第63話:暗黙の取引
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カタン、と独特の制動音を立てて〈魔導列車〉がファルメルの駅に停車する。
吐き出された蒸気が、北国特有の冷たく澄んだ空気に白く溶けていった。
僕は、この辺境の街に不似合いな最新鋭の鉄の塊から、先に飛び出していく姉の背中を追って、静かにホームへと降り立つ。
「ねぇイレイル、ここがファルメル?思ったより栄えてるじゃない!」
「……イシュカ」
僕は、辺りを物珍しそうにきょろきょろと見回す姉、イシュカの肩を掴み、溜息交じりに釘を刺す。
道中の列車内で、もう何度繰り返したか分からない確認事項だ。
「いいかい、くれぐれも言動には気をつけて。君は大雑把だから」
「わかってるってば!あんたが『イル』で、あたしは『シュカ』ね!」
イシュカは、まるで面白い遊戯でも覚えたかのように、その偽名を口にする。
艶やかな緋色の髪が、薄く曇ったイドリアの空の下で鮮やかに揺れた。
「それから、くれぐれも面倒事は起こさないでおくれよ。僕たちはただの、物好きな魔法鉱石研究家なんだから」
「はいはい。でも、何かあったらこのあたしが解決してあげるから安心しなさいってば!」
そう言って、イシュカはバンバンと僕の背中を力強く叩く。
その衝撃でずれた銀縁の眼鏡を押し上げながら、僕はもう一度、深い溜息をついた。
……全く、分かってないな、この姉は。
視察という名目で母上から許可を得たが、イシュカを連れていくと言った途端、入念に釘を刺された。
皇族としての立場と責務。それに見合う立ち振舞い。
『ふぅ……あなたに言っても仕方ないわね……イレイルは心得ているのに、イシュカときたら……』
皆がそう言う。
次代の皇帝はイレイル様だと。
イレイル様がいる限り、この国は安泰だ。
だからこそ、イシュカ様の横暴にも目を瞑る。
……と。
逆だ。
僕が支える限り、イシュカは立場も責務も忘れ、自由でいられる。
僕は皇帝になるつもりなどない。
民を導くべきなのは、民を騙し、欺き、殺す、血に濡れたこの両手ではない。
イシュカは僕の持っていない、僕に決定的に『欠け』たものを持っている。
それは決して補うことのできないもの。
生まれたときから分け合った半身。
イシュカの『不足』は僕が補えばいい。
……僕の『欠け』はどうにもならないのだから。
(……とはいえ、節度はもってほしいのだけれどね)
情報収集の起点として、僕たちは冒険者ギルドへと向かった。
荒くれ者たちの怒声と、安いエールの匂いが充満するホール。眉をひそめたくなるような環境だが、こういう場所こそ、情報の宝庫だ。
案の定、活発すぎる姉は、手近なテーブルにいた冒険者たちに「ねえ、ちょっといい!?」と実に気安く話しかけていた。
僕はやれやれと首を振りながら、その会話に混ざる。
「ああ?そりゃ、変異体を倒した奴らだろ?今じゃ、このギルドでちょっとした有名人だぜ」
「リーダーは女で、銀等級らしいが…まあ、関わらねえ方がいい。あのパーティ、どういうわけか厄介者ばっかり引き寄せるんでな。おかげでついた二つ名が〈ババ抜き〉のアリア、だ。くくっ」
「おい、聞こえるぞ。本人にだけは言うなよ、めちゃくちゃキレるからな」
「〈沈黙〉の野郎と組んで、最近できたパーティなんだけどな。名前は…〈ジョーカー〉とか言ったか」
男たちの下世話な噂話に、イシュカは「へぇ、〈ババ抜き〉!だっさい名前~!」と、実に楽しそうに目を輝かせている。
(〈ジョーカー〉…そして、〈ババ抜き〉のアリア、か)
なんとも間抜けな二つ名だ。
とはいえ、こういうものは定着させた者勝ちだ。
名声を得るという意味では、認知されること自体に価値がある。
間抜けなのではなく、意外としたたかなのかもしれない。
「他には?そのアリアについて、何か知ってることはないかな」
僕がそう尋ねると、酔っ払いの冒険者たちは顔を見合わせた。
「んー、あとは…そうだな。リーダーのアリアとかいう女、腕はそこそこ立つらしいが、パーティメンバーが問題児ばっかりでな」
