第72話:転移
───
──
「……消えた?」
僕は、目の前で起きた現象を、あくまで冷静に呟いた。
さっきまでそこにいたシュカ、アリア、エステルの姿が、忽然とかき消えた。
残されたのは、静寂と、微かな魔力の残滓だけ。
……言った側から、はぁ……全く……。
「ふむ……」
僕は、シュカが触れた岩に近づき、慎重に指先で表面をなぞる。
「い、一体何が起きたんですかぁ!?」
ニーコが顔面蒼白で悲鳴を上げる。
「これは、穏やかじゃないね…ウロカクシの本領発揮ということかな?」
ジーンが弓を構え、油断なく周囲を警戒する。
その一方で。
「……」
ガロードは、ごくんと口の中のパンを飲み込むと、マジックポーチから新たにイチゴのパイを取り出し齧り始めた。
相変わらず、緊張感の欠片もない男だ。
だが、その目だけは油断なく周囲を観察している。
僕は、岩肌に残された魔力痕を解析する。
岩の表面に、肉眼では見えないほど薄く、複雑な術式が刻まれている。
「……浅く掘られた術式の溝、魔力痕……これは、魔法の設置罠だね」
僕は結論づける。
「原理としては、スクロールと同じようなものだ。誰かがここに術式を刻み、待機状態にしていた……と。触れると発動するかわりに、一回限りの使い捨て。術式の構成から見て、おそらくは『転移』の魔法だね。こちらが入り口の術式。どこかに出口が設定されていて、おそらくシュカたちはそちらに飛んだのだろう。……これは、空間魔法使いの仕業だね」
もう少し詳しく説明しようかと思ったが、隣で耳を傾けるニーコの目がぐるぐると泳ぎ始めたのでキリの良いところで区切る。
「え、エステルさんの腕輪みたいですね……!」
ニーコが、ハッとしたように言う。
空間魔法は高度な演算能力を要する。
通常ならば、視認できる範囲でしか転送はできない。
この岩に刻んでいる術式が入り口を示し、出口にも座標を刻んで安定させているのだろう。
転移魔法には距離に応じて、相応の魔力量が必要だ。
そう遠くまで飛ばされてはいまい。
「ふむ、ガロード君。アリアちゃんたちの場所は分かるかい……?」
ジーンの問いに、ガロードはもぐもぐとパイを頬張りながら、さも当然のように洞窟の暗闇の、ある一点を指差した。
ガロードがつける〈双子の腕輪〉が指す方向とは一致しない。
おそらく、入り組んだ洞窟の横穴の先にでもいるのだろう。
彼には、転移した先の気配すら見えているらしい。
「おお、場所が分かるのなら話は早い!早速、囚われの姫君たちを助けにいかないとねっ」
ジーンが、ヒーロー気取りで歩き出そうとする。
「ぶ、無事だといいんですけど……」
ニーコも不安げに続く。
だが。
「いや、僕は反対だね」
僕の言葉に、二人の足が止まった。
「……ん?どういうことだい?」
ジーンが振り返る。
その眼光が、鋭く細められた。
そこには、先ほどまでのふざけた道化の様子はなく、冷徹な狩人の光が宿っていた。
僕は、構わずに続ける。
「僕たちの行動は、設置していた魔法が発動したことで〈ウロカクシ〉に伝わった可能性が高い。相手は空間魔法の使い手だ。僕たちがのこのこと救助に向かえば、その隙に逃亡するか新たに罠を仕掛けるだろう」
僕は、眼鏡の位置を直しながら淡々と告げる。
「なら、相手が油断している今、〈ウロカクシ〉が逃げる前に、そっちを押さえた方がいい」
「おや、ボクはてっきり、君はシュカちゃんが心配で取り乱すかと思ったけれど」
ジーンの声に、疑念の色が混じる。
姉思いの弟を演じていた僕が、姉の危機に際してあまりに冷淡すぎると感じたか。
正解だが、見当違いだ。
「シュカは無事だよ。……そっちの二人はどうかは分からないけれどね」
僕が確信を持って断言すると、ジーンの眉がピクリと動いた。
「……ずいぶん、シュカちゃんを信頼しているようだね」
「信頼?ああ、しているとも。この程度の罠で、シュカが死ぬはずないからね」
イシュカは、僕と身と魂を分けた災害だ。
罠にかかったくらいで死ぬようなタマなら、僕がここまで苦労して手綱を握る必要はない。
心配すべきはイシュカの安否ではなく、彼女が暴れてこの坑道ごと崩落させないかどうかだ。
「――なら、君たちはリーダーを信用していないということかな?」
