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自由のアリア  作者: カラノニジ
第七章:過去とはイとヒく粘性の鎖
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第55話:明日は我が身

ここから第七章です。

 

 ──────

 ────

 ──


 磨き上げられた黒檀の机は、まるで静まり返った夜の湖面のように、天井に吊るされた豪奢なシャンデリアの無数の光を映し返している。


 男がその滑らかな表面を指先でなぞれば、ひやりとした感触と共に、微かに古いインクと羊皮紙の香りがした。


 書斎は、静寂に満ちている。

 男は、山と積まれた、常人ならば一読しただけで発狂しそうな小難しい学術書や資料の中から、一枚の報告書をこともなげに抜き取る。



『――〈"養殖"魔鉄〉の成分分析、及び物性調査報告』



 白魚のような指が、その無機質な文字列をゆっくりとなぞる。

 確かに、通常の黒鉄鉱石とは比較にならないほどの硬度と魔力伝導率を誇る。



 だが、それはあくまで「比較すれば」の話だ。



(装備へ流用するにはコストが掛かりすぎるし、そもそも強度が安定しない。これは正直、期待外れだったね……)


 そして、その報告書に対する返答を、流麗な筆記体で記していく。


 〈無期限凍結〉。


 速やかに培地となっている個体を処分し、関連する全ての研究資料の破棄を行う旨を、淀みなく記入する。



(やはり、本命は"こっち"か…)



 男は、机の引き出しから、一つの金属片を取り出した。

 彼の白い手のひらの上で、朱い炎のような赤銅色の光を放っている。


 だが、彼が真に求める『次代の炉心』。

 それに耐えうる恒久的な自己修復機能を持つ魔法金属の要件には、これもまた、遠く及ばない。


 時間はある。

 だけど、楽観できるほどには残されていない。


「次世代か、そのまた次の世代か。だが、確実に来るその『とき』までに……」



(……僕が、やるしかない)



 その、静かな決意が書斎の空気を満たした、まさにその時だった。




 がったーん!!




