第6話:〈鐵喰い〉①
だが、次の瞬間、俺はその"岩壁"の異様さに気づいた。
表面はゴツゴツとした岩肌に見えるが、その全体の形状はあまりに……整いすぎている。
まるで、悪趣味な巨像か何かだ。
そして、背中と思しき部分に、大きな亀裂が入っているのが、ランタンと俺の火球の光に照らし出されて見えた。
(……なんだ? これ……岩じゃねぇ……。この背中の亀裂……まさか抜け殻!?)
これが生き物由来のものであると認識した途端、ゾッとした。
全身の血の気が引くような感覚。
慌てて火球の光量を上げ、その巨大な抜け殻の全貌を照らし出す。
巨大な顎。特に下顎が、まるで突き鑿のように尖り、異様にしゃくれ上がっている。
全身を覆う甲殻は、剣山のように鋭く尖った突起が規則的に並び、鈍い金属光沢を放っていた。
地面に突き刺さるように伸びた、長く太い前足には、岩盤を容易く砕き割りそうな、分厚く鋭い爪がついている。
どこかで見たことがある特徴だ。
そうだ、下級竜種に分類されるロックドレイク。
硬い岩のような皮膚を持ち、顎で岩を砕いて喰い進む魔物。
だが……。
(デカすぎる……! 普通のロックドレイクの、ゆうに二回り以上はあるぞ……!? それに、この金属光沢はなんだ? あんなモン、普通のロックドレイクにはねぇ……!)
未知の"亜種"か、あるいは"突然変異"か。
どちらにしろ、とんでもなく危険な相手であることは間違いない。
そして何より、これが抜け殻だということは……脱皮した本体がこの近くにいる!?
脱皮したばかりの魔物は、一時的に弱体化するとも言うが……こいつは……。
……付着した体液が乾いて剥離している。
つまり脱皮してからそれなりに時間が経ってるってことだ。
さらに巨大化し、力を増している可能性が高い……!
(クソッ……! 最悪じゃねぇか……!)
背筋に冷たい汗がツーッと流れ落ち、腕にはうっすらと鳥肌が立つ。
俺は咄嗟に火球を周囲の暗闇へと動かし、潜んでいるかもしれない本体の気配を探った。
剣の柄を強く握りしめ、いつでも抜刀できるように神経を研ぎ澄ませる。
ガロードの方を振り返ると、ヤツも巨大な抜け殻を、ただ黙って見上げていた。
俺は声を潜め、だが切迫した口調で警告した。
「おい、〈沈黙〉! 見ろ! 抜け殻だ! ヤバいぞ、本体が近くにいるかもしれねぇ!」
ズズズズ……ズザザザザ……!
腹の底に響くような地鳴りと共に、壁の向こうから、何かとてつもなく巨大で硬いものが、狭い通路の壁をゴリゴリと擦りながら近づいてくる音が聞こえてきた。
(チッ……来たか!)
全身の神経が逆立つ。
その音を聞いた瞬間、隣にいたはずのガロードが、弾かれたように踵を返し、来た道を猛スピードで駆け戻り始めた。
何の合図も、躊躇もねぇ!
「クソッ! 勝手に動きやがって……! だが、同感だ。ここにいちゃ袋の鼠だからな!」
俺もすぐさま判断し、ガロードの後を追って全力で駆け出した。暗い通路を、息を切らして駆け抜ける。
そして、なんとか道中にあった開けた広間まで戻ってきた、まさにその時だった。
広間に繋がる、いくつもの横穴の一つ。
その暗闇の中から、ヌウッ…と、巨大な顎が姿を現した。
シャベルのように異様にしゃくれた、鈍い金属光沢を放つ巨大な下顎。
それは間違いなく、さっき俺たちが見た、あの巨大な抜け殻の主のものだ!
顎に続いて、濁った爬虫類のような目が覗き、巨大な頭部が現れる。
さらに、剣山のように鋭い棘にびっしりと覆われた、黒鉄色の金属質な胴体の一部が、横穴からぬるりと這い出してきた。
岩と擦れて研ぎ澄まされた棘の先端が、俺の火球とランタンの光を反射して、鈍い金属光沢を放っている。
C-ランクのロックドレイクに似ている……が、岩石を喰って身体を形成するロックドレイクと違い、コイツはこの鉱山の黒鉄鉱石を喰って育った変異個体。
(〈鐵喰い〉…とでも呼ぶしかねぇか。原種のロックドレイクとはまるで別モンだ。C+…いや、下手すりゃB級クラスか、コイツ…!)
