第61話:皇女サマと皇子サマ
(…さて、と)
次なる議題は、オロンの爺さんから半ば強引に押し付けられたあの厄介な依頼だ。
消えた二人の鉱員と〈ウロカクシ〉とやらの、気味の悪い噂。
まずは、情報集めと準備も整える必要があるな。
ファルメルの街門をくぐり、俺たちは情報収集の起点となる冒険者ギルドへと向かっていた。
活気のある大通りを抜け、見慣れたギルドの看板が目と鼻の先に見えてきた、その時だった。
俺の目の前に、すっと、影が落ちた。
俺の進路を塞ぐように、二人組の男女が立っている。
二人とも、ごくありふれた少し着古したような平民の旅服を着ている。
背には、それなりの大きさの荷物を背負っており、その出で立ちは、この辺境都市ファルメルでは掃いて捨てるほどいるただの旅人か、駆け出しの冒険者にしか見えなかった。
(…なんだ?道でも聞きてえのか?)
だが、何かが妙だった。
旅人にしては、その立ち姿に隙がなさすぎる。
新米冒険者にしては、その視線に、妙な落ち着きと、傲慢さすら感じられる。
服装とその立ち振る舞いが、ちぐはぐで不自然だ。
俺が警戒心から喉を鳴らすよりも早く、男の方が、にこりと完璧な笑みを浮かべて口を開いた。
「あなたが、このファルメルのギルドで噂のパーティ〈ジョーカー〉……〈ババ抜き〉のアリアですね?」
「ああ!?なんだ、テメー喧嘩売ってんの…っ」
声をかけられたことで改めてこの二人を観察する。
男の方は、穏やかな顔立ちに、銀縁の眼鏡をかけている。
そのレンズの奥の蒼い瞳は、人懐っこそうな笑みを浮かべているようでいて、その実、こちらの内側まで探るような冷たい光を宿していた。
女の方も、男と背格好は似通っている。
燃えるような緋色の髪をざっくりと後ろでまとめ、その勝ち気そうな橙の瞳は、まるで品定めでもするかのように、俺たち一人一人の顔を、じろじろと見ている。
そして、男は、ずいっと一歩俺に踏み込む。
深く被っていたフードを外しながら、俺にだけ聞こえるように、顔を近づけて、静かに低い声で囁いた。
「『初めまして』、かな?『アリアンナ』」
その、フードの下から現れた顔。
銀縁の眼鏡の奥にある、あまりにも見覚えのある、蒼い瞳。
その顔を見た瞬間、俺の中で、忘れていたはずの記憶のシナプスが、バチリ…と灼けつくような音を立てて繋がった。
全身の血の気が、一気に足元へ向かって流れ落ちていくのを感じる。
心臓がまるで氷の手にでも握り潰されたかのように、きゅっと縮まる。
(おい……おいおいおいおいっ!!なんで、ここに……)
「僕の名前はイル。こっちは、姉のシュカだ」
「よろしく〜」
シュカ、と呼ばれた緋色の髪の女は、まるで近所の知り合いにでも挨拶するかのように、ひらひらと小さく手を振る。
その屈託のない仕草が、今の俺には猛獣の欠伸のようにしか見えなかった。
俺が、声も出せずに凍り付いているのを、男――イルは、気にも留めない様子で、言葉を続けた。
「…僕たちは、魔法鉱石の研究をしていてね。あなたたちが倒したという、変異体の魔物〈鐡喰い〉について、少しお話を聞かせてもらえないかと思って、尋ねさせてもらった次第です」
その、あまりにも完璧な自己紹介と、もっともらしい理由。
だが、そんなものは、今の俺の耳には、一切入ってこなかった。
そんな俺を放置して、俺の後ろにいた仲間たちが、嬉々としてその言葉に食いつく。
「まぁ!わたくしたち〈ジョーカー〉も、それほどまでに有名になったということですわねっ!うふふ!」
エステルが、誇らしげに胸を張る。
「そうだとも!ボクたちの武勇伝について、ぜひ、じっくりと話してあげようじゃないか!こんな場所で立ち話もなんだし、さあ、ギルドの中へ…!」
ジーンが、新たな観客を見つけたとばかりに、芝居がかった仕草で手招きする。
「そ、そうですね、ここだと寒くて凍えてしまいますから…。それに、私も、その時の話、ぜひ聞きたいです…っ」
ニーコが、おずおずと、しかし好奇心には抗えずに同意する。
「……」
そしてガロードは、心底興味がなさそうに、ふぁ、と大きな欠伸を一つすると、こちらにちらりと視線を向けた。
「説明は任せた」とでも言いたげに。
くそっ…!最悪だ…!
