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自由のアリア  作者: カラノニジ
第十章:縁は縒り合う餞包む綾の布
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第80話:論理パズル

 

 俺は全身の力を抜き、意識を足の裏へと落とす。


 ズッ、と身体が重力に従って沈み込む感覚。


 その沈み込む力を、バネ仕掛けのように一気に前方への推進力へと変換する。


「――〈シャドウステップ〉」


 視界がぶれるほどの爆発的な初速。


 グァマとの距離が一瞬で消失する。


 影が揺らぐ。


 俺の姿が、グァマの網膜から消える。


 残像を置き去りにした超加速。気づいた時には、俺はもう奴の間合い(キルゾーン)に入り込んでいた。


「遅ぇよ!」


 翡翠色の輝きを放つ〈リベレイター〉を一閃。


 煌めく刃がグァマの首筋を捉えた――!

 ……そう確信した瞬間、世界が歪んだ。


「……あ?」


 刃が肉に食い込む感触がない。


 まるで水面を斬ったかのように、空間そのものが不自然に歪曲し、俺の剣先が滑るように逸らされた。


 目の前にいたはずのグァマの姿が、陽炎のように揺らめき、半歩横へと『ズレ』る。


(……ッ! これが『空間魔法』ってやつかッ!)


 驚愕する間もなく、視界の端で赤黒い巨腕が唸りを上げた。

 魔人化したグァマの剛腕が、俺の顔面めがけて迫る。


「ッ……らぁ!」


 俺は踏み込んだ足場を軸に、無理やり身体を捻ってバク転気味に回避する。


 ブオッ!!


 鼻先すれすれを通過した拳が、大気を引き裂くような轟音を立てた。


「チッ、ちょこまかと……!」


 体勢を崩した俺に、追撃が来る――そう身構えた瞬間。


 俺の脇をすり抜けるように、漆黒の岩塊が二発。

 風を斬る音だけを残して、グァマへと殺到した。


 イルの〈バサルトバレット〉による援護射撃だ。


「グッ……!」


 脇腹への直撃。

 でかい岩同士を打ち付けたような鈍く重い音が響き、グァマの巨体がわずかに浮く。


 強烈なボディブローが入ったようなものだ。

 並の魔物なら内臓破裂で即死する威力。

 だが、奴は顔をしかめただけで、踏ん張って耐えやがった。


(これに耐えんのか……!? だが、動きは止まった!)


 この機を逃す手はねぇ!

 俺は着地と同時に再び地を蹴り、無防備になった奴の懐へと肉薄する。


「オラァッ!!」


 渾身の力で、〈リベレイター〉をその胸板へと叩きつける!

 今度こそ空間魔法は使わせねぇ!


 ギャリィッ!!


「……ッ!?」


 手に返ってきたのは、肉を断つ感触ではなかった。

 まるで、巨大な岩盤を斬りつけたような、不快な反発。


 鋭利なはずの〈リベレイター〉の刃が、奴の皮膚の表面をわずかに裂いただけで止まっている。


(硬……ッ!?)


 斬りつけた傷口を見る。

 血は流れていない。裂けた皮膚の下には、あのヒビ割れた角と同じ、赤黒く変色した硬質な組織が覗いている。


 〈魔人化薬〉とやらで、全身が角みてぇな強度に変質してやがるのか!?


