにあるようで、ピョンピョンとその場で跳ねながら周囲に説明を求める。



「い、一体どういう状況ですの〜っ!? わたくし、もう何が何だか……!」



「ボクは二人のことは知ってたけれどね」



 そんな中、ジーンだけが涼しい顔で肩をすくめた。


「アリアちゃんが黙ってたから、ボクも黙っておこうかと思ってね」


 コイツの情報網だ。ギルドの関係者あたりから「皇族がジョーカーを探している」という噂を聞きつけ、接触してきた二人がそれに該当すると察していたのだろう。


「なぜ皇族が?」という理由までは知らなかったようだが。


(知った上で口説いてたのかよ……こいつは……!)


 演技か本気か知らないが、こいつの胆力には呆れを通り越して尊敬すらわいてくる。


「……」


 一方で、ガロードは柄に手をかけたまま、視線を俺とイシュカに行き来させている。


(敵じゃなかったのか? 戦うのか? 戦わないのか?)


 そんな純粋な疑問が顔に張り付いている。



「で、殿下……何故このような場所に……」



「お忍びだよ。……もっとも、もう忍べていないがね」



 イレイルが淡々と答える。

 軍団長は脂汗を流しながらも、職務への忠誠心でなんとか踏みとどまり、確認を取る。


「し、しかし殿下! この女は軍律を破り、逃亡兵の逃亡幇助をした罪で手配中の『アリアンナ・メルジュエル』です! いかな殿下の御友人といえど、こればかりは……」


 軍団長は鋭い視線を俺に向け、断言する。



「身柄を確保させていただきます。……よろしいですか?」



「ちょっ、待ち――」



 イシュカが何か言いかけ、俺を庇おうとする。

 だが。


「――なんと、そうだったか」


 イレイルが、イシュカの言葉を遮るように、わざとらしく驚いて見せた。



「それは『知らなかった』」



 冷徹な声。


 その一言が、俺と彼らの間に明確な線を引いた。



「ふむ、軍務を全うしてくれ」



「なっ……イレイル!?」



 イシュカが信じられないものを見る目で睨む。


 だが、イレイルは表情一つ変えない。


 当然だ。

 ここで俺を庇えば、皇族が犯罪者を隠匿していたことになる。それを避けるための、冷酷で正しい判断。



 俺とイレイルの間にあった、暗黙の不可侵条約。



 お互いの正体を黙認する代わりに、軍には引き渡さないという均衡。


 逆を言えば、それは奴に『俺を軍に引き渡せない理由』があったということ。


 俺はイレイルに対する『何かしら』の交渉カードを握っていた。


 だが――奴はこの依頼の過程で、その『懸念』を払拭しちまったってことらしい。


 自らの『勝利条件』を満たす盤面を、密かに整えていやがったんだ。


「はッ! 確保ォ!!」


 殿下のお墨付きを得た軍団長が、勢いづいて号令をかける。

 兵士たちが一斉に距離を詰めてくる。


(終わり、か……)


 完全な詰み。



『チェックメイト』だ。



 長らく続いたアリアンナの逃亡はこれで終わる。


 どうすればいいかわからない〈ジョーカー〉の面々。


 抗議しようとするイシュカを、イレイルが視線だけで制する。


「……あんた、全部知ってたのね?」


 イシュカが、刺すような視線をイレイルに向ける。


 アリアの正体も。

 軍がここに来ることも。

 全て分かっていたのかと。


 知っていたのならアリアを救う方法をあんたなら考えられたはずだ。

 という糾弾。


「……さて、何のことかな」


 イレイルは表情一つ変えず、とぼけてみせた。


 その態度が、火に油を注いだ。


「待ちなさいっ! あたしの友達を勝手に連れて行こうなんて、あたしが許さないわ!」


 ドォッ!!

 イシュカの全身から、凄まじい魔力の奔流が噴き出した。

 熱波が周囲を圧迫し、兵士たちが悲鳴を上げて後退る。

 ただの駄々っ子ではない。この国でも指折りの戦力、最強の火力を有する〈爀熱〉のイシュカだ。ここで暴れれば、軍隊など消し炭になる。



「それに……こっちについた方が、面白そうだもの!」

 イシュカは不敵に笑い、あろうことか俺の隣に立った。



「イシュカ……」



 イレイルは極めて冷静に語りかけるように呟き、眼鏡の位置をくい、と直す。


 わがままというには、あまりに短絡的かつ危険すぎる。

 国軍が罪人を捕らえようとしている場において、皇族が「面白いから」という理由で軍務の執行妨害どころか、反逆を行おうとしているのだ。


 だが、イレイルの目に焦りはない。

 彼もまた、静かに魔力を練り上げている。


 戦闘態勢――いや、この暴走する姉を、周囲への被害を最小限に抑えつつ、いかにして無力化し取り押さえるか。

 イシュカと同じく拮抗した実力をもつ〈黎明〉のイレイルがその算段を組み立てている目だ。


 睨み合う〈ジョーカー〉と帝国軍、イシュカとイレイル。


 一触即発。


 皇族同士の魔法戦が始まれば、あの洞窟内での再演だ。

 ここにいる全員が巻き添えになる。


 その張り詰めた糸を断ち切ったのは、俺の声だった。


「わりぃ……エステル。それから皆も」


 俺は、ぽつりと呟いた。


 その声には、諦めと、仲間への謝罪が滲んでいた。


「あ、アリア様……?」


 エステルは事実を受け入れられないという様子でその大きな瞳をさらに見開く。


「なんとかエステルを、家まで送り届けてやってくれ」


 それだけをメンバーに告げると俺は、静かに両手を上げた。

 軍団長の前に立ち、両手を差し出す。



「おう、連れてけ。……煮るなり焼くなり好きにしろ」



「はぁ? アリア……! 何言ってんの!?」



 イシュカが叫ぶ。

 せっかく一緒に暴れて(助けて)あげようとしたのに、当の本人が白旗を上げたのだ。

 梯子を外された彼女は、頬を膨らませて癇癪を起こす。



「あんたバカなの!? あたしがいれば、こんな奴ら――」



「もういいんだ、イシュカ」



 俺は振り返らず、背中で語る。


 これ以上騒げば、〈ジョーカー〉は反逆者になる。

 エステルを家に送り届けることもできなくなる。

 ここで自分が捕まれば、全て丸く収まるのだ。


「……」


 イレイルは沈黙したまま、連行される俺を冷ややかな目で見送った。


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