 まるで攻城兵器が突っ込んできたかのような、凄まじい音を立てて扉が勢いよく開け放たれる。


 男は、やれやれ、と呆れたように息を吐きながらも、手にしていた鉱石を引き出しの奥へとしまい隠した。



「ノックくらいしたらどうだい?」



 堂々と入ってきた侵入者に、男は咎めるでもなく声をかける。



「なぁに?また難しいこと考えてるの?」



 艶やかな朱色の髪を靡かせ、コツコツと音をたてながら近づいてくると、そのシトリンの宝石のような勝ち気な瞳をこちらに向けた。



 そして机に並んだ小難しい本の表題を見るなり、心底うんざりしたように顔をしかめた。



「あんたってばホント、バカね……」



「……何がだい?」



「考えてもわかんないことは、考えてもわかんないってことよ!」



 この世の真理に到達したとでも言うように、少女はえへん、と小さな胸を張る。



「なるほど、確かにその通りだ。……僕も、君くらい物事を思慮深く考えられたら、もっと楽に生きられるんだろうけどね」



「あ!何か知らないけど、今バカにしてるでしょ!!このインテリバカのクセに!!」



「それで?なにか用かい?」



「暇なの!!」



 少女は、世界の中心でそう叫ぶかのように、高らかに宣言した。



「……。僕は、これから忙しく……」



「うるさいわねっ!黙ってついてきなさい!」



「……はぁ」



 男は、返信のために用意していた書類を封筒に入れ、慣れた手つきで封蝋を行う。


 部屋の外で控えていた見張りの兵士が、扉が開け放たれた時点で駆けつけていたのだろう、申し訳なさそうに頭を下げている。



「も、申し訳ありません、お止めしようとしたのですが…!」



「…いや、構わないよ。君の判断は間違っていない。無理に彼女を止めれば、扉が壊されるだけでは済まなかっただろうからね」



 男はそう言いながら、封筒を兵士へと手渡す。



「これを、研究棟の第二ラボへ」



「はっ、かしこまりました」



「ねー!早くっ!」



 男は急かす声に、本日何度目かになる深い溜息をついた。



「はぁ…わかったよ。今、行く」



 ──

 ────

 ──────


「――で、だ。なんで銅等級推奨のアンデッド討伐クエストに、B級相当の上級アンデッドがいやがんだ、あぁん!?説明してもらおうじゃねえか!」


 リッチの魔石をそっとカウンターの端に置き、一呼吸置いてから、バンッ!と俺はその天板を拳で力強く叩いた。


 目の前の、受付嬢が、ビクリと肩を揺らす。


 俺たちのパーティ〈ジョーカー〉は、霊廟での一件を報告に。

 そして正式な苦情を申し立てるために、再びこの場所へ来ていた。



「も、申し訳ありません!我々としましても、依頼主である領主様からの報告に基づいて、設定したものでして……」



「その領主とやらは、自分の管理地の墓所に何が湧いてるかも知らねえってのか!おかげでこっちは、死ぬかと思ったぜ!」



 俺の剣幕に、周囲の冒険者たちが「なんだなんだ?」「また〈ババ抜き〉がなんかやってるぞ」「またB級だと…?」と、遠巻きにヒソヒソと囁き合っている。



 霊廟での一件を伝えた際、依頼主である領主の代理人は、俺たちの報告を聞いて血相を変えた。


 上級アンデッドの出現は、完全に想定外だったらしい。


 霊廟が半壊したことについては、むしろ「よくぞあの程度で済ませてくれた」と感謝されたほどだ。


 そして、討伐の追加報酬としてあるものを譲り受けることになった。


 そう――。

 今、俺たちのテーブルで、ニーコが慈しむようにその腕に抱えている、今回の引き金となったあの古びた盾だ。



 もちろん、盗んできたわけじゃない。


 領主側としては、リッチが憑いていたあの盾は、どうにも縁起が悪い。

 さっさと手放したいが、由緒ある貴族の墓所から出たものを、無碍に売り払うわけにもいかない。


 そこで、討伐者である俺たちに追加報酬という形で押し付け……いや、譲渡することで、厄介払いをした、というわけだ。



 まあ……おかげでクエストの基本報酬13,500ガルドはそのまま、霊廟破壊についてもお咎めなし。

 おまけに、魔石は使い所が限られる闇属性の石でありながらも、最終的に9,500ガルドという高値で売れた。



 しめて23,000ガルド。

 まさに、大儲けだ。



「ひぃぃ……!やはり、何度見ても不気味ですわね……」


 エステルは、ニーコが抱える盾を、まるで蛇でも見るかのように怯えた目で見ている。


 対照的に、ニーコ本人は、その盾を手に入れたことを心から喜んでいるようだった。



「わ、私の立ち直るきっかけをくれた盾ですから……」



 そう言って、愛おしそうに盾の表面を指でなぞる。



「それに…ふふっ…うふふ…っ。これは、私とアリアさんの…『親愛の証』でも、ありますよね…!」



 ニーコは、うっとりとした、熱っぽい瞳を俺に向け、ボソリと、しかし確かな声で、そう呟いた。


 その瞬間、俺の背筋を、リッチと対峙した時とはまた違う、生々しい悪寒が走り抜けた。



(…この盾、やっぱり呪われてねえだろうな…?)