 どうりで、あの岩の弾丸を受けても大して効かねぇわけだ……。


 俺は再び、バックステップで距離を取り、痺れる手で剣を構え直した。


 普通に切っても通りにくい上に、空間魔法での回避。

 こいつは骨が折れそうだ。


「チッ……かてぇな……」


 俺は、忌々しげに舌打ちをする。

 だが、硬いなら〈鐵喰い〉の時と同じだ。


「〈エンチャント・ダーク〉」


 俺は双剣を構え直し、体内の魔力を練り上げる。


 ゆらり、と。


 二振りの刀身に、光を吸い込むような漆黒の闇が纏わりついた。


「チッ……! 雑魚がッ! ブンブンブンうざってぇんだよ……ッ!」


 グァマが苛立ち紛れに腕を振り回す。

 風切り音だけで岩壁が削れるんじゃねぇかと思う程の威力だが、当たらなければただの空振りだ。


 魔力、肉体の強度。

 どれをとっても身体能力は奴の方が上だ。


 だが、動きが単調すぎる。


「こちとら、実戦で何千回、何万回と剣を打ち据えて鍛えられてんだよ……!」


 俺は鼻で笑い、あえて挑発してやる。


 軍での訓練、数多の実戦、冒険者としての死線。


 積み上げてきた時間は、ポッと出の薬漬けパワーで埋まるほど安かぁねえんだよ!


「テメェみたいな素人と一緒にすんじゃねぇ!」


 叫びと共に、俺は再び地を蹴った。


 漆黒の瘴気を纏った双剣〈リベレイター〉が、夜闇の牙となって魔人に襲いかかる。


「ッ……!」


 グァマの表情が変わった。


 今度は受けない。いや、受けられないと悟ったか。


 〈リベレイター〉の持つ魔力伝導率が、俺の付与効果を余すことなく伝えている。


 この刃ならば、奴の自慢の硬い外殻も、纏っている圧倒的な闘気すらも突き破るはずだ。


 奴は巨体を捻り、紙一重で俺の斬撃を躱す。


 ザシュッ。


 回避しきれなかった脇腹を、刃先が浅く撫でた。


 物理的な傷は浅い。

 だが、傷口にこびりついた闇の魔力が、ジュウジュウと音を立てて肉を侵食し、グズグズに崩し始める。



「うおォッ!?」



「隙ありだ」



 背後から、冷ややかな声が響く。


 イルだ。

 抜け目ないアイツが俺が作った一瞬の隙を見逃すはずもない。


「〈〈バサルトバレット〉〈アルキオン〉〉!」


 右手に黒岩の弾丸、左手に高速の水鳥。


 〈二重詠唱〉による同時攻撃が、回避行動直後のグァマへと殺到する。


 右と左、異なる軌道と属性。

 空間魔法のクールタイムを考えれば、両方を完全に捌くのは不可能なタイミングだ。


 だが。


「こっちの岩は痛ぇが……耐えれるってわかったからなぁ!!」


 グァマは、あろうことか防御を捨てた。


 空間魔法を使えば防げたはずだ。


 だが奴は、貴重な『一回』をここでは切らず、回避も、空間歪曲による防御もしない。


 ただ筋肉を鎧のように硬直させ、真正面から〈バサルトバレット〉を受け止める!


 岩塊が直撃し、砕け散る。

 グァマが苦悶に呻くが、奴の指輪が発光すると、迫りくる〈アルキオン〉の直前の空間がぐにゃりと歪んだ。


 奴の狙いは――温存した空間魔法で、もう一つの魔法、水の矢〈アルキオン〉を弾くことだ。


「返してやるよッ!」


 空間湾曲による反射。

 行き場を失った水鳥の矢は、鋭角に軌道を変え――


「なっ……!?」


 ――俺の目の前へと、弾き返された。


「……ッ!?」


 至近距離。回避不能の速度。

 俺は反射的に双剣を胸の前でクロスさせ、防御態勢を取る。


 ガァァァンッ!!


 凄まじい衝撃が腕を貫く。

 飛沫が爆ぜる。


 刀身に込めた魔力が衝突し、その威力は減衰する。

 直撃による貫通だけは防いだが、尚も殺しきれなかった勢いにガードを弾かれる!


「ぐぁっ……!」


 俺の体は後方へと仰け反る。

 痺れた腕から力が抜け、クロスさせていた双剣が強制的に開かれる。


 弾かれた腕が、持ち上がった。

 がら空きになった俺の胴体。


 そこへ。


「死ねェッ!!」


 岩の直撃を耐えきったグァマが、血走った目で踏み込んでくる。

 丸太のような剛腕が、俺の腹めがけて繰り出されていた。


 咄嗟にバックステップを踏み、衝撃を逃がそうとはした。

 だが、間に合わねぇ。


 ドゴォッ!!


