第67話:〈ウロカクシ〉
翌朝。
「むにゃ……あと五分……おにぎりの具はシャケがいいですの……」
「起きろアホ!!もうとっくに出発の時間だ!!」
案の定、ベッドにしがみついて離れないエステルを力ずくで引き剥がし、冷水をぶっかけて顔を洗わせる。
不貞腐れるエステルの口にパンをねじ込み、髪を整えてやると、俺たちは慌ただしく宿を飛び出した。
集合場所であるギルド前の広場には、すでにニーコとジーンが待機していた。
ガロードの野郎はまだか!?
「あっ、おはようございます、アリアさん、エステルさん」
ニーコがぺこりと頭を下げる。
その腕には、カラフルな風呂敷に包まれた大きなバスケットが抱えられていた。
「まあ!おはようございますニーコさん!お約束通り、作ってきてくださいましたのねっ!」
「はいっ、頑張って早起きしました!」
「素敵ですわ〜!早く中身が見たいですわっ!」
エステルが、先ほどの不機嫌さはどこへやら、目を輝かせてニーコに駆け寄る。
「ふふっ、それはお昼のお楽しみですよ」と返すニーコも、どこか誇らしげだ。
……まあ、こいつらのこういう平和な空気には救われるが。
「やぁ、アリアちゃん、おはよう。今日のファルメルの朝は特段と冷えるね。このボクの腕の中で、温めてあげるよ」
平和な空気をぶち壊すように、ジーンが両手を広げて待ち構えていた。
朝日を背に、キラリと白い歯を見せるその笑顔が、今の俺にはたまらなく癇に障る。
俺はこめかみに青筋を立てながら、満面の笑顔を貼り付けて歩み寄る。
「おお、そうか。なら温めてもらおうかな」
「おや、今日は素直だね……?」
ジーンが驚きの表情を見せたその瞬間、俺は最後の一歩を踏み込む!
広げられた腕の下をスルリとすり抜け――。
「――なんて言うと思ったか、ボケェ!!」
背後からジーンの首に腕を回し、全体重をかけて締め上げる。
「ぐえっ!?あ、アリアちゃ…ん…!?」
「てめぇ……ちゃんと情報収集してきたんだろうな?ああ!?」
「ははっ…な、何のこと、だい…?」
「とぼけてんじゃねぇ!ウロカクシだよっ!どうせ昨日の夜も、女と遊んでたんだろっ!」
俺は腕にさらに力を込める。
「うっぐ…きょ、今日は一段と…ご機嫌斜めだね……」
「そうなんですのっ!昨夜も、急に『ガロードのやろー何かみつけてやがったなー!』と叫んで、枕を投げつけて……」
「え、ガロードさんが?も、もしかしてウロカクシについてですか?」
ニーコが驚いたようにこちらを見る。
俺は顔を真っ赤にして落ちていく寸前のジーンを突き放すと、乱れた髪を直しながら答えた。
「ああ……。昨日の晩、〈鐵喰い〉と戦った時のことを思い返してたんだ。もしかしたら、アイツが〈リード〉で何かを見つけてたんじゃねーかってな」
「なるほどですわ…!それで、あんな恐ろしい顔で……」
「ふう…げほっ、はは、彼らしいね」
ようやく解放され、喉をさすりながら息を整えるジーン。
「本人を直接問い詰めれば分かることだ。それより、お前の方はどうなんだ?」
俺の鋭い視線に、ジーンは肩をすくめて見せる。
「ちゃんと情報収集していたとも。…まあ、その情報の海の中に、麗しき乙女たちの秘密が少しばかり混ざっていただけさ」
「余計なゴミ拾ってんじゃねえよ」
「おっと、手厳しい。それでね……ウロカクシと直接関係するかは分からないけれど、妙な魔物の目撃情報があったみたいだね」
ジーンの目が、一瞬だけ狩人のそれに戻る。
「妙な魔物?」
「ああ。二メートルから二メートル半くらいの人型の魔物で……。姿としてはオーガ…に近いみたいだけれど……体皮が青白くて、牙の代わりに角とかトゲが生えていた…って話さ」
「オーガだぁ……?」
俺は眉をひそめた。
オーガは、C-ランク相当の人型の魔物だ。
発達した筋肉と巨躯が生み出す膂力は厄介極まりない。それにオーガの赤い体皮は生半可な刃を通さないほどに硬質だ。
おまけに、人間を好んで喰うというのだから、戦えない一般人にとっては非常におそろしい怪物だ。
だが、『青白い』上に『角やトゲ』だと?