対峙しただけで分かる。
コイツは、俺が今まで戦ってきたどんな魔物よりも強く、格が違う。
〈鐵喰い〉の濁った目が、俺たち二人…縄張りを荒らす侵入者を、明確に捉えた。
「グルルル……ゴゴゴゴゴォ……!!」
地響きのような低い唸り声が、広間全体に響き渡る。
巨大な頭を威嚇するように左右に振り、その全身から圧倒的な敵意と怒りが発散されているのが、ビリビリと肌で感じられた。
「……やるしか、ねぇか!」
俺は覚悟を決め、腰に差していた二振りの曲剣を抜き放った。シャリン、と硬質な音が響く。
体内を魔力が巡る。
〈闘気〉。
冒険者が強大な魔物に立ち向かえる理由がこれだ。
生き物は皆、無意識に体内の魔力を循環させているが、その密度によって身体能力は劇的に変化する。
ゴブリン相手に苦戦する奴もいれば飛竜を剣一つで薙ぎ倒す奴もいる。
人間という一個体の強さが大きく変動するのは魔法だけじゃなく、この闘気の扱いによるものだ。
右手に浮かぶ火球は、俺の闘気に呼応するかのように、さらに勢いを増して燃え上がり、周囲をオレンジ色に染め上げた。
広間の広さ、身を隠せそうな岩陰、他の横穴の位置…戦う上で利用できる地形を、瞬時に頭の中に叩き込む。
同時に、ガロードの位置を確認する。
ヤツは俺の少し斜め後ろ、白い光を放つランタンの光源を最大にし、地面に立てた。
巨大な〈鐵喰い〉を真っ直ぐに見据えていた。
表情は……相変わらず読めない。
だが、そのピンと張り詰めた空気、その佇まいには、食堂でメシを食らっていた時の呑気さは微塵もなかった。
(さて……お手並み拝見といくか!)
俺が連携のタイミングを窺う間もなく、ガロードは雄叫び一つ上げずに長剣を抜き放ち、一直線に〈鐵喰い〉へと突っ込んでいった!
「え、ちょっ、待て……っ!」
(あのバカが! 単独で突っ込むんじゃねぇ! 何も考えてねぇのか!?)
思わず叫びそうになるのを必死でこらえる。
ガロードはあっという間に化け物の間合いに入り込むと、無詠唱で風の塊〈エアブロウ〉をその巨大な頭部めがけて放つ!
ゴッ! と鈍い衝撃音が響く。
だが、〈鐵喰い〉は巨大な頭をわずかに反らしただけで、びくともしない。
恐ろしいほどの自重を支える、強靭な首が、ガロードの渾身の一撃をたやすく受け止めている。
(硬ぇ! あの威力の魔法が効かねぇのか!?)
ガロードは一瞬顔をしかめたが、怯むことなく、今度は上から下へ、さらに強力な〈エアブロウ〉を叩きつける!
無詠唱で放っているとは思えないほどの凄まじい威力だ。
たしかに、戦闘力だけなら銀等級と言っても嘘じゃねぇ。
ギルドがコイツの等級を引き上げたがるワケだ。
(このクソみてぇな性格と、連携能力ゼロって点を完全に無視すりゃあな!!)
ドンッ!!
〈鐵喰い〉の巨大な顎が地面に叩きつけられ、硬い岩盤に亀裂が走る!
だが、当の顎自体はほとんど傷一つついていないように見える。
やはり硬すぎる!
(チッ、ダメだ! ありゃ、効いてねぇ!)
ならばと、ガロードは甲殻の隙間…おそらく関節部分だろう、そこへ長剣を突き立てようとさらに踏み込んだ。
だが、それが命取りだった。
鬱陶しそうに、〈鐵喰い〉が巨大な頭をブンッ! とぶん回した!
ただそれだけで、凄まじい質量と慣性が、凶器となってガロードを襲う!
ドゴォォンッ!!
ガロードはかろうじて剣でガードしたが、〈鐵喰い〉の巨体が生み出す圧倒的なパワーには抗えず、まるでゴム鞠のように吹き飛ばされた!
背後の硬い岩壁に、文字通り叩きつけられる!
