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自由のアリア  作者: カラノニジ
第七章:過去とはイとヒく粘性の鎖
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第56話:過去の亡霊

 ギルドを出てファルメルの喧騒の中へと戻る。

 先日の死闘が嘘のような平和な昼下がりだ。


「よし、てめえら!これから買い出しだ。必要なモンがあるやつは、さっさと済ませてこい!」


 俺がそう言うと、まずガロードがおもむろに、その巨大な手のひらを俺の前に突き出してきた。


 俺は、やれやれと溜息をつき、金の入った袋から数枚を取り出して、その手に乗せてやる。


 今回の報酬…いや、「おこづかい」だ。


 金を受け取るや否や、ガロードは踵を返すと、一言も発することなく、鼻をくんくんさせながら飯の匂いがする方角へと消えていった。


「お釣りは返せよっ!」


 俺はそう叫ぶが、ヤツに聞こえているかは定かではない。


「では、わたくしたちはお洋服を見てまいりますわ!ね、ニーコさん!」



「え、あ、はいっ!」


 エステルは、すっかりニーコの手を引いて歩くのが癖になったらしい。

 エステルの背負うマジックバッグは俺が預かると、そのまま二人は楽しげに街の仕立て屋の方へと向かっていく。


「それじゃあ、ボクは新しい矢を補充してくるよ。なにせ、ボクの輝きに耐えきれず、矢もすぐに消耗してしまうからね」


 ジーンが、キザな仕草で髪を掻き上げながら言う。


 あの戦い後、再利用できる矢は回収したが、それでも消耗してしまった分の補充は必要だ。


 ……どうせ、その道中には、懇意にしている酒場の女か、どこぞの店の看板娘あたりが絡んでいるに決まっているが。


(……どいつもこいつも、自由なこった)