「一人は〈沈黙〉のガロード。その名の通りマジで一言も喋らねえ。コミュニケーション不全の変人だ」
「あとは金髪のナルシスト野郎と、お嬢様っぽいガキと…」
「ああ、最近また一人増えたらしいぜ。〈厄病神〉のニーコとかいう厄介者だ」
(〈沈黙〉…〈厄病神〉…ふむ、確かに厄介者揃いのようだね)
だが、そんなことは僕にとってはどうでもいい。
重要なのは、彼らが〈鐵喰い〉を討伐し、その素材を持っているという事実だ。
〈鉄喰い〉か…。
黒鉄鉱を食わせるように調教したロックドレイクによる生物濃縮。を繰り返し、魔法金属〈アダマンタイト〉を人工的に精製しようとした、あの実験の脱走個体。
実験では魔力を帯びた黒鉄〈魔鉄〉の精製には成功したが、耐久性、耐熱性、保守性、生産コスト、加工性……。
……どれをとっても求める水準には至らなかった。
並行していた〈人造オリハルコン〉精製法の確立もあり、三年前に凍結。
脱走してから三年で変異した個体。
もしもその変異個体が生み出した魔法金属が要件を満たすなら、変異の理由を調べる必要がある。
「その〈ジョーカー〉は、今どこにいるか分かるかな?」
「さあな。ギルドに来てりゃ、あそこのテーブルにいることが多いが…」
男が指差した先には、奥まった場所にある、打ち合わせ用の大きなテーブルがあった。
だが、今は誰もいない。
「まあ、依頼で出払ってるかもしれねえし、そのうち戻ってくるんじゃねえか?」
「…そうか。ありがとう」
僕は軽く頭を下げると、イシュカの腕を掴んで、そのテーブルから離れた。
「ねえイレイル、どうするの?待つ?」
「…いや、待っていても仕方ない。一度、宿を取ろう。その後、街を見て回る」
僕たちは、ギルド職員に紹介された宿に荷物を置くと、再び街へと繰り出した。
ファルメルは辺境の街としては珍しく活気があり、〈魔導列車〉の終着駅であることから、様々な交易品が行き交っている。
だが、僕の本当の目的は、観光ではない。
街を歩きながら、僕は〈鐵喰い〉についての追加情報を集めていた。
武器屋、防具屋、素材商。
それぞれの店で、さりげなく話を振る。
特に商人相手は注意が必要だ。
フードを深く被り身元が悟られないように努める。
商人同士の繋がりは、どこでどう結びついているかわからないからね。
「〈鐵喰い〉の素材?ああ、少し前に銀髪の嬢ちゃん持ち込んだやつか。あれは凄かったぜ。見たことねえ硬さの金属だった」
「ウチの炉じゃ溶かすのも一苦労だったんで加工は諦めて貰ったが…」
「ああ、何やらカマド村のドワーフ鍛冶屋に頼んだとかなんとか…」
(…カマド村の鍛冶師、か)
あちこちへ走り回るイシュカを目の端で捉えながら、頭の中で僕は情報を整理していく。
その夜、僕たちは宿に泊まった。
「庶民ってこんな感じなのねっ!布団もペラペラ、マットも硬い!サイコー!!」
「今まで泊まっていたのは少なくとも貴族用の宿だったからね、本当の庶民向けの宿というのは僕も初めてだよ」
本来は商人が利用するような、中流以上が泊まる宿を予定だった。
だが、イシュカがギルド職員に「一番安そうな宿!」という条件をつけた結果、ここに泊まることになったのだ。
「どおりでね!すごいわ、あたし用の寝袋より硬いもの!」
「……あれは、最高級品だからね」
翌朝、〈ジョーカー〉がギルドへ来ていないかをもう一度確認したが、今日もまだ見ていないらしい。
長期の依頼を受けたという情報もないが……。
ギルドから出た僕たちの目に、何やら騒がしい五人組が飛び込んできた。
「あ、ねえ!イル!あれじゃない!?」
イシュカが、その集団を指差す。
金髪のいかにも軽薄そうな男。
黒髪の無表情な剣士。
おどおどした様子の盾を持った女と、その手を引く少女。
そして――。
腰に二振りの曲剣を下げた銀髪の女。
(……あれが、アリア、か)
僕は、その顔を静かに観察した。
紅い瞳。整った顔立ち。
眉間に刻まれた深い皺。
(はて……どこかで見たような?)