「だから言わんこっちゃねぇんだよ、この単細胞が!!」
壁に激突し、ズルズルと崩れ落ちるように地面に倒れるガロード。ピクリとも動かない……ように見える。
「おい、死んでねぇだろうな!? クソッ!」
ガロードが吹き飛んだ方向を一瞥した〈鐵喰い〉は、グルル……と低い唸り声を上げながら、ゆっくりと、その濁った目を俺の方へと向けた。
(ガロードを助けに行く暇はねぇ。だが、このまま黙ってやられるわけにもいかねぇんだよ! あの目だ……! デカい図体してても、目玉まで鉄じゃあねぇだろ!)
俺は両手に意識を集中させる。
右手に浮かぶ火球はそのままに、左手にもう一つ、同じサイズの燃え盛る火球を生成する!
二つの炎が、俺の両手の上で激しく揺らめく!
「こっちだ、トカゲ野郎! 〈ファイアボルト〉!」
裂帛の気合と共に、〈鐵喰い〉の両目めがけて、圧縮した火球を矢のように撃ち出す!
オレンジ色の灼熱の閃光が、暗闇を引き裂いて、巨大な顔面へと一直線に迫っていく!!
ドドンッ!
俺が放った二つの火の矢が、ほとんど時間差なく〈鐵喰い〉の巨大な顔面に炸裂した!
「グオオオオォォッ!!」
さすがに目への直撃は堪えたのか、化け物は苦悶の咆哮を上げ、巨大な顔を激しく仰け反らせて嫌がっている。
目玉までは潰せなかったようだが、怯ませることには成功したらしい。
一瞬だけ、その動きが止まる。
(チッ、怯んだだけか! 大したダメージにはなってねぇ……!)
舌打ちしながらも、敵が怯んでいるこのわずかな時間を見逃さない。
俺は奴の全身を素早く観察し、弱点を探る。
鉱山すら削り取るっていう、あのスコップみてぇな顎は論外。
顔面も、落石が当たっても平気なくらい頑丈そうだ。まるで鉄仮面だ。
胴体は言うまでもなく、金属混じりの巨岩みてぇな甲殻に覆われている。
太い腕も硬質な皮だ。尻尾の先には、メイスみてぇな岩の塊までついてやがる。
……となると、やはり関節部分か?
幾分かはマシだろうが、正確に捉えなくてはまともに刃が通るとは思えねぇ。
動かれて狙いが外れれば、剣の方がイカれかねない。
(……ん? 待てよ……あの後ろ足は?)
巨体に隠れて見えにくいが、前足に比べてゴツい爪や分厚い甲殻は見当たらない。
あの巨体を支えて動かすだけのパワーを得るために太い筋肉は密集しているようだが、硬い岩盤を掘り進む前面と違って鎧としての防御は、他の部位に比べて明らかに手薄に見える。
(あそこなら……! 他の部分よりはマシかもしれねぇ! 俺の剣と魔法なら、通るかもしれねぇ!)
狙うは後ろ足!
俺は即座に決断する。
だが、真正面から突っ込んでも、あの前足か顎で薙ぎ払われるのがオチだ。まずは注意を逸らす!
俺は再び右手に新たな火球を生成し、怯みが収まりかけ、こちらを睨みつけてくる〈鐵喰い〉の顔面めがけて、牽制気味に撃ち放った!
バァン! と火の矢が顔の近くで炸裂し、〈鐵喰い〉が再び鬱陶しそうに顔を振る。
ヤツの顎が持ち上がったその一瞬の隙を、俺は見逃さなかった!
「そこだっ!」
地を蹴り、影のように駆け抜ける! デカい図体は鈍重で、その分、小回りは利かねぇはずだ!
奴の巨体の側面をすり抜け、後方へと回り込むことに成功する。
目の前には、比較的装甲の薄い、筋肉質な後ろ足があった!
(――もらった!)
「〈エンチャント・ダーク〉!」
俺は二振りの曲剣に自身の魔力を注ぎ込み、刀身にユラリと黒い闇を纏わせる!
加速した勢いを殺さず、そのまま〈鐵喰い〉の後ろ足――筋が集まっていそうな関節付近めがけて、暗黒揺らめく二つの刃を、渾身の力で叩き込んだ!
「喰らいやがれぇぇっ!!」