 俺の仕事は、マノンの姐さんへの手土産の酒の購入と、消耗したポーションの補充だ。

 俺は、すっかり見慣れた石畳の道を進み、まずは酒屋〈樽処ワース〉へ向かう。

 オーク樽を模した店の扉をくぐると、カランコロンとドアベルが鳴った。


 酒なんてたまにしか飲まない俺が、今やすっかりこの店の常連になっちまっているというのも、皮肉な話だ。


「おお、嬢ちゃんじゃねえか!よく来たな!また〈竜火酒〉かい?」


 カウンターの奥から、店の主であるドワーフの親父が、ダミ声で歓迎してくる。


「いや、親父。今回は別のを頼む。いつも同じじゃ芸がねぇしな」



「へっへっへ、毎度あり!…どうだい、嬢ちゃん。たまには、ガルドアから入った、この火を噴くような蒸留酒ってのも…」



「いらねえ。俺は飲まねえんだ」



「そう言わずに、一口だけでも…」


 俺を上客と見込んでいるのか、親父はあれやこれやと、しつこく新しい酒を勧めてくる。

 それを適当にあしらいながら勘定を済ませ、酒をマジックバッグへ押し込むと店を出た。


 次に、ポーションを補充するために、街で一番大きな商店〈ウィックス百貨店〉へと向かう。

 店の前では、ちょうど商品搬入の真っ最中らしく、屈強な男たちが大きな木製のコンテナを運び入れていた。


 その光景を横目に店内へと足を踏み入れようとした、その時だった。



 背後から不意に、囁くような声がかけられた。




「……アリアンナ…?」




 それは、俺が忘れたくても忘れられない……


 過去の亡霊の声だった。




 ばっ、と。



 まるで背後から斬りつけられたかのように、俺は振り向いた。



 その声の主を見て、俺は、言葉を失う。



 呼吸が止まる。



 繁華通りの雑然とした人混みも、その喧騒も、全てが遠のいていく。



 そこに立っていたのは、俺と同じように、驚愕に目を見開いたまま固まっている一人の青年だった。




「…テイ…ラン…?」




 乾き、張り付いた喉から、かろうじて絞り出した声は、自分のものではないように掠れていた。


 俺が、メルジュエル家の全てを捨て、軍律を破り、このファルメルまで逃げ延びる原因となった男。



 俺の、"かつての友"。



 その男が、今、目の前にいた。



 俺の胸の奥底で、凍り付いていたはずの感情が、濁流となって渦を巻く。



 驚愕。


 再会できたことへの、ほんの僅かな喜び。


 あの日の、どうしようもない落胆。


 そして、今もなお燻り続ける、語り尽くせないほどの、怒り。



 それらがないまぜになって、喉を塞ぎ、二の句が出てこない。



 だが、テイランは違った。



 俺の姿を完全に認識した瞬間、その顔をくしゃりと歪めると、目にみるみる涙が浮かび上がってくる。


 そして、それを隠すかのように、額を擦り付けるほどに深く顔を伏せる。



 ドサッ!



「悪かった…っ!!」



 突然、その場に土下座する。

 それも、ただの土下座ではない。

 人々行き交う薄汚れた石畳の地面に、その額を何度も、何度も、こすりつけるように下げ続けた。



「俺が…!俺のせいで…っ!」



 その恥も外聞もない姿に、コンテナを運んでいた作業員たちも、何事かと面食らった様子で、作業の手を止めている。

 周囲の買い物客たちも、遠巻きにこちらを指差し、ヒソヒソと囁き合っている。



 この、昔と寸分違わぬ、バカで、どうしようもなく愚直なテイランの様子に、俺の中で燃え盛っていたはずの怒りの炎は萎み、すっかりと毒気を抜かれてしまった。



(……この、馬鹿が…)