「曰く、その青オーガはブラックロックマウンテンの方角へ逃げたらしい。でも、その道中、これまた忽然と消えて……見失ったと」
「消えた青いオーガね……また、変異体か…?」
〈鐵喰い〉に続き、また変異体かよ。
嫌な予感が、胸の奥でくすぶり始める。
「さてね。真偽のほどは定かじゃない」
「ひ、人喰い鬼ですの!?」
「あわわ……や、やっぱり、お弁当会は中止にしたほうが……」
エステルとニーコが身を寄せ合い、ガタガタと震えている。
(……姿を消す青いオーガ、か)
「だけど、青いオーガが〈ウロカクシ〉とは考えにくいね」
ジーンが、怯える二人を横目に冷静に分析する。
「……だな。俺も野盗か奴隷狩りみてぇな…組織だった人間の仕業だと考えてた。そうじゃなきゃ説明がつかねえ」
数年にわたって姿を隠し続け、痕跡も残さずに人を攫い続けたという〈ウロカクシ〉。
変異体とはいえ、知能が低いオーガにできる芸当ではない。
現にそいつは、姿を見られた上に、逃げた方向までバレている。
隠密性が売りだったはずの〈ウロカクシ〉にしては、あまりにも杜撰だ。
「では、そ、そのウロカクシかもしれない野盗さん達が、青オーガに食べられてしまったということでしょうか…」
ニーコも震えながら推理に加わる。
「さあな。だが、ガロードが何を見つけていたのか。それを問いただせば正体に近づけるかもしれねぇ……」
俺は、まだ来ていない木偶の坊の姿を探して往来を見渡す。
「喋らないガロード君の口を、どうやって割らせるんだい?」
「まあ、ガロード様はきっと質問すれば答えてくれますわよ?『あの時、俺が見たのは~』って」
エステルが能天気にも、全く似てないガロードの真似をする。
「アイツがそんな風にベラベラ喋るわけねえだろ!」
俺はポキポキと指を鳴らした。
「少々、非人道的な方法を使う」
「ひい……」
「ち、チンピラですわ!?」
俺の殺気に、ニーコとエステルが引きつった声を上げる。
ガロードには恨まれるかもしれねえが、背に腹は代えられねえ。
さて、噂をすれば影だ。
ガロードが、のそのそとパンを齧りながら、集合場所へとやってきた。
「……?」
俺たちの視線が一斉に向けられていることに気づき、ガロードが怪訝そうな顔を浮かべる。
「よぉ、ガロード。お前、記憶力はいい方か?」
俺は満面の笑みで歩み寄る。
「おっと…」
ジーンが巻き込まれぬようにと一歩下がる。
「笑顔なのに……め、目だけ笑っていないですぅ……」
ニーコはオロオロと俺とガロードの顔を交互に見やる。
「ガ、ガロード様、逃げてくださいましぃ…!」
エステルが小声で叫ぶ。
意味が分からないとばかりに、小首をかしげながら眉間に皺を寄せるガロード。
俺は目の前に指を突きつけた。
「〈鐵喰い〉を倒した後のことだ…!あのとき〈リード〉使ってたよな?」
「…………」
コクリ。
ウンと頷き、肯定する。
……肯定だよな?
……パンを味わってる訳じゃねえよな?
「……覚えてるか?あの時、俺が『アイツは群れだったなんて言わねえよな…?』って、てめえに確認したの」
ガロードの咀嚼する顎が、ピタリと止まる。
「……何か、いたんだな?」
ギリッと歯を食い縛りながら回答を待つ。
「……」
もぐもぐ。
「……」
「……!」
ポン、とガロードが手を叩く。
うん。あー、居た居た。
そう言わんばかりに軽く頷いた。
「やっぱりじゃねぇかぁあああ!!このバカ野郎ぉお!!」
反射的に俺の右ストレートが火を噴く!
だが、ガロードは無表情のまま、ひょいとスウェーバックでそれを避けた。
ジーンが俺を抑える。
「落ち着きたまえ!往来だよ……!」
ガロードの顔は、心底不思議そうだった。
(は?なんで殴られた?)
