表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自由のアリア  作者: カラノニジ
第九章:呪いの札はひき寄せられて
88/91

第Ex話:受付嬢アネットの受難その⑨『私だって幸せになりたい』

挿絵(By みてみん)

 ──────────────────


 ─────

 ───

 ──


 夜のファルメルは、音が少ない。

 支部の職員寮。狭い自室で、私――アネット・レクベルは、安物の化粧水を頬に叩き込んでいた。


(……保湿。保湿は裏切らない。この街の乾燥は敵だけど、私は負けない)


 ここに来てもう何年?

 代わり映えしない日々に、私は不安になる。


 首都へ戻るための階段を、私はちゃんと積めているのだろうか。


「……いけない、いけない。ネガティブになるとお肌に悪いわね!」


 頬を軽く叩いて、鏡台の引き出しから櫛を取り出そうとして。

 指先が、奥のほうで、小さな硬いものに触れた。


(……あ)


 古びた革紐に通された、割れた銅色のプレート。


 ランプの灯りを吸い込んで、鈍く光る。

 私はそれを、手のひらに乗せた。


 もう何年も、こうして引き出しの奥に仕舞い込んだままだった。

 見るたびに、思い出してしまうから。


(……お父さん)


 窓の外で、風が鳴った。

 私はプレートを握ったまま、ベッドに腰を下ろす。

 たまには、いいだろう。

 思い出すくらい。


 ─────

 ───

 ──


 私は、冒険者の父の下で育った。


 首都エテル・イドリアの下町。長屋の二階。

 銅等級の、それなりに優秀な冒険者。それが私のお父さんだった。


「ただいまー」


 夕方、父が帰ってくると、家の中に匂いが広がる。


 鉄と、土と、ほんの少しの血の匂い。

 だが、子供の頃の私は、その匂いが好きだった。


 それは「お父さんが帰ってきた」匂いだったから。


「おかえりなさいっ!」


 玄関に飛びついていく私を、父は泥だらけの腕で抱き上げる。

 母が「もう、汚れるでしょ」と笑いながら怒る。


 それが我が家の毎日だった。


 裕福ではなかった。冒険者の稼ぎは水物だ。

 いい依頼が続いた月は夕食に肉が並び、悪い月はスープの具が減った。


 それでも、なんとか首都近郊で暮らせるくらいの、平々凡々な家庭。


「わたしはね~、大きくなったら、お父さんみたいに強い人と結婚するのっ!」


 食卓で、私はよくそんなことを言っていた。

 母は「あらあら」と笑い、父は照れくさそうに頭をかいて、それからいつも、こう言うのだ。


「アネットは賢いからな。しっかり勉強すれば、きっといい相手が見つかるよ」


 父は無茶をしない人だった。

 銅等級には銅等級の依頼がある。

 身の丈に合った仕事を堅実にこなし、日が暮れる前に帰ってくる。


 だから私は、疑いもしなかったのだ。

 明日も、明後日も、その次も、父はあの匂いと一緒に帰ってくるのだと。


 ─

 ──


 転機は、私が十歳の年に来た。

 町の教師が、私に学院の推薦状を書いてくれたのだ。

 首都でも指折りの、いい学校。

 卒業生の多くが官吏や、大商会や、ギルドの上級職に進むという。


「うちの子が……?」


 母は推薦状を持ったまま、しばらく固まっていた。

 いい学校は、いい相手に繋がる。それは下町の常識だった。

 でも同時に、いい学校は――高い。


「行かせよう」


 即答したのは、父だった。



「アネットは賢い。ここで伸ばしてやらんでどうする」



「でも、あなた……」



「大丈夫だ」



 それなりに蓄えはあったはずだ。堅実な父のことだから。


 でも、入学金と、教材と、毎年の学費と……それが何年も続くとなれば、話は別だった。


 その日から、父は変わった。

 依頼の数が増えた。帰りが遅くなった。

 日帰りだった仕事に、泊まりの遠征が交ざるようになった。

 食卓に着く父の装備には、見たことのない傷が増えていった。



「お父さん、だいじょうぶ……?」



「おう、平気平気。制服も靴も似合ってるじゃないか」



 真新しい制服。ピカピカの革靴。

 私はそれが誇らしくて、嬉しくて。

 その一つ一つが、父の「引き際」を少しずつ削っていることに――気づかなかった。


 ─

 ──


 その日は、朝から雨だった。


