第77話:護るもの
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「おい、こっちの箱は向こうへ持っていってくれ! 次のトロッコに載せるぞ!」
「屑魔石はこんだけか? おい、こっちは第二坑道の〈魔力灯〉の入れ替え用に運んでくれ」
ブラックロックマウンテンの坑道入り口。
そこではドワーフたちと、俺が所属する運び屋集団――〈運び屋ウィンランド〉が、忙しなく備品の搬入、搬出を行っていた。
「ふぅ……」
重い木箱を荷台に積み上げ、一息つく。
本来、俺の役目は護衛だ。
だが、手が空いていればこうして荷運びを手伝うのも、この稼業の暗黙の了解みたいなものだ。
せっかちなドワーフたちに怒鳴られる前に、さっさと荷物を積んでいく方が精神衛生上もいい。
(やれやれ、こりゃ明日は筋肉痛かな……)
額の汗を拭いながら苦笑する。
それでも、あの軍学校での地獄みたいな訓練を思い返せば、この程度の重労働、遊びみたいなもんだと思えてしまう。
ふっと感傷に浸りそうになったところで、親方の声が遮った。
「おい、テイラン! すまねーけどこっちも手伝ってくれ!」
「ああ、わかった……」
(全く……俺は護衛だっての……)
内心でぼやきつつも、足は親方の方へと向かう。
拾ってくれた恩もある。
――それに、頼られること自体は、悪い気はしない。
逃亡兵の俺を、何も聞かずに受け入れてくれた、この場所。
ここが今の俺の居場所だ。
そう思っていた、その時だった。
「……?」
ふと、坑道の奥が騒がしいのに気付く。
いや、騒がしいのはいつものことだ。ドワーフの怒号やトロッコの音は絶えない。
……だが、これは違う。
空気を震わす、切迫したどよめき。
そして、明確な『悲鳴』。
「うわぁああ!? オーガか!?」
「なんで坑道に!?」
「に、逃げろォォオオ!!」
坑道の闇の中から、血相を変えた鉱夫たちが転がり出るようにして走ってくる。
その背後から、ズシン、ズシンという重い地響きと共に、巨大な影がヌウッと姿を現した。
「オーガだと!? どっから来やがった!! 誰か駐屯地に行って軍を呼んでこいっ!!」
ドワーフの一人が叫ぶ声に、心臓がドクンと跳ねる。
……オーガ。
C-ランクの魔物。
だが、俺の目が捉えたその姿は、知識にあるオーガとはまるで違っていた。
青白い、病的な肌。
額から突き出した歪な角。
背中から無秩序に生えた棘。
(なんだ……あいつは……!? 見たことねぇ……変異体か……!?)
しかも、二体も!
興奮した様子で腕を振り回しながら、進路上にある樽や木箱を、まるで枯れ枝のように薙ぎ払い、吹き飛ばしている。
逃げ惑う者、備品を守ろうとして立ち尽くす者、パニックで足がもつれる者。
入り口付近は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
……とてもじゃないが、ツルハシを持っただけの鉱夫たちや、非戦闘員の運び屋たちが敵う相手ではない。
「おいっ、テイラン逃げるぞ!」
親方が、呆然と立ち尽くす俺の肩を掴み、叫んだ。
「残りの荷物はいい! 命が大事だ! 早く!」
そうだ、俺は『護衛』だ。
『護衛対象』は『貨物』。
逃げるのが正解だ。
…………。
…………………。
逃げる。
逃げるのか…?
目の前にはまだ危険に晒されている非戦闘員の鉱夫が沢山いる。
責任者らしきドワーフが指揮をとって避難指示を出してはいるが、現場はいまだ混乱している。
(……またか?)
脳裏に、あの日の光景が焼き付くように蘇る。
戦場から、恐怖に負けて逃げ出したあの日。
そして、アリアンナに見逃され、無様に背中を向けて走り去った、あの日。
ひたすらに後悔し眠れずに過ごした毎日。
『ウダウダと、出来もしねぇことばっかり言いやがって! やりたいことがあるなら、ごちゃごちゃ言ってねえで、まず『なってから言え』ってんだ、この腰抜けが!』
先日、再会した彼女に叩きつけられた言葉と拳の痛みが、鮮烈に蘇る。
(ああ、そうだよな……アリアンナ……)
俺は、いつまで逃げ続けるつもりだ?
どこまで逃げれば『その時』が来る?
軍に戻りたい? どの面下げて?
ここで逃げれば、俺はまた、一生、逃げ続けなきゃなんねぇ…。
仲間を見捨てて、自分だけ助かろうとした、クソ野郎のまま。
…………。
「すまねぇ、親方」
俺は、親方の手を振り払った。
顔も向けずに、腰の剣を抜き放つ。
スラリと、剣身が冷たい音を立てて鞘から放たれる。
目は逸らさない。
あの青い化け物から。
覚悟が揺らがぬように。
「ちょっと、行ってくる」
「なっ、おいテイラン!? ちょ、まて!! 死ぬぞ!!」
親方の制止を背中で聞き流し、俺は疾風のように駆け出した。
恐怖はある。足も震えている。
だが、それ以上に、体の奥底から湧き上がる熱い何かが、俺を突き動かしていた。
木箱の前で腰を抜かし、絶望の表情で迫りくる青オーガを見上げている鉱夫がいる。
その巨大な拳が、振り上げられた瞬間――。
俺は、その間へと滑り込んだ。
「グォオオオオオ!!」
敵対心を感じ取ったのか、あるいは、ただ邪魔な虫ケラだと思ったのか。
青いオーガの拳が、容赦なく振り抜かれる。
(速ぇ……!)