その時、ふと、記憶の断片が脳裏をよぎった。
――軍学校の卒業式。
僕とイシュカは、皇族として式典に出席していた。
代表者への授与の場で、僕は一人ひとりの顔を記憶していく。
有用な人材を見極めるため。
そして、イシュカと僕の脅威となりうる者を把握するため。
その中に、確かにいた。
メルジュエル家の娘。アリアンナ・メルジュエル。
(……まさか、な)
だが、僕の記憶力をもってすれば、間違いはない。
あの横顔。あの目。
間違いなく、彼女だ。
(アリアンナ・メルジュエルが、なぜこんな辺境で冒険者を…?)
そして、すぐに思い至る。
(……そうか。逃亡幇助、か)
メルジュエル家の不祥事については、書類の山の中で何度も目にしていた。
処刑任務を放棄し、脱走兵を逃がした。
そのせいで家を追われ、現在も指名手配中。
中流以下の貴族どもが、この一件を材料にメルジュエル家降ろしに躍起になっている……。
(……その妨害工作のおかげで、逆に彼女の逃亡を助けている、というわけか)
だが、それだけではない。
僕は、この数年間の書類の流れを思い返す。
表面的には、アリアンナを捕らえ、処断し、責任をアリアンナに負わせることで解決したいメルジュエル家と軍。
それを引き延ばし、メルジュエル家を降ろしたい貴族たち。
そういう構図に見える。
だが、実際の動きを見れば――メルジュエル家の立ち回りには、軽い違和感があった。
解決ではなく、引き延ばしに終始している。
(まるで、意図的に収束させないように動いているかのような……)
そして、こうして冒険者として生きている彼女を見て、ようやく理解した。
実際の構図は、アリアンナを捕らえたい軍と、引き延ばしたいメルジュエル家および貴族たち、だったのだ。
だから、収束に向かわない。
(冷徹な処刑人ソーリウス・メルジュエルにも、親心というものがあったとはね…)
僕は、内心で苦笑する。
汚れ仕事を生業とする一族にも、娘を守りたいという感情はあるらしい。
(……とはいえ、だ)
僕は、思考を切り替える。
ここで、この場で、彼女を軍に引き渡すのは――問題が生じる。
〈鐵喰い〉の存在だ。
素材の確認もそうだが、僕が本当に知りたいのは変異の理由。
(そして、何よりも問題になるのは――)
その流入経路。
イドリア帝国に存在するはずのないロックドレイク。
軍にとっては変異よりもその流入経路の方がよっぽど気になるだろう。
もし、軍部がアリアンナ・メルジュエルとこの件の関連を深く調べ始めたら?
すぐにアイラン皇国、ウィックス商会との繋がりまではたどりつくだろう。
この〈鐵喰い〉の魔石が市場に出回った時点で手を回し、箝口令を敷いた。
関連資料も処分し、痕跡も残していないはずだ。
…だが、反逆者の手引きという切り口で調査が進めばどうだろうか?
この〈養殖魔鉄〉プロジェクト、そして、その背後にある魔法金属の研究。
ひいては、〈人造オリハルコン〉の実験にまで、軍が深入りする可能性がある。
そのようなことになれば、研究と量産に遅れが出る。
(それは、避けなければならない)
誤解してはいけない。
『アリアンナ・メルジュエル』を軍に引き渡すことが問題なのではない。
〈鐵喰い〉を討伐した『アリア』を、今、この状況で軍部に引き渡すのが問題なのだ。
それは、僕の計画に――ほんの僅かな、毛先ほどの亀裂を生むかもしれない。
僕の持つ『アリアンナの過去』というカード。
そして目の前のアリアが握り込んでいる『〈鐵喰い〉の出所』という、僕にとってジョーカーになりうるカード……。
お互いに切り札を握り合っているというわけだ。
「ねえ、イル!行きましょうよ!」
イシュカが、僕の腕を引っ張る。
「…分かった。行こう」
僕は、イシュカに促されるまま〈ジョーカー〉の元へと向かった。
そして、彼女──アリアンナ・メルジュエルの前に立つ。
「あなたが、このファルメルのギルドで噂の、パーティ〈ジョーカー〉…〈ババ抜き〉のアリアですね?」
あえて挑発的な呼びかけを行い、注意を引いてから。
「『初めまして』、かな?『アリアンナ』」
僕が彼女にだけ聞こえるように囁くと、彼女の顔がみるみるうちに青ざめていった。
(気づいているのか、やはり)
なら、返事を待たずに僕は続ける。
「僕の名前はイル。こっちは、姉のシュカだ」
わざと、偽の名前を名乗る。
……これは、暗黙の取引だ。
『君の正体は知っている』
『だが、今は黙っていてやる』
『だから、君も余計なことを語るな』
彼女が、それを理解してくれることを祈りながら。
読んでくれてありがとうございます。
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