「おやおや、アリアちゃんも罪な人だ。ボクに続く、新たなる信奉者まで得てしまうとはね。全く、羨ましい限りだよ」


 面白そうにジーンがちゃちゃを入れてくる。



「うっ…も、もちろん、ジーンさんにも、感謝してますよ?その、助けていただいて…」



 ニーコが慌ててフォローを入れるが、俺は鼻で笑ってやった。



「ふんっ、骨ども相手には、大して役に立っちゃいなかったけどな」



「心外だね。あのリッチの魔法詠唱を寸断した、正確無比なボクの射撃あっての勝利だと思うけれどね?なにせ、ボクの光り輝く聖なる矢が、リッチの橈骨と尺骨の、その僅かな隙間を捉え…」



「そうですわっ!わたくしたち〈ジョーカー〉の勝利ですもの!あんなにも恐ろしいアンデッドの親分を倒したんですから、これで、わたくしの苦手なものはまた一つ克服されたといっても過言ではありませんわ!」



 ジーンの長ったらしい武勇伝を、エステルの自信満々な声が遮る。


「もう、おばけの一匹や二匹、わたくしの敵ではありませんわね!」


 えへんと胸を張り、高らかに宣言するエステル。


「へぇ。帰り道中ずっとめそめそ泣きながら、ニーコの服の裾を掴んで離さなかったくせに、よく言うぜ」


 あのリッチを倒した後、「さあ、凱旋ですわ!」とテンション高く先頭を歩き始めたエステルだったが、その威勢は最初の数十秒しかもたなかった。


 結局、帰り道は半泣きでニーコに引っ付き、引きずられるようにして墓所を後にしたのだ。


「な、泣いてなどいませんでしたわっ!」


 エステルがわーきゃーと騒ぎ始め、ギルドの酒場は、いつもの喧騒を取り戻していた。


 その中心で、興味なさげにガロードが、またどこかで買ってきたのであろう、ぶっとい腸詰めをパンに挟んだものを、黙々と食べている。



 とにかく、これで当面の資金は確保できた。


 ……とはいえ、だ。


 俺たち全員の治療費、戦闘で使ったポーション類の補充、ジーンの矢の補充、ガロードの際限のない食費……。


 エステルのボロボロになった服も、また新調してやらねえといけねぇ。


 マノンの姐さんに頼んでいた俺たちの装備も、そろそろ完成間近らしいし、ニーコのこの呪いの盾についても、一度調べて貰いたい。


 そうなると、〈竜火酒〉とはいかねえまでも、手土産の酒を何本かは持っていくべきだろう。



 冒険者というのは、傍目には実入りがでかく見えるかもしれねぇが、結局のところ、消耗品の補給や武器防具の整備、治療にかかる金、そして休むための宿代。


 そういうものを差し引いていくと、裕福に暮らせるやつらなんて、ほんの一握りだ。



 俺は、ギルドの安酒場で、今日も虚ろな目で飲んだくれている連中を、チラリと横目で見た。



 明日は我が身、か。



 全く、やってられねえな。


 ────

 ──

 ─


「……全く」


 静寂に満ちた書斎。磨き上げられた黒檀の机の上で、男の目の前には一つの魔石が転がっていた。


 金属光沢を思わせる、暗褐色の魔石。


 凡百の魔物からは決して採れぬその見事な輝きに、男は芸術的価値を見出しているとは到底思えない、険しい顔を向けている。



「三年も前に凍結したはずの研究が、こんな形で掘り起こされるとはね」


 このロックドレイクの魔石。

 いや、報告書によれば、討伐した冒険者は〈鐵喰い〉と呼んでいたか。


 屠殺を免れ、研究施設から逃げ出した一個体が、あのブラックロックマウンテンに住み着いていたとは。



(……非常に、興味深い)



 養殖環境とは違い、質の良い黒鉄鉱石を好き勝手に食い荒らし、独自の変異を遂げた個体。

 金属との融合がより顕著に進み、報告によれば、同世代の個体と比べて二回りも大きく成長していたようだ。



 だが、市場に現れたのは、この魔石だけだ。



 素材に関しては、脱ぎ捨てられた抜け殻のみが回収されたとある。

 そちらの成分はほとんどが黒鉄に近く、養殖個体と比べても組成に大きな変化は見られなかった。



(変異は、本体の体表を覆う〈魔鉄〉にも変化を及ぼしたのか?それとも、ただ規格外に成長しただけなのか。魔石だけでは判断がつかない。そもそも、なぜ変異した?同じ血統、同じ飼育環境だったはずだ。あの山には、何か特別な要因でも…?)