考えうる限り、最悪の事態だ…!
いや、違う!
想像すらしていかった、あり得ない悪夢だ!
(なんで、よりにもよって、帝国の皇族が…こんな、クソ辺境の街に居やがるんだよっ!!?)
俺の内心の絶叫は、もちろん、誰の耳にも届くことはなかった。
もはや、俺の顔は今まさに刑の執行を待つ罪人のように、真っ青だっただろう。
ギルドへと向かう、たった数メートルの距離が、永遠に続くかのように遠い。
足に力が入らず、自分がまっすぐに歩けているのかすら、分からなかった。
……いや、だが、待て。
あの男……イレイル皇子は、俺がアリアンナ・メルジュエルであると、完全に認識した上で、敢えて『初めまして』と言った。
もしも、俺を罪人として、今この場でしょっぴくつもりがあるのだとすれば、そのような、遠回しな言い方をするだろうか?
これは、言外の取引だ…。
(『黙っといてやる』からそっちも『黙っとけ』…ってか?)
その思考に至った瞬間、凍り付いていた俺の脳が、再び、ゆっくりと動き始める。
そうだとすれば、渡りに船だ。
少なくとも、今、この場で、問答無用に処断されるという、最悪の心配はない。
とはいえ、どういう意図で俺たちに接触してきたのかは、全く読み切れない。
俺の首には、間違いなくロープが掛かったままだ。
あの皇子様のお気持ち一つで、この足元の床は、いつでも抜け落ちる。
(とにかく…今は、黙って従うしか、ねぇ…!!)
覚悟を決めると、踏み出す足が、僅かに力を取り戻す。
それでもまだ、生きた心地がしなかったが……。
ギィィ…と、ギルドの重い扉を開ける。
俺の心の中のざわめきなど、全く気にもしないかのように、いつも通りの、エールと汗と埃の混じった匂い、そして喧騒が、俺たちを迎えてくれた。
その中で、奥の方にある、いつもの俺たちのテーブルに座っていた若手の冒険者たちが、ぞろぞろと入ってきた俺たちの姿を見るなり、慌てて席を立とうとする。
それを見たエステルが、「あら、皆様、よろしければご一緒いたしませんこと?」などと、にこやかに声をかけている。
だが、その善意は、むしろ逆効果だった。
「あ、ああ、いや、大丈夫だ!気にしないでくれ!」
彼らは、まるで、何か恐ろしいものから逃げるかのように、そそくさとテーブルを明け渡し、足早に立ち去っていく。
噂話の種としては面白いが、決して関わりたくはない…。
それが、今の俺たち〈ジョーカー〉への、ギルド内での一般的な評価ってところか。
全くもって、心外だ。
俺は内心で悪態をつきながら、その曰く付きのテーブルへと、二人の本物の厄ネタを案内するのだった。
俺たちは、ギルド内のいつものテーブルに腰を下ろした。
イルとシュカは、俺の正面に並んで座る。
その配置が、まるで尋問のようで、俺の背筋に嫌な汗が滲む。
「それで、〈鐵喰い〉についてなんだが…」
俺は、喉に引っかかった棘を無理やり飲み込むようにして、口を開いた。
(ここで、下手なことを言えば……いや、考えるな。あっちがどこまで裏を取ってるかわからん。素直に、事実だけを話すしかねぇ……)
「あれが出たのは、ファルメルから東にあるブラックロックマウンテンの鉱山の洞窟だ。調査依頼を受けて入ったんだが…まさか、あんなデカい奴が潜んでるとは思ってなかった」
「ふむ、それで?」
イルが、興味深そうに身を乗り出す。
その仕草は、本当にただの研究者のように見えた。
だが、その眼鏡の奥で光る目は、獲物の内臓を検分するような、底知れない冷たさを湛えている。
(クソッ……気味が悪ぃ……)
俺は喉の渇きを覚えながら、努めて冷静に言葉を続けた。
「普通のロックドレイクとは、明らかに違っていた。体は一回りも二回りもデカく、甲殻は金属光沢を放っていて…何より、鉱石を食っていやがった。黒鉄をバリバリと齧って、体に取り込んでる感じだった」
シュカが、目を輝かせて身を乗り出す。
「それで!?どうやって倒したの!?」