そんな心の声が聞こえてくるようだ。
『群れじゃないか?』と聞かれたから、『群れじゃない』と答えた。
それだけなのに。
俺は嘘をついていない。
そんな理屈が透けて見える。
「あのな……俺が聞いたのは『他に何か異常がないか』って意味で……っ!……ああっくそっ!もういい!あの時、何があったか教えろ!」
ガロードは、うーん…と少し空を見上げて考えたが、すぐに面倒くさくなったのか、再びパンを齧り始めた。
説明する言葉を探すのも、伝えるのも、カロリーの無駄だとでも言うように。
チッ……やっぱりこいつは、まともに答える気がねえみたいだ。
「……できればこんなことはしたくなかったが……答えないってなら仕方ねえ……!」
俺は、低く、地を這うような声を出した。
ゴクリ、とエステル、ニーコ、ジーンの三人が同時に喉を鳴らす。
どんな拷問が始まるのかと、戦々恐々としている。
「……?」
ガロードだけが、キョトンとしている。
俺は、宣告した。
「ガロード、お前……」
指を突きつける。
「今日のお昼、ニーコの作ったお弁当、『食わせねえからな?』」
「……!!」
ガロードの動きが、完全に停止した。
持っていたパンが、手から滑り落ちそうになる。
その顔に浮かんだのは、純然たる驚愕と、深淵なる絶望。
そして、『信じていたのに!』と言わんばかりの、悲痛な抗議の眼差し。
「そ、そんな……」
ニーコが口を押さえる。
「なるほど、実に非人道……コホン。効果的だね」
ジーンが苦笑する。
「あまりにも……あまりにも、酷いですわ……!アリア様には人の心がありませんの!?」
エステルは同情に涙を浮かべている。
「うるせぇ!」
そんな、捨てられた子犬みたいな目で俺を見るな!
「裏切られたのはこっちだバカ野郎!!」
ガロードは、今にも泣きそうな目で愕然としながら、口をへの字に曲げている。
その姿は、おやつを取り上げられた子供そのものだ。
……ガキか、テメェは。
「嫌なら、何があったのか、今すぐ説明するんだな」
俺が低い声で脅すと、ガロードは眉間に深い皺を寄せたまま、左右に視線を泳がせた。
そして、観念したようにマジックポーチからメモ帳とペンを取り出す。
サラサラと何かを書き込み、メモをちぎって俺に寄越した。
(……喋れよ……紙だってタダじゃあるまいに……)
その筋金入りの無言っぷりに呆れながらも、俺はメモに目を落とす。
そこに描かれていたのは、絵と図だ。
「まあ!独創的な構図ですわ!」
エステルが覗き込むなり、反射的に褒め称える。
(いちいち褒めるな!)
お世辞にも上手いとは言えない。ガキの落書きレベルだ。
丸く広い空間に、棒人間が二人。
一人は角が生えていて、いかにも凶悪そうな顔をしている。
そして、その二人の間には、デカイ塊。
「……なんだ、こいつ。鬼か?」
俺は、角の生えた凶悪そうな方を指差して尋ねる。
真顔で頷き肯定するガロード。
そして、次の瞬間。
あろうことか、ビシッ!と俺の方に指を差しやがった。
『鬼』だと。
「喧嘩売ってんのかテメェ!!今すぐその指へし折るぞ!!」
俺の怒号に、ガロードはさっと視線を逸らす。
「あ、アリアさんは!も、もう少しかわいいかと…!」
ニーコがフォロー?する。
少しかよっ!
いや、そうじゃなくて!鬼の方を否定しろよ!!
…チッ、まあいい。冷静になれ、俺。
図を読み解く。
角の生えた棒人間が俺で、もう一方の棒人間がガロード。
二人の間の塊が〈鐵喰い〉か。
そして、この広間の奥に通路があって……ここに抜け殻があったんだよな。
だが、図には続きがあった。
脱け殻のさらに奥に、空間が描かれている。
(……あん?)
これが、俺の記憶とは一致しない。
あそこは行き止まりだったはずだ。
抜け殻の奥に繋がっている空間なんて、なかったはず……。
そして、その未知の空間に、もう一人、棒人間が描かれている。
「コイツは……?さっき話に出た青いオーガか?」
俺の問いにガロードは首を傾げるが、すぐに否定するように首を横に振った。
……ああ、こいつは青オーガの話を聞いてなかったか。
〈リード〉は空気の振動を読み取る魔法だ。
形や大きさは分かっても、よほどの精度がなければ容姿までは掴めない。
……とはいえ、オーガならサイズで分かるはずだ。
「じゃあ……人か?」
こくりと、ガロードが頷く。
人。
こいつが……〈ウロカクシ〉……?
だとしたら。
俺たちが〈鐵喰い〉と死闘を繰り広げる前、あの場所に足を踏み入れた瞬間から。
いや、もっと前から。
俺たちは、コイツの目の前に立っていたってことか?
薄皮一枚隔てた向こう側で、コイツはずっと俺たちを見ていたのか?
「…………ッ」
その奇妙で、あまりにも不気味な事実に、背筋に冷たいものが走った。