僕は、問いを投げ返す。
「アリアさんとエステルさんが死ぬわけありません!」
即座に反論したのは、意外にもニーコだった。
彼女は涙目になりながらも、力強く叫んだ。
「あの二人は……アリアさんは、絶対に死にません!エステルさんだって、どんな時だって無事でした!」
その、根拠のない、しかし絶対的な信頼。
僕は口元を緩める。
「なら、なおのこと先に元凶を潰した方が早いだろう?アリアさんが戻ってくる前に片付けてしまえば、結果的に一番安全だ」
「……なるほどね、たしかに」
ジーンが、ふっと笑って肩を竦めて見せた。
「でも、ジーンさん……!」
「大丈夫だよ、そうだろう?ガロード君?」
ジーンが同意を求めると、ガロードはパイを飲み込み、コク、と力強く頷いた。
そして、彼もまた、アリアたちが消えた方角ではなく、〈鐵喰い〉を倒したであろう広い空間の方角へと体を向けた。
「よし、決まりだね」
ジーンが、不敵な笑みを浮かべる。
「アリアちゃんが戻る前に、ボクたちだけで〈ウロカクシ〉を仕留めて、アリアちゃんが悔しがる顔を拝もうじゃないか」
交渉成立だ。
僕は内心で安堵し、そして思考を切り替える。
さて、〈ウロカクシ〉。
一体どんな輩か知らないが……僕の計画と機嫌を乱した報いは、受けてもらおうか。
シュカたちが忽然と消えた場所を後にし、僕たちはガロードの先導で、彼が以前見つけていたという『隠された空間』を目指していた。
暗闇の中、僕の隣を歩くジーンが、油断なく周囲を警戒しながら軽口を叩く。
後ろをついてくるニーコは、未だに不安そうに何度も後ろを振り返っている。
そして、先頭を行くガロードは……相変わらずだ。
甘いパイの次は塩味とでもいうかのように、串焼きを咥えながら、のしのしと我が物顔で進んでいる。
不意に、ガロードが足を止めた。
「おや、ガロード君どうしたんだい?」
ジーンが尋ねる。
ガロードは串焼きを口に咥えたまま両手を空けると、人差し指を立てて、自分の頭の両脇に添えた。
ツノ。
鬼のジェスチャーだ。
「え……あ、アリアさんですか……?」
ニーコが恐る恐る尋ねる。
ガロードは無表情で、ふるふると首を振った。
「おやおや……どうやら『青いオーガ』の方のようだね。くくっ、今のをアリアちゃんが聞いたら、烈火のごとく怒るよ?」
「……い、言わないでくださいねっ!?ぜ、絶対ですよっ!?」
ジーンの茶化しに、ニーコが慌てて口止めをする。
……なるほど。
「……つまり、例の『青いオーガ』が、シュカたち側に出現した、ということかい?」
僕が冷静にまとめると、ガロードはチラリとこちらを見て、少しだけ嫌そうな顔をしてから、こくりと頷いた。
どうやら、僕のことを警戒しているらしい。
「大丈夫でしょうか……みなさん、怪我をされてないといいんですけど……」
ニーコが胸の前で手を組み、祈るように呟く。
「大丈夫さ!オーガなんかよりも、アリアちゃんのほうがよっぽどおっかないからね」
ジーンが肩をすくめて笑った。
その時だった。
ドウッ……!!
突如、空気ごと爆ぜたような重い振動が、坑道の奥底から伝わってきた。
岩肌がビリビリと震え、パラパラと砂塵が落ちてくる。
遠くで何かが激突し、爆発したような……。
……ふむ。
「……大丈夫みたいだね」
僕は苦笑いしながら、眼鏡の位置を直した。
「ふぇええ!?だ、大丈夫なんですかぁ!?今のっ!!」
ニーコが涙目で悲鳴を上げる。
これだけの衝撃。
……間違いなく、シュカが元気に暴れているのだろう。
僕の言葉に、ジーンも肩をすくめた。
「ああ……てっきり、アリアちゃんが怒鳴ったのかと思ったよ」
ジーンも、冗談めかしてはいるが、その目には驚きの色が浮かんでいる。
「さて、派手に始まったようだ。僕たちも遅れるわけにはいかないね」
僕が促すと、ガロードは再び串焼きを齧りながら、先へと進み始めた。
僕とジーンがそれに続き、ニーコも発生源の方をチラチラと気にしながら、小走りで追従する。
(……急ごうか)
僕は、暗闇の先を見据える。
あの衝撃音に驚いて〈ウロカクシ〉が逃げ出す前に用事を済ませなくては。
あるいは――イシュカが洞窟を崩す前に。
───
──