 俺は、チッ、と大きく舌打ちをすると、うずくまったままのテイランの背中に低い声を投げかける。


「……立て。場所を変えるぞ」


 その声に、テイランはびくりと肩を震わせる。


「いいから、立て。ここで話す内容じゃねえだろうが」


 俺の有無を言わさぬ口調に、テイランはおずおずと顔を上げる。


 よろよろと立ち上がり、運び屋の親方らしき屈強な男の方へと駆け寄った。


「……すまん、少し、時間を」


 テイランがそう言うと、親方もただならぬ事情を察したのだろう。

 ただ、その言葉に「あ、ああ…」と頷くだけだった。


 俺は、その光景を腕を組んだまま冷たい視線で見つめていた。



 人目を避けるように少し離れて店の裏手、薄汚れた路地裏へと入った。

 俺は再度、腕を組むと、ひやりとした壁にもたれかかり、目の前に立つ男を無言で見据えた。



「悪かった、アリアンナ、俺は…!」



 なおも謝罪を続けようとするテイランの言葉を、俺は右手を軽く上げて制止する。


「……それは、もういい」



「……」



「……それで?お前は何だってこんな辺境の街にいやがるんだ?」



 正直な話をすれば、今すぐにでも、その情けない顔面に拳を叩きつけてやりたかった。



 だが、それはしない。



 殴れば、きっと楽になるだろう。

 俺も、そして、コイツも。


 だが、それは『殴る』という行為をもって、コイツの『罪』を許してやることになる。

 俺の拳で、コイツの過去を精算させてやることになる。



 俺は、それを許さない。



 これは、俺がこんな場所まで逃げる羽目になったことへの、個人的な『怨み』ではない。


 かつて、「将軍になる」という、分不相応だが、それでも輝いて見えた夢を俺に語り、そして、その夢からも、俺の前からも逃げ出した、この男への『罰』であり『けじめ』だ。



「あ、ああ…。俺は、あの後、ひたすら西へ逃げて……。そこで食うに困って転がり込んだのが、今の〈運び屋ウィンランド〉だったんだ」



 軍仕込みの戦闘技術を買われ、今は運び屋の護衛として、日銭を稼いでいるらしい。


 逃亡兵の身でありながら、真っ当な仕事にありつけているのは、幸運と言うべきだろう。


 野盗にでも身をやつし、悪事に手を染めていなかったことに、俺は静かに胸を撫で下ろした。



「……アリアンナは、何故ここに……?」


 おずおずと、テイランが尋ねる。俺は、自嘲気味に鼻を鳴らした。


「おかげさまで、俺は実家を追い出されて、今じゃ指名手配中だ。見ての通り、自由気ままな冒険者様だよ」


 そう言って、首にかかった銀の認識票プレートを、指で弾いて見せる。

 その、棘を含んだ俺の言葉に、テイランは再び、苦痛に満ちた表情で言葉を詰まらせた。



「……本当に、本当に、悪かった。謝って、許してもらえるなんて、思っちゃいない」


「……アリアンナ。勝手なことを言うが、聞いてくれ……」



 彼は、まるで祈るかのように、言葉を続ける。



「俺は、あの日、あの時のことを、今まで片時たりとも忘れちゃいない…。今でも、夢に見るんだ……。その度に、あの時の後悔を、何度も何度も思い出す。ああ、何故、俺は、あそこから逃げ出しちまったんだってな」


「お前に見逃してもらって、必死こいて逃げている間も、ずっとそうだった!」


「失望に満ちた、お前のあの表情が……!頭にこびりついて、今も、離れないんだ…!」



「……」


 俺は、黙ってその言葉を聞いていた。


 これは、懺悔だ。


 過去に囚われ、どうしようもなく、ずっと一人で苦しんできた、この愚かな男の、魂の告白だった。


「俺が、逃げる時に思い浮かべていたのは、平穏な暮らしだった。畑でも耕して、戦いなんかとは一切関わらなくていいような……そんな、ありふれた毎日を……」


 テイランは、まるで夢でも見るかのように、虚空を見つめながら続ける。


「なろうと思えば、農家にだってなれたはずだ。そうでなくても、商家の下働きでも、どこかの店の店員でも…!でも、でもな…っ、俺はっ、護衛なんていう、こんな中途半端な道を選んじまったっ…!」



「…………」



「……俺は、あの日、お前の前から逃げ出したことを、ずっと後悔してる…っ!今も、心のどこかで、軍に戻って、もう一度やり直したいって、そう思っちまってるんだ!」



 逃亡兵が、軍に戻れるわけがない。

 だというのに、コイツは。


 この、どうしようもない馬鹿は、未練たらしくも、護衛などという危険な仕事に身を置き、その腕が錆び付いてしまわないように、必死に研ぎ続けているというのか。


 その、あまりにも情けない告白に、俺の中で、何かが、ぷつりと切れた。



 バキッ!



 俺の拳がテイランの顔面を鈍い音を立てて捉える。



「…勝手なこと、言ってんじゃねえよっ!」



 俺は、これまで堰き止めていた全ての怒りを、そのまま言葉に乗せてぶつけた。



「調子のいいことばっかり言いやがって!てめえは、ホントに昔から、何一つ変わらねえな!軍に戻りてぇだ?俺の、こんな一発にすら反応できねえやつが、戻れるわけねえだろうが!」