「硬くて、剣での攻撃がほとんど通じなかったんでな……。案内役のドワーフが持ってきたツルハシで……斬るんじゃなく掘って解体していった」
「ツルハシ!?あははっ!あんたたち面白すぎっ!すごいじゃない!」
シュカは、まるで冒険譚を聞く子供のように、キラキラとした目で俺を見つめている。
(…こいつ、本当に皇女か?演技にしては自然すぎる……)
気に入られるのが良いのか悪いのか現状では判断できない。
気に入られることで余命が幾ばくか延びているのか、それとも自分の墓穴をどんどんと掘り広げているだけなのか……。
一方のイルは、冷静に問いを重ねる。
「変異の原因について、何か心当たりは?」
「…さあな。あんな場所に、ロックドレイクがいること自体がおかしい。本来はアイランなんかの暖かい地方の生き物だ。誰かが持ち込んだのか、それとも迷い込んだのか…俺たちには、分からねえ」
俺は、肩をすくめて見せた。
これは、本当に俺の正直な感想だ。
嘘は言っていない。
イルは、ふむ、と頷くと、俺の腰に差された双剣に視線を向けた。
「その剣…見事な細工ですね。もしかして、その〈鐵喰い〉の素材で?」
「ああ」
俺は、腰の曲剣の片方…マノンが名付けた〈リベレイター〉を抜き、テーブルの上に置いた。
夜空を溶かし込んだような濃紺の刀身が、ギルドの照明を受けて、静かに輝く。
イルは、その刀身を食い入るように見つめ、そっと指で触れようとする。
「触るなら、気をつけろ。切れるぞ」
「ええ、もちろん」
イルは、まるで極上の芸術品を扱うかのように、慎重にその刀身をなぞった。
「素晴らしい…この光沢、この硬度…。鍛冶師の腕も、相当なものですね」
「超一流の鍛冶師の作品だ。文句のつけようがねぇ」
俺は、そう言いながら、マジックバッグから小さな布包みを取り出した。
これ以上、こいつらに主導権を握られてたまるか。
「これが、端材だ。顎の欠片になる」
布を開くと、手のひらサイズの、黒光りする金属片が現れた。
それは、ただの鉄の塊とは明らかに違う、異様なまでの密度と存在感を放っていた。
イルは、それを手に取ると、じっくりと観察し始める。
「剣はダメだがこっちの欠片なら譲っても良い」
「…ふむ、かなりの重量。なるほど、こちらの剣の〈刻〉は軽量化のための付与ですか…。分析にかけてみないとわからないが、想定を上回るものではない、か……」
ぶつぶつと何かを呟きながらも、その表情には、興味と、そして、ほんの僅かな…落胆が混じっていた。
(……期待外れ、ってか?)
一方、シュカは、相変わらず目を輝かせている。
「ねえねえ、他にも戦った魔物とか、いる?もっと聞かせてよ!」
「ああ、それでしたら!」
エステルが、待ってましたとばかりに声を上げた。
「わたくしたち、つい先日、恐ろしくて邪悪なオバケの親分を倒したんですのよ!」
「オバケ!?面白そう!」
「ええ!それはもう、とっても怖かったんですけれど、わたくしも勇敢に立ち向かいまして…」
エステルが、例によって誇張120%の武勇伝を語り始める。
そして、いつの間にか、ガロードがテーブルの上にクッキーの包みを広げ、もぐもぐと食べ始めていた。
「あら!美味しそうじゃない!私にもちょうだい!」
シュカが、遠慮なくガロードのクッキーに手を伸ばす。
ガロードは、一瞬だけ獲物を奪われる獣のような警戒の目つきをしたが、エステルとシュカの屈託のない笑顔に、諦めたように包みを差し出した。
「わぁ!ありがと!」
「まあ、おやつの時間ですわね!ニーコさん、お紅茶をご用意いたしますので手伝っていただけますこと?」
「わ、わかりました!あ、それじゃあ、ジャムも出しますねっ」
エステルとニーコは共に紅茶を淹れ始める。
「やれやれ、これは賑やかになりそうだね」
ジーンも苦笑しながらその輪に加わっていく。
俺は、その光景を見て、深く、深く、頭を抱えた。
(何度も言うけどよ、ここはカフェじゃなくて冒険者ギルドなんだぞ……?)