 夕方になっても、父は帰らなかった。

 夜になっても、帰らなかった。


 代わりに翌朝、家の戸を叩いたのは、ギルドの職員が二人と、父のパーティの仲間だった。

 仲間の男は、包帯だらけの手で、布包みを差し出した。


 母がそれを開く。


 中に入っていたのは、大ぶりの魔石が一つと、真ん中で割れた、銅のプレートだった。



「……巣の、奥でした。回収できたのは、これだけで……」



「本当なら、銀等級に回すべき依頼だったんです。でも報酬が良くて、あいつがどうしてもって……すみません。俺たちが、止められていれば……」


 母は泣いていた。

 声を上げて、床に崩れて、布包みを抱きしめて、泣いていた。


 私は、泣けなかった。

 ただ、母の手の中の魔石を見ていた。


 深い赤色の、綺麗な石。

 父が最後に狩った魔物の、心臓だったもの。


 父は、弱かったわけではない。

 無理を、してしまっただけだ。

 私の、学費のために。


 冒険者の死は、この国では日常だ。


 葬儀は簡素で、ギルドからの見舞金は驚くほど薄かった。書類が一枚。判が一つ。


 それで父は、ギルドの台帳から消えた。


 あの魔石は、換金された。

 大ぶりの魔石は、いい値がついた。

 母はその金に、しばらく手をつけられずにいた。


「……学校、辞めるよ。私、働く」


 私がそう言ったとき、母は初めて、私を本気で叱った。


「それだけは許さない」


 腫れた目で、母は言った。


「あの人が命懸けで残したものを、無駄にするのだけは、許さない」


 だから私は、学校に残った。


 父の命の値段で買った椅子に座り、私は決めた。

 もう一ガルドだって、この家に無理はさせない。


 私は必死に勉強した。成績が良ければ、学費は補助される。

 特待の枠に入れば、教材費まで出る。

 トップの成績なら、就職の推薦までついてくる。


 血を吐くほど勉強しながら、私は将来を考えた。


 お父さんみたいに強い人と結婚したい――幼い夢は、まだ胸の中にあった。


 でも、その隣に、あの日の母の泣き声が、こびりついて離れなかった。



 強い人と結婚するということは、帰らない夜を待つということだ。



 割れたプレートを、布包みで受け取るということだ。



(……それなら)



 それなら私は、防ぐ側に回ろう。

 依頼の危険度を正しく測り、身の丈に合わない依頼から冒険者を遠ざけ、父のような『事故』を、一つでも減らせる仕事。



 ギルドの、職員に。



 私は、なりたかった。



 ─

 ──



 そして私は、なった。


 首席にはなれなかったが上位の成績。

 学院からの推薦を貰い、狭き門と言われるギルド本部採用を、私は勝ち取った。

 母は泣いて喜んでくれた。



 でも、現実は理想とは――少しだけ、ずれていた。



 ギルド職員の仕事は、冒険者を危険から遠ざけることではなかった。

 冒険者を、危険に向かわせることだった。


 考えてみれば当たり前だ。


 危険な仕事を、報酬と引き換えに斡旋する。

 それがギルドという組織なのだから。


 カウンターに積まれる依頼書は、一枚一枚が「誰かに危険を冒してもらうための書類」で、私の仕事はそれを、滞りなく捌くこと。


 危険度の査定に、私の意見が通る余地はほとんどなかった。

 厄介な案件も、割に合わない案件も、誰かに引き受けさせなくてはいけない。

 断られれば、言葉を選んで、報酬を調整して、押し付ける。



 それが「優秀な職員」だった。



 ある日、一件の死亡報告を処理した。


 鉄等級の、若い剣士。名前に、見覚えがあった。

 半年ほど前、私を食事に誘ってくれた人だ。感じのいい笑顔だったのを覚えている。


 私は「仕事が忙しくて」と断った。


 その名前を思い出すのに、三秒かかった。


 三秒かかった自分に、ゾッとした。


 私は判を押した。書類が一枚。判が一つ。


 それで彼は、台帳から消えた。あの日の父と、同じように。


 ……冒険者に言い寄られるたび、父の最期がちらついた。


 いい人だと思っても、頼もしいと思っても、ふとした瞬間に見えてしまうのだ。

 その人のプレートが、真ん中で割れているところが。


 布包みを抱いて泣く、未来の自分が。



(……等級の低い冒険者は、だめ)



 じゃあ、どんな人なら?