 よろめき、壁に背中を打ち付けるテイランに、俺はさらに詰め寄る。



「ウダウダと、できもしねぇことばっかり言いやがって!やりたいことがあるなら、ごちゃごちゃ言ってねえで、まず『なってから言え』ってんだ、この腰抜けが!」



「アリアンナ…」



 その、過去を呼び覚ます名前に、俺は、きっぱりと首を横に振った。



「『アリアンナ』じゃねえ…」



 もう、あの家も、あの名前も、俺を縛ることはない。



「俺は、もう……ただの『アリア』だ。……じゃあな」



 俺は、呆然と立ち尽くすテイランに背を向け、一人で薄暗い路地を抜ける。


 背後から、嗚咽が聞こえた気がしたが、もう、振り返ることはなかった。



 これで、いい。

 俺はコイツを『殴った』。



 そして、コイツも、俺に『殴られた』ことで、ようやく、あの日の呪いから解放されるんだろう。



 騒がしい大通りへと戻り、冷たい空気を肺いっぱいに吸い込む。



 何かが、ほんの少しだけ、軽くなった気がした。




「……くそっ」




 俺は、悪態をつく。




「ポーション……買いそびれちまったじゃねえか……」




 とぼとぼと、俺は集合場所であるギルド前の広場へと向かっていた。



 テイランとの再会と、決別。


 殴りつけた拳が、まだジンジンと痛む。



 だが、それ以上に。


 心の奥底に澱のように溜まっていた何かが、少しだけ晴れたような。


 それでいて、どうしようもなく虚しいような。


 奇妙な感覚だった。




 そんな感傷に浸る俺の目に、見慣れた、そして今は見たくなかった二人組の姿が飛び込んできた。


「あ、アリア様!おかえりなさいまし!見てくださいましっ!この素敵なお洋服!」


 エステルとニーコが、大きな買い物袋を両手に満載しながら、こちらに駆け寄ってくる。


 その姿は、俺が以前買い与えた、丈夫さだけが取り柄のシンプルな平民服ではない。


 同じ平民服の範疇ではあるが、ところどころに繊細なタックやレースがあしらわれた、明らかに"上等な代物"だ。


 くるくると、その場で嬉しそうに回りながら、新しい服を見せびらかしてくるエステル。

 ニーコも、いつもの古びたローブから、エステルと似た意匠の可愛らしいワンピースへと着替えていた。


「に、似合うでしょうか…?」


 おずおずと、上目遣いでこちらを窺うニーコ。


 似合うか、と問われれば、もちろん、腹が立つほど似合っている。


 黙ってさえいれば顔面偏差値だけは無駄に高いエステルはもちろん、ニーコも相当な美人の枠に入るだろう。


 そのおどおどとした仕草も、男の庇護欲をそそるのかもしれない。



 だが、俺は。



 そんなことよりも、もっと、ずっと重大な問題に気づいていた。



「……おい。その服、一着、いくらしたんだ……?まさかとは思うが……その、両手に抱えた袋の中身、全部、服だとか言わねえよなぁ?」



 地より這い出る怨念のような、低く、冷たい俺の声に、きゃっきゃとはしゃいでいた二人の動きが、まるで凍り付いたかのようにピタリと固まる。



「あ、あのですねっ…!こ、これは、違うんですっ!わ、私たちが欲しかったわけじゃ…」



「そ、そうですわっ!わたくしたちは、あの店の店主の、巧みな口車に乗せられて…!ひぃぃ、お許しくださいましぃぃ!」



(だろうな!)



 エステルのお守りをニーコに任せたのが、そもそも間違いだった。

 調子に乗ったエステルを、押しに弱いニーコが止められるはずもなく、経験豊富な店主に勧められるがまま、あれもこれもと購入させられた、といったところだろう。



 はぁぁ…と、天を仰いでから、俺は深く頭を抱える。



 すると、そこに、うるさいのがもう一人、意気揚々と帰ってきた。


「……!なんてことだ……!エステルちゃん!その、周囲を明るく太陽の如く照らす輝きは、まさに春に咲き誇る太陽花(サン・リリィ)のよう!そして、ニーコちゃん!その物静かにして儚げな美しさは、月の光を浴びて咲く月光花(ルナ・フラワー)の如し……!ああっ、神よ!この世界で、貴方が作り出した最も偉大な奇跡が、今、目の前に二つも並んでいるなんてっ!」



「まぁ!ジーン様ったら、お上手ですこと!」



「そ、そんな、大袈裟ですよ…」



 もう、頭が痛い。


 少し遅れて、最後の男が、のっそりと歩いてくる。



「ガロード、戻ったか。……お釣りは、返せ」



 俺がそう言って手のひらを出すが、ガロードは、何のことだ?と言わんばかりに、こてん、と首を傾げるだけだった。



「お、おい、お前…まさか、渡した金……全部使ったのか…?」



「……?」



 ウン。



 無言で、しかし力強く、ガロードは頷いた。



「あれが、何食分だと思ってんだ、この大食いモンスターがぁぁぁっ!」



 クソっ、金が、金がいくらあっても、こいつらの前では、あっという間に消えていく!


 俺の悲痛な叫びは、ファルメルの青い空に、虚しく吸い込まれていった。



読んでくれてありがとうございます。

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