第62話:ピクニック会議
……何やってんだ、こいつらは。
そして、視線を上げると、イルもまた同じように眼鏡の縁を手で持ちあげながら、呆れたように小さく息を吐いていた。
その目が、俺と合う。
言葉にはしなかったが、互いの心の声が、確かに通じ合った気がした。
やがて、イルは欠片から目を離し、それを丁寧に布に包み直すと、俺に向かって言った。
「これで足りれば良いのですが……」
そう言ってイルがテーブルの上に置いたのは、小さな革袋。
中から聞こえる重く乾いた音は、間違いなく大金貨のものだ。
それが数枚。
(こんな欠片に大金貨だと……!?くそっ金持ちめっ!!)
俺は声をあげそうになるのをグッとこらえて、コクコクと頷く。
金なんかどうでもいいから、さっさと帰ってくれというのが正直な感想だ。
「ありがとうございます。非常に興味深いサンプルでした。正確な分析は、研究室に持ち帰ってからになりますが……」
イルは、一瞬だけ言葉を切った。
「……おそらく、僕が期待していたほどの特異性は、ないかもしれません」
(…やっぱりな)
俺は、内心で頷いた。
こいつが、わざわざこんな辺境まで足を運んだ理由――。
それは、この〈鐵喰い〉が、何か特別な価値を持っていると期待していたからだ。
…だが、どうやらそれは肩透かしに終わったらしい。
そのお陰で「加工した武具まで全部接収!」とならなかったのは、好都合と言えるのかもしれんが……。
「それでは、僕たちはこれで…」
イルが席を立とうとした、その時だった。
「えー!もう帰っちゃうの!?」
シュカが、クッキーを頬張りながら、不満そうに声を上げた。
「せっかく面白そうな人たちと会えたのに!」
「シュカ、僕たちには予定が…」
「やだ!」
シュカは、子供のように頬を膨らませた。
その姿は、そこらのワガママなガキと何ら変わりない。
(こいつが次期皇帝候補の一人だなんて、イドリアの未来は暗いぜ……ったく)
まあ、思っても絶対に口には出せないが。
そんなことをすれば、不敬罪で即刻お縄だ。
「せっかくだから、一緒に冒険したい!」
「冒険って…」
イルが、額に手を当てて呻く。
その完璧なポーカーフェイスが、僅かに崩れている。
どうやら、この姉の奔放さには、皇子様とて手を焼いているらしい。
「まあ!それは素敵ですわ!」
エステルが、パチンと手を叩いた。
「実はですね、わたくしたち、これから鉱山の調査に行く予定なんですの!」
「鉱山!?」
シュカの目が、さらに輝く。
「面白そう!行く行く!ねえ、イル!一緒に行こうよ!」
「…シュカ」
イルが、低い声で姉の名を呼ぶ。
「あはは、おいエステルー、無理を言っちゃいけねぇよー。退屈な調査にシュカさんを巻き込むわけにはいかないだろー」
(このアホーーーーーっ!人の気も知らないで!ふざけんじゃねーぞっ!!)
「えーっ!そんなことありませんわっ!この近辺を脅かすウロカクシという怪奇現象っ!その原因を突き止めるべく――っむぐ!?」
俺はエステルの口を手で塞いで物理的に黙らせる。
俺が鬼の形相で視線を送ると、ガロードがようやくクッキーから顔を上げた。
そして、俺の顔を見ると怪訝そうに眉間にしわを寄せる。
(ガロード!!食ってる場合じゃねぇ!!〈サイレス〉!!〈サイレス〉だっ!!)
やがてガロードは、合点がいったとばかりに、ポンと手を叩く。
そして、やれやれといった風に自分のクッキーをこちらに一枚、すっと差し出した。
(ブッ飛ばすぞテメェ!!)