 鈍く重い音が、身体の芯を突き抜けた。


 まるで巨人に蹴り飛ばされた毬みてぇに、俺の身体は錐揉み回転しながら宙を舞い、そのまま地面を転がって、ようやく壁際で止まった。


「げぼっ……うっぐ……」


 全身を叩きつけられた衝撃で、肺の空気が強制的に絞り出される。


 骨が何本かイッたか、全身がバラバラになるかと思ったが……マノンの姐さんが鍛え直してくれた魔鉄の鎧のおかげで、即死だけは免れたらしい。


「アリアッ、大丈夫か?」


 イルから若干の焦りを帯びた声が聞こえる。

 視界が揺れる。

 前を向こうとしても、その意思に反するように地面が眼前に迫ってくる。


 俺は地面に手をつき、血の味がする唾を吐き捨てた。


「げ、ゲホ……ああ……何とか、な……」


 意識は失っていない。

 なら、まだ戦える。


「〈リジェネイド〉」


 闇の魔力が身体を巡り、砕けかけた骨と断裂した筋繊維を無理やり繋ぎ合わせる。

 鉛のように重い身体を、気力だけで無理やり立たせる。


 クソッ、なんて威力だ。


「しぶてぇゴミ虫だ……」


 グァマが忌々しげに吐き捨てる。


 奴も〈バサルトバレット〉が直撃したせいで、脇腹を押さえ、荒い息をついている。


 だが、こっちは一発貰っただけで虫の息だ。

 これを「痛み分け」と言うには、あまりに分が悪すぎるダメージトレードだ。


(あっちはどうだ……?)


 チラリと、もう一つの戦場――シュカたちの方を見る。


 どうやら、あちらも状況は芳しくない。


 シュカと〈ジョーカー〉の面々が〈オーバードーズ・エヴォルタス〉を抑え込んではいるが、あの肉塊の過剰再生能力が厄介すぎる。


 シュカが本気を出して遠慮なしにぶちかませば話は別だろう。


 ……だが、それをやればこの洞窟が崩落し、ここにいる全員が生き埋めになる。

 ……というのは俺が道中で耳にタコができるほどに言い含めておいた。

 そのせいで決定打に欠け、ジリ貧に陥っている。


(加勢は期待できねぇな……)


 俺は視線をグァマに戻す。

 状況は、最悪の膠着状態(ステイルメイト)だ。



 俺かイルが仕掛けて隙を作らなければ、どちらの攻撃も今一歩グァマには届かない。


 俺が斬りかかってもあの空間魔法で位置を逸らされる。

 俺一人でグァマを相手取るのは荷が重い。


 イルの魔法は、単発では空間魔法で反射される。

 だから、特性の違う二つの魔法を同時に放たなくてはならない。


 だが、イルが〈二重詠唱〉で攻めても、グァマは「痛い方」をあえて体で受け、「ヤバい方」を空間魔法で反射してきやがる。


 それだとさっきの繰り返しだ。


 一発はダメージ覚悟の上で受け止め、もう一発を確実に反射して俺たちを殺しに来る。


 そうなれば、先にくたばるのは、生身の人間である俺たちの方だ。


 しかも、時間は俺たちに味方しない。


(時間はかけられねぇってのに……!)


 脳裏に、入り口の方へ走っていった〈青オーガ〉たちの姿がよぎる。

 外にはオロンや、非戦闘員の鉱夫たちがいるんだ。一刻も早くここを突破して、追わなきゃならねぇ。


 持久戦などやってる場合ではない。


 痛みと焦りが、脂汗となって頬を伝う。

 どうする? どうすればこの均衡を崩せる?


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