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自由のアリア  作者: カラノニジ
第八章:祈りの果ては虚ろの底
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第65話:お説教

ここから第八章です。

 

 ────

 ──


 重苦しい腹の探り合い、未来への不安を抱えたまま、俺とイルの情報共有は終わった。


 窓の外を見れば、日は既に西に傾き、空は茜色と群青が混ざり合う薄暗い夕闇へと変わっている。


 ギルドの中も、仕事あがりの冒険者たちで徐々に熱気を帯び始めていた。



「それでは、明日の調査、よろしくお願いします」



「ああ……」



 俺たちは席を立ち、ギルドの出口へと向かう。


 正直、胃が痛い。


 皇族の道楽に付き合わされるだけでも御免だというのに、俺の正体を知られているという爆弾まであるのだ。


 一歩間違えれば、俺の首どころか、実家ごと消し飛びかねない。


(……頼むから、明日は何も起きないでくれよ……)


 そんな叶うはずもない願望を抱きながら、俺とイルがギルドの重い扉を押し開け、外の冷たい空気を吸い込んだ、その時だった。



「きゃははははっ!待ってくださいましー!」



「あははっ!ほらほら、遅いわよ!」



 通りの向こうから、まるで祭りでも始まったかのような騒がしい声が近づいてくる。


 見れば、買い出しに行っていた〈ジョーカー〉の面々と、イシュカ……いや、シュカが、両手に大きな紙袋を抱えて戻ってくるところだった。


「あっ!イル!見て見て!最高よ!明日のお弁当、とんでもないわ!」


 先頭を切って走ってくるのは、緋色の髪をなびかせたシュカだ。

 その頬を、まるで新しい玩具を買ってもらった子供のように上気させて満面の笑みを浮かべている。


「初めて食べたけど、これは画期的だわ!手も汚れないし、何より齧るまで中身が分からないのがワクワクするじゃない!」


 シュカは、箱の中から拳大の白い塊を取り出すと、それを宝物のように高々と掲げながら、とてとてと小走りでこちらへ向かってくる。


(……皇女様が、おにぎりを掲げて往来を走るんじゃねぇよ……)


 俺が頭を抱えそうになった次の瞬間。


 ドンッ!!



「うおっと!?」



「きゃっ!」



 前方不注意。


 談笑しながら歩いていた冒険者の一団と、おにぎりを掲げたままのシュカが、曲がり角で盛大に衝突した。


「……いってぇな…」


 不意を突かれた冒険者の男――鉄等級だろうか、体格のいい男が、無様に尻餅をつく。


 そして、彼の手や鎧についた、白くてネバネバした物体に気づき、顔をしかめた。


「ん?なんだこれ!……米か!?ベトベトじゃねえか!どうしてくれんだっ?」


 シュカが手に持っていたおにぎりは、自身の服と男の胸当てにべっとりと張り付き、無残にもひしゃげて一部が崩れ落ちていた。



「あーあ、私の服が……」



「服じゃねぇよ!俺の鎧だ!謝れよ、おい!」



 男が怒声を上げ、立ち上がろうとした時。


「……はぁ?」


 シュカの喉から、間抜けた音が漏れた。


 さっきまでの無邪気な笑顔は瞬時に消え失せ、少し驚いたような、あるいは呆れたような。


 だが、間抜けた声とは裏腹に、その瞳にはゾッとするような兇悪な光が宿る。


 獲物を前にした肉食獣のような。

 あるいは、力量差すら測れない不敬な輩を見下すような。

 ……挑発的で好戦的な笑みだ。


(……っ!?ま、まずい!!)


 俺の顔からサッと血の気が引く。


 皇女が市井の冒険者に因縁をつけられ、逆ギレして暴行?


 洒落にならねぇ!


 そんな騒ぎになったら、正体云々の前に、この街にいられなくなる!