 思考が、枝分かれしていく。

 答えのない問いが、次々と湧き上がる。



(……直接、確かめる必要があるね)



 素材はその冒険者が持っているのだろう。

 既に加工してしまっているかもしれないが、破片のひとつでもあればいい。



 この魔石が持ち込まれたのは、辺境の鉱山街ファルメル。

 幸い、こちらからも〈魔導列車〉が通っている。


 そう長旅にはならないだろう。



 暫しの外出のために、溜まっている書類仕事を片付け、父上と母上から許可を得なくては。

 そう思い、男は机の上に聳え立つ書類の山に、うんざりしたように目をやった。



 その山の中から、彼は別の報告書の束を手に取る。



(……これも、実にくだらない)



 それは、数年前にメルジュエル家が起こした、ある『失策』に関する報告と、それに対する他貴族からの弾劾の書状だった。

 一つの失敗を鬼の首でも取ったかのように、中堅貴族どもがこぞってメルジュエル家引きずり下ろすことに躍起になっている。



(国益などまるで無視し、目先の利益しか見ることのできない、浅はかな連中だ。メルジュエル家が帝国の暗部をどれだけ担ってきたかも知らずに……)



 この騒動のせいで、無駄な書類仕事ばかりが増えていく。

 貴族間の調停、派閥の抑制、母上への報告……。


 どれもこれも、帝国の未来にとって、一ガルドの得にもならない、不毛な時間だ。



 がったーん!!



 まるで攻城兵器が突っ込んできたかのような、凄まじい音を立てて扉が勢いよく開け放たれる。


 男は、やれやれ、と呆れたように息を吐いた。


 だが、その視線は書類から離されることなく、忙しなく動き回る手も一瞬たりとも止まることはない。



「ノックくらいしたらどうだい?いつも言っているだろう?」



 堂々と入ってきた侵入者に、男は咎めるでもなく、ただ事実として声をかける。



「…………なぁに?なにか、楽しそうなこと考えてる?」



 朱色の髪を揺らしながら、少女が机に身を乗り出してくる。

 その太陽のような熱を持った瞳は煌々と、あるいは獲物を見つけた猫のように、爛々と輝いていた。



(……ああ、まずい)



「いや、なにも」



 極めて平坦に、ほんの数ミリも表情筋を動かさない、完璧なポーカーフェイスで答える。

 だが、目の前の少女……僕と血を分けた双子の姉には、そんなものは通用しないらしい。



「ふん、バカね!誤魔化そうったって、そうはいかないわっ!それは、面白そうなことを企んでるときの顔よ!正直に話さないと、ひどい目に遭わせるんだから!!」



「……少し、出かけるだけだよ」



「ずるい!!」



 少女の金切り声が、書斎の静寂を完全に破壊する。



「…君を連れていくとなると、母上の許可がまず下りなくなるじゃないか」



「それを、あの手この手で丸め込んで説得するのが、あんたの役目でしょ、イレイル!」



「そんな役目を受けた覚えはないんだけどね、イシュカ」



 部屋の外で控えていた見張りの兵士が、扉が開け放たれた時点で駆けつけていたのだろう、申し訳なさそうに頭を下げている。



「も、申し訳ありません、イレイル殿下!お止めしようとしたのですが…!」



「…いや、構わないよ。君の判断は間違っていない。無理に彼女を止めれば、この扉が壊されるだけでは済まなかっただろうからね」



 トントン…と書類を整え終えると兵士に視線を移す。



「僕とイシュカは、しばらくここを空ける。許可はこちらで取り付けておくから、留守中の応対は任せたよ」



「はっ、かしこまりました」



「ねー!イレイル!早くっ!」



 イシュカの急かす声に、僕は本日何度目かになる深い溜息をついた。



「はぁ…わかったよ。今、行く」



 ─

 ──

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読んでくれてありがとうございます。

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