紙一重。
本当に、鼻先を掠めるような距離で躱す。
その風圧だけで、俺の髪が激しく持っていかれ、肌が切れるかと思った。
ぞわりと全身の毛が逆立つ。
直撃すれば、ただでは済まない。
だが。
(見える……!)
恐怖で思考が停止していたあの日とは違う。
毎日の鍛錬は、裏切らなかった。
恐怖をねじ伏せ、冷静に相手を見据える目が、今の俺にはある。
『軍に戻りてぇだ? 俺の、こんなパンチにすら反応できねえやつが、戻れるわけねえだろうが!』
アリアンナの声が、鼓舞するように響く。
「全くだな……!」
俺は、剣を構え直し、吼えた。
「アリアンナ……。今度は逃げねぇよ……!!」
俺は、一歩も退かずに、その青い巨体へと斬りかかった。
ザンッ!!
安物の鉄剣が、青白い巨体の肉を裂いた。
確かな手応え。剣筋は浅くない。
筋肉を断ち切った感触が手に残る。
(やれるっ!)
そう思ったのも、束の間だった。
ブク……ブクブクブク……。
傷口から溢れ出したのは、血ではなく、粘つくような泡だった。
切り裂かれた肉が、まるで沸騰するように泡立ち、内側から盛り上がるようにして、瞬く間に塞がっていく。
「…なっ!?」
痛みすら感じていないのか?
奴は傷口を気にする素振りすら見せず、そのまま裏拳を振るってきた。
慌てて上体を反らす。
ブンッ!! と豪風が鼻先を掠める。
直撃は避けたが、拳が掠った岩壁が砕け、礫となって俺の頬や腕を裂く。
瞬時に剣を逆手に持ち替え、ガラ空きになった喉元、目掛けて刀身を突き入れる。
青オーガは流石に怯んだのか仰け反ると、振り払うように暴れ回る。
ブク…ブクブク…。
――それでも機能停止にまでは及ばない。
(バケモンがよ……ッ!)
だが、息つく暇などありはしない。
視界の端、青オーガの巨体の死角から凄まじい勢いで突っ込んでくるもう一頭。
暴れる青オーガを弾き飛ばしながら拳を振り抜く。
(クソッ、無茶苦茶じゃねぇーか! コイツら!!)
回避は間に合わない――!
咄嗟に、剣の腹を左手で支え、盾のように構える。
全身の筋肉を硬直させ、衝撃に備える――!
ドゴォォォォォンッ!!
「がはっ……!」
まるで走ってきたトロッコに生身で撥ねられたような衝撃。
ベキャリ、と嫌な音が身体の芯で響いた。
剣の刀身がひしゃげ、受け止めた左腕が、ありえない方向に折れ曲がる。
俺の体は為す術なく吹き飛ばされ、背後の岩盤に叩きつけられた。
「ぐっ……はっ……」
激痛で視界が明滅する。
左腕の感覚がない。
いや、熱い。焼けるように痛い。
折れてる。完全に。
「……ぐぅっ……〈アタッチ〉!」
俺は脂汗を流しながら、折れた腕を無理やり元の位置に戻し、地属性の接合術をかける。
俺の魔法じゃ傷の完全な修復はできない。
〈アタッチ〉で骨の接合と補強はできるものの、本来なら治癒の補助に使うような魔法だ。
ポーションベルトから虎の子の一本を引っ掴んで傷にぶっかけ、塞ぐ。
グッグッ……と手の感触を確かめる。
……痺れちゃいるが動く。
俺はよろりと立ち上がり、転がった剣を見る。
刀身は「く」の字に折れ曲がり、もはや鉄屑同然だった。
目の前には、再生し終わったバケモノが二体。
いや……まだ奥から現れているようだ。
一体相手でも持て余すというのに、絶望的な戦力差だ。
だが、俺がここで踏ん張った僅かな時間で避難は進み、逃げる彼らの命を繋いでいる。
俺は、軍が到着するまで時間を稼げばいい。
……軍が来りゃ、『逃亡兵』の俺はお縄だろうがな。
「……へっ! 上等だ! やってやる!」
俺は折れて使い物にならなくなった剣を投げ捨てた。
腕が折れようが、剣が折れようが……。
「俺はまだ折れちゃいねぇぞ……!!」
笑う膝を、無理やり怒りで押さえつける。
「〈ストーンメイソン〉!」
俺は地面に魔力を流し込むと、地面の岩盤がバキバキと荒々しい音を立てて隆起した。
石工の魔法。
本来は建築や整地に使うものだが、砕けた岩が、粗削りな石の槍となって数本、俺の周囲に削り出される。
俺はその一本を引っこ抜き、切っ先を二体の怪物へと向けた。
「来いよ、デカブツ共……っ! 根性比べだ……!」
呼応するように青オーガどもが吠えた。
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