「シュカッ!!」


 俺が思考がフリーズした一瞬の間にも、隣にいたイルは血相を変えて駆け出していた。


 だが、それよりも早く。


「大丈夫ですの?シュカ様?」


 スッ、と。


 まるで風のように、エステルがシュカと冒険者の間に滑り込んだ。


「まぁまぁ…おにぎり、潰れてしまいましたわね!残念ですわ!」


 エステルは、一触即発の空気など微塵も感じていないかのように、ニコニコとシュカに話しかける。


 その手には、いつの間にか大きな重箱が握られていた。


「ですが、大丈夫ですわ!前回のアイアンアント襲撃の反省を生かして、今回は倍の数をご用意しましたものっ!ほら、こちらにまだまだ、代わりがございますわっ♪」


 エステルは重箱から、艶々とした新しいおにぎりを一つ取り出し、殺気を放ち始めていたシュカの手にポンと乗せた。


「……え?」


 手の中に温かいおにぎりが戻ってきたことで、シュカの殺気が霧散する。


 きょとんとした顔で、おにぎりとエステルを交互に見ている。


 そして、エステルはくるりと踵を返し、まだ座り込んだまま呆気にとられている冒険者の男に向き直った。



「お、おい、なんだお前……」



「ああっ…そちらのあなたさまも!わたくしのお友達がご迷惑をおかけしましたわねっ!」



 エステルは懐から真っ白なハンカチを取り出すと、男の鎧についた米粒を、甲斐甲斐しく拭い始めた。


「ごめんなさいましね。でも、見てくださいまし!このお米の炊き加減!粘り気!まさに絶品でしょう?」



「は、はぁ……?」



「お詫びに、あなたさまもこちらをどうぞですわっ!〈陽の果て亭〉のご主人が込めた、魂の一握りですのよ!ぜひ、召し上がってくださいまし!ほら、そちらのお連れの方も」



 そう言って、エステルは男の手を取り、強引に別のおにぎりを握らせた。

 そして、花が咲くような満面の笑みで、男の顔を覗き込む。


「美味しいものを食べれば、きっと怒りもおさまりますわ!ねっ?」


 男は、渡されたおにぎりと、目の前の天真爛漫な少女の笑顔を見比べ……やがて、カチカチに固まっていた肩の力を抜いた。


「……お、おう……悪いな…?」


 完全に、毒気を抜かれている。

 怒る気力が削がれたのか、あるいはエステルのペースに巻き込まれて思考が停止したのか。


 男はバツが悪そうに頭をかくと、おにぎりを持って、仲間と共にすごすごと立ち去っていった。



「「……ふぅ」」



 俺とイルは、同時に深い溜息をついた。


 さっきまでの殺伐とした空気が嘘のように霧散している。

 嵐が過ぎ去った後の静けさ、とでも言うべきか。


 イルが額の冷や汗をハンカチで拭いながら、信じられないものを見るような目で、ニコニコと手を振っているエステルを眺めている。



「……すごいな。シュカの癇癪と、他人の怒りを同時に鎮めるとは……」



「ああ……あいつ、人たらしの才能だけは化け物じみて……」



 俺も同意しかけて、ふと、ある単語が脳裏に引っかかった。



(…………ん?)




 スゥー…………





 …………あいつ、今、なんて言った?




 先ほどの会話を反芻する。



『前回の反省を生かして、今回は倍ご用意しましたものっ!』



 ……倍?


 前回のお弁当パーティの、倍……?


 あのガロードの〈マジックポーチ〉にすら入りきらず、大風呂敷を抱えていた、あの大量の食料の……さらに、倍だと……?



 俺の中で、何かが切れる音がした。



「こんのアホエステルっ!!倍だとてめぇーー!?」



 俺の絶叫が、ギルド前の通りに響き渡る。

 エステルがびくりと肩を跳ねさせ、恐る恐る振り返った。


 そこには、般若も裸足で逃げ出す形相の俺がいたはずだ。



「はぇ!?アリアさま?お、おちついてくださいまし!?」



「落ち着いてられるかマヌケ!倍ってなんだ倍って!お前らは鉱山で炊き出しでもする気か!」



「そ、そうですわ!おにぎりを……おにぎりを食べて、落ち着いて……!」



 エステルが震える手で、懐から新しいおにぎりを差し出してくる。火に油だ。



「そんなんで許すか!アホ!テメェには金の価値ってもんを一からしっかりと教育してやんねぇとならねえみてえだなぁ!?」


 俺は逃げ出そうとするエステルの首根っこをガシッと掴む。


「ひぃ、お助けくださいまし!ニーコさん!ガロード様!シュカ様!」


「ニーコ、ガロード!テメェらも来い!連帯責任だ!」


 俺の怒りの矛先が向いた瞬間、ニーコが「ひっ!」と小さく悲鳴を上げた。



「あ、わわ、ち、ちがうんです!アリアさん!私は止めたんです、でも……!」



「問答無用だ!」



「……(もぐもぐ)」


 ガロードは、我関せずといった様子で、騒動の元凶たるおにぎりを呑気に頬張っている。

 そのマイペースさが、今は無性に腹立たしい。


「ガロード、てめぇもだ!その図太い神経に一本一本、鉄串ぶっ刺してやる!」


 俺が三人まとめて引きずっていこうとすると、どさくさに紛れてシュカが「あはは、じゃあねー!」と逃亡を図ろうとした。



「エステルちゃ……!」



「シュカ……君はこっちだよ?」



 ガシッ。


 イルの冷静な手が、姉の肩をがっちりと掴む。



「えー!離してよイル!私もあっちで説教されたい!」



「君は僕がたっぷりと説教するから、安心したまえ」



 イルの眼鏡の奥の目が、笑っていない。


 こうして、ギルド前の往来で喚き散らすアホ二人をそれぞれ引きずりながら、俺とイルは別々の方向へと別れた。


 これにて、ようやく長い一日が終わる……わけもなく、宿での説教タイムが待っているだけだった。



(……明日の調査、本当に大丈夫なのかよ……)



 遠ざかるイルの背中を見送りながら、俺は心底からの不安を募らせるばかりだった。


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