シュカも聞く耳を持たない。
「ウロカクシ!?面白そうじゃない!!いいでしょ!?ねえ!お願い!」
イルは、深く、深く、息を吐いた。
そして、諦めたように、俺の方を見た。
「…構いませんか?」
その目は、『断れ』とも『助けてくれ』とも言っていた。
だが、俺には分かっている。
こいつは、姉のワガママを絶対に断れない。
「……ああ、別に構わねえが」
俺の声は、死刑宣告を受け入れる囚人のように虚ろだった。
(クソが……)
ようやく、この息苦しい時間が終わると思った瞬間だった。
溺れながらようやく水面に顔を出せると思った瞬間に、重い鎖に足首を掴まれて暗い水底へと引きずり戻されるような感覚だった。
俺の絶望は誰にも気づかれることなく、ギルドの喧騒の中に溶けて消えた。
「やった!」
シュカが、嬉しそうに跳ね上がる。
「楽しみね、エステルちゃん!」
「ええ!ご一緒できて光栄ですわ、シュカ様!」
二人は、まるで遠足前の子供のように、手を取り合ってはしゃいでいる。
ガロードは、相変わらずクッキーを食べ続けている。
ジーンは、「ふむ、新たな美女の登場とはね」と、いつものキザな笑みを浮かべ、愉快げにその様子を眺めている。
ニーコは、少し戸惑いながらも「あ、あの、お紅茶のおかわりはいかがですか…?」と言って、追加の紅茶をシュカにも淹れてあげている。
そして、イルは……。
俺と同じように、テーブルに肘をついて深く頭を抱えていた。
ギルドの喧騒の中、俺は深く、深く、溜息をついた。
(…この状況、どうにかしないと、マジで胃に穴が開く…)
「あっ、そうですわ!」
エステルが、何かを思い出したように、ぱっと顔を輝かせた。
「せっかくですもの!『第二回お弁当会』を開きませんこと!?」
「第二回……?」
シュカが不思議そうに首を傾げる。
「ええ!以前、タリア平原へ向かう途中で、それはそれは素敵なお弁当会を開いたんですのよ!でも、途中で可愛らしいアリさんたちに邪魔されてしまって…」
「アイアンアントだ。魔物だ。そして台無しにした元凶はそこにいるバカだ」
俺は即座に訂正を入れる。
「まあ、細かいことは気になさらず!とにかく、今度こそリベンジですわ!」
「あら、いいじゃない!楽しそう!」
シュカが身を乗り出して賛同する。
ガロードもクッキーを口いっぱいに頬張りながら、目を輝かせて力強く何度も頷いている。
「それでしたら、〈陽の果て亭〉に特注のお弁当を発注いたしましょう!あそこのご主人、とっても腕がいいんですのよ!」
「へぇ〜、楽しみ!!」
「それと…ニーコさん!」
エステルが紅茶を淹れていたニーコに声をかける。
「え、わ、私ですか?」
「ええ!ニーコさんのお料理、とっても美味しいんですもの!今回のお弁当の品も、いくつか作っていただけませんこと?」
「え、ええっ!?わ、私なんかが、そんな…」
「いいわ!ニーコちゃんの料理、私も食べてみたい!」
シュカが無邪気にそう言うと、ジーンもキザな仕草で続く。
「おやおや、美女たちの手料理が味わえるピクニックとはね。これはボクも心を込めて、君たちの美しさを讃える詩でも詠むとしようかな!」
ニーコは困ったように視線を泳がせたが、エステルとシュカの期待に満ちた目に押され、観念したように頷いた。
「わ、分かりました…が、がんばります……!」
「やったー!」
エステルとシュカが、ぱちぱちと手を叩く。
その隣で、ガロードも実に満足げな表情で拍手している。
(……お前ら、これから危険な調査に行くって自覚、本当にあるのか?)
「それじゃあ、ボクは少し情報収集に行ってくるよ」
「……情報収集、ねぇ」
ジーンがさりげなく席を立とうとするのを俺はジロリと睨む。
「もちろんさ。この街の噂話や、鉱山周辺の最新情報を仕入れておくのも、冒険者の仕事だろう?」
「……どうせ、女のところに行くんだろうが」
「おやおや、まあまあ、アリアちゃん!そんなふうに疑うなんて、ボクは傷ついたよ……。しっかりと情報収集してくるとも!……まあ、たまたま親しくしている酒場の看板娘が、そういう情報に詳しいというだけでね」
ジーンは悪びれる様子もなく、キザな笑みを浮かべながら、ひらひらと手を振って立ち去っていく。
(……やっぱり、女じゃねえか!)