 蓄えがあって、いつでも冒険者家業から足を洗える人。


 いっそ最初から、安全な場所にいる人。


 上級職員。大商会の跡取り。あわよくば、貴族?



 そうやって、理想はどんどん高くなっていった。

 声をかけてくれる人はいた。

 何人もいた。でも私は断り続けた。


「もっと素敵な人がいるはず」


「まだ若いし、焦る必要はない」


 口ではそう言いながら、本当は分かっていた。


 私は怖かっただけだ。


 そして怖さから目を逸らすために、条件を吊り上げていた。


 年収、等級、家柄、将来性。


 数字と肩書きで人を選べば、割れたプレートを想像しなくて済むから。


 あの日、食卓で『お父さんみたいに強い人と結婚するのっ!』と笑っていた女の子。


 あの子が持っていたはずの、純真でまっすぐな期待。

 私はそれを少しずつ削って、切り売りしていった。



 一片は、恐怖のために。

 一片は、見栄のために。

 一片は、出世のために。



 そしてある日、金等級パーティのリーダー、エリックに目が留まった。

 金等級。実力も名声も財産もあって、いつ引退しても安泰な人。

 この人なら。この人となら、私は怖がらずに済む。


 だから私は、ほんの少しだけ、色を付けた。


 規則違反ではない。受付に任された裁量の範囲。

 誰だってやっている、ちょっとしたサービス。


 その結果。


「アネット。お前はファルメル支部へ異動してもらう」


 本部長の執務室で、私は立ち尽くしていた。



「褒められたことではないが……まあ、裁量の範囲だ。これ自体を咎めるわけではない。……やり方が、不味かったな」



 不正ではない。誰だってやっていることだ。


 でも。


 でも、あの日の私が――父の机で血を吐くほど勉強していた、あの日の私が思い描いた「理想のギルド職員」は。

 絶対に、やらないことだった。



「ほとぼりが冷めるまで、数年、他の支部で経験を積んでこい」



 私だって。



「わかり……ました……」



 私だって、幸せになりたい。



 ただ、それだけだったのに。


 ──

 ───

 ──────


「…………」


 気づけば、ランプの油が半分になっていた。

 私は手のひらのプレートをじっと見つめる。

 少しサビでくすんだ銅色のプレートは何も言わない。


(……ねえ、お父さん)


 私は、あなたの言うとおり、賢かったよ。しっかり勉強もした。


 ……でも「いい相手」は、まだ見つかってない。

 理想の職員にも、なれなかった。


 あなたみたいな人の無理を止めるどころか、依頼を押し付けて、報酬で釣って、婚期のために裁量を使い倒す、そんな受付嬢になったの。


 自分でも呆れるくらい、泥臭くて、矮小で、どうしようもない大人。


(……でもね)


 それでも、私は。

 鏡台の前に立つ。

 二十八歳の女が、こっちを見ている。

 目の下の疲れを化粧でごまかした、選り好みの果てに辺境まで流れてきた、婚活受付嬢が。


 でも、その目は。

 まだ、死んでいない。

 明日も、カウンターに立つ。

 笑顔で。完璧に。

 今度こそ。今度こそ、うまくやってみせる。


「私ってば、笑顔がステキじゃない?」


 私だって、幸せになりたい。



読んでくれてありがとうございます。

ご意見、感想、誤字報告助かります。


X(旧Twitter):https://x.com/karanoniji

告知、設定メモなどを投稿する予定です。

イラストなどあげていますので、こちらもよろしくお願いします。


*本イラストは生成AIを使用しています

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