今、このテーブルには、まともな思考をしている人間が俺とイルしかいないということを否応なく再認識させられた俺は途方もない脱力感に見舞われ、深く溜息をついた。
「ねえ、イル!あんたも何か食べたいものある?」
シュカが、無邪気にイルに話しかける。
「……僕は、何でもいいよ」
「つまんないわね。もっと積極的に行きなさいよ!せっかくのピクニックなのよ?」
「……はぁ、君にとってはピクニックなのだろうけどね」
イルの溜息が、さらに深くなる。
俺はその様子を見て、少しだけ…本当に少しだけ、同情した。
(……こいつも、大変なんだな)
だが、同情している場合じゃない。
俺には、もっと大きな問題がある。
この、首に刃を突きつけられたような状況を、どうにか切り抜けなければならない。
(……とりあえず、今は……従うしかねえな)
「それでは早速、お弁当を調達に行きましょう!皆様方!」
「おーっ」と騒がしい一団はぞろぞろとギルドをあとにし、このテーブルには俺とイルの二人と、クッキーの甘い香りだけが残された。
ギルドの喧騒が、まるで分厚い壁の向こう側のように遠のいていく。
静寂が、重く、息苦しく、俺とイルの間にのしかかる。
(……さて、どう出る、皇子様)
俺は、自身の生存確率を少しでも上げるために、思考をフル回転させる。
考えるべき議題は一つ。
『なぜ、この皇子は俺がアリアンナ・メルジュエルだと知りつつ、憲兵に突き出さないのか』。
指名手配されていることを知らない?
……いや、この抜け目なさそうな皇子サマに限って、そんなはずはねぇ。
お忍びだから騒ぎにしたくない…?
わざわざ変装までして偽名を名乗っている以上、その線も考えられる。
だが、軍律を破った反逆者を見過ごす理由としては、弱すぎやしねぇか…?
イレイルが身分を偽って来た理由。
それは、元々俺に接触するつもりだったからだ。
……だとしたら、尚更おかしい。
俺が『アリアンナ』だと知っていて接触するなら、顔が割れている可能性を考慮しない変装に意味はねぇ。
イレイルが『アリア』に接触する理由……やはり、〈鐵喰い〉か、この〈魔鉄〉だろう。
まぁ、さっきの様子だと、お眼鏡にはかなわなかったようだが……。
だとしても、だ。
魔鉄が欲しいだけなら、俺をさっさと突き出せばいい。
あとは適当な理由をつけて接収する方がよっぽど早ぇ。
突き出さない理由にはならない…。
どれも、今一つ決め手に欠ける。
(……もしかすると、俺は自分でも気づいていない、交換条件になりうる何かを掴んじまっているのか?)
だとしたら、それは命綱か、それとも……。
(……掴んだものが、獅子の尻尾じゃない保証が、どこにあるってんだ…?)
ぞわり、と背筋に冷たいものが走る。
その思考を遮るように、イレイルが声をかけてきた。
「さて、アリアさん。少し、情報共有をしておきたい」
その声は、穏やかでありながら、有無を言わさぬ響きを持っていた。
「その洞窟の内部は調査したのですか?」
「いや」俺は首を振る。
「俺たちは討伐だけで、直接的な調査には関わっちゃいねぇ。それが、今回のウロカクシの件に繋がってる」
俺は、奴の真意を探りながら、慎重に言葉を選ぶ。
「ことの発端はブラックロックマウンテンの第三坑道と……〈鐵喰い〉が掘り進めた洞窟とが繋がったことだ。俺とガロードは元々、その洞窟の予備調査……つまり、危険の排除って依頼を受けて、運悪く〈鐵喰い〉と会敵し、これを討伐した。それだけだ」
あの時の状況を思い返しながら話を続ける。
「その後、本調査として、現場監督者のオロンと鉱員たちが調査を始めた。…そして、四日前。洞窟調査にあたっていた鉱員が二人行方不明になった。若ぇもんとは言ってたが、迷子になるような奴らでもないらしい。かといって襲われた痕跡もなにも残っていない。この状況から…直接的な関与は不明だが、この近隣で最近噂になってる〈ウロカクシ〉って行方不明事件が、関わってる可能性も考えてる。……これが、俺たちが今、把握してる全てだ」
「……ウロカクシですか」
イルは軽く眼鏡を上げながら、何かを考えるように俺の言葉を繰り返す。
「なるほど。状況は理解しました」
しばらく思考に耽ったのちに頷いた。
(この皇子の頭のなかで一体どれほどの内容が駆け巡ってんのかなんて全く、これっぽっちもわかんねぇが……)
「それでは、明日の調査、よろしくお願いします」
(祈るしかねぇな……明日もまだ首が繋がってることをよ……)
俺は複雑な表情で、小さく頷き返す。
(さて…あの洞窟に、一体何が潜んでいるのか)
(少なくとも目の前のこの皇子よりはマシなんだろうぜ……)
俺は、静かに思考を巡らせた。




