第5話:第三坑道
坑道の中は、外の光が遮られて急に薄暗くなった。ひんやりと湿った空気が肌を撫でる。壁には、頼りない青白い光を放つ簡易な魔力灯が等間隔に設置されているが、それでも足元はおぼろげだ。ゴツゴツした岩肌が、その光に不気味に照らし出されていた。
足元にはトロッコ用のレールが敷かれ、その先へと続いているが、問題は左右だ。大小様々な横穴が、まるで獣の巣穴のように無数に口を開けている。どれも同じような穴に見えて、方向感覚が狂いそうだ。
(クソッ…入り組んでやがるな、この坑道…オロンの持ってる魔力灯も心許ねぇ。下手に横穴に入ったら、マジで二度と出られなくなりそうだ)
少し先を、短い足でドタドタと走るオロンの後ろ姿が見える。足は遅いが、迷路のようなこの坑道を知り尽くしているだろう。油断すれば、あっという間に見失っちまいそうだ。
(後ろの木偶の坊は…ついてきてるな。コイツが迷子になったら、それはそれでクソ面倒だ…)
俺は、前方のドワーフと後方のガロードに注意を払いながら、薄暗い坑道を先へと急いだ。
「ここが第三坑道だ」
ようやくオロンが足を止め、振り返って言った。ドワーフの息は少しも上がっていない。タフなもんだ。
「この奥にな、デカい穴があいててな?最初はこりゃ遺跡かと思ったんだが、ホレ」
オロンは持っていたランタンで、坑道の奥…突き当りの壁面を照らした。そこには、確かに何かが削り取ったような、生々しい跡が無数に残っていた。
「何かの道具で削ったような跡だが…俺が思うに、こりゃあ"歯"だな?ツルハシでついた傷じゃねぇ。硬い岩盤をここまで削るたぁ、相当な顎の力だ。ロックワームなら真っ直ぐ進まねぇだろうがよ!じゃあドレイクか?いや、ちがうか!」
オロンはランタンの光を忙しなく動かし、壁の傷を舐めるように照らしながら、一人で納得したり否定したりしている。
(歯形…?クソッ、やっぱりただの洞穴じゃねぇか。厄介なモンが巣食ってやがる可能性が高いな…)
俺の警戒心が、一気に膨れ上がる。そんなことを考えていると、オロンが不意にこちらを振り返った。
「ん?おい、お前さんら!ランタンはどうした!?入り口に予備が置いてあっただろうが!ここから先、中は真っ暗だぞ?それも知らんのか!?」
(は?ランタンだと?入り口にあった?…クソジジイ、最初に言えってんだ!)
そのあまりに唐突な指摘に、俺は思わず舌打ちした。
「かぁーっ!しょうがねえなぁ、最近の冒険者は!これを使え!まったく…ホラよ!」
オロンは、まるで大きな恩恵でもくれてやるかのように、自分が持っていた手持ちのランタンを差し出した。魔石をカートリッジにしたやつらしい。最大光量でも4時間は持つ、と。
だが、オロンはあろうことかそのランタンを、ガロードの方に手渡した。
(なんでコイツに渡すんだよ!?)
しかも、今あるランタンはそれ一個だけだ。
「いいか?ちゃんと点けろよ?落とすなよ?いいな?よし!じゃあ行け!」
そして、オロンはこともなげにそう言って、満足そうに腕を組んだ。
(…………はぁ!?)
「おい、ジジイッ!!」
俺はオロンの胸倉を掴まんばかりの勢いで詰め寄った。ドワーフの赤い髭が、俺の怒声で震える。
「ふん!入り口まで案内しただろうが!ここまでって言ったはずだ!……いや、言ってはないか?依頼書に書いてあったか?書いてないか?まあいい!」
オロンは、俺の剣幕にも全く動じず、ふんぞり返って言い返してきた。
「言ってねえし、書いてもなかっただろっ!ふざけんじゃねえ!」
「どっちにしても、俺は鉱夫だ!お前さんらみたいに戦えるわけじゃねぇ!ついていっても役に立たん!だから、俺はここで待つ!いいな?よし!いけ!」
再び、腕を組んで「話は終わりだ」と言わんばかりの態度。
(役に立たんって……!それでも案内役か!?このクソジジイ…!)
クソッ、案内役が付くって聞いてたから、てっきり内部調査の同行が付くのだとばかり思っていたが、入り口までかよ。
腹は立つが、委細を確認しなかった俺の落ち度でもある…。
(はぁ…もう…っ!)
怒りで血管が切れそうだったが、同時に、コイツに何を言っても無駄だという諦めも湧いてきた。ここでジジイを殴り倒しても、状況は良くならねぇ。
「おっ、そうだ!言い忘れてた!コイツを持っとけ!」
オロンは、思い出したように腰のポーチからシンプルな金属製の腕輪を取り出し、俺に手渡した。
「コイツは〈双子の腕輪〉だ!俺も同じのを持ってる。ホレ、こうやって…」
オロンが腕輪を操作すると、俺の手の中の腕輪から、オロンの持つ腕輪に向かって、淡い光の糸のようなものがスーッと伸びた。
「どっちを向いても、双方向にもう片方の腕輪の方向を光で示し続ける!俺たち鉱夫は、これで坑道の中でも方位を見失わないようにしてるんだ。帰りたくなったら、この光の方向に向かえば、とりあえずこっちの方向だけは分かるって寸法よ」
(……ほう、これは便利だな。帰り道だけは、これでなんとかなるか)
「ただし、壁があっても方向しか示さんからな!まあ、壁があったら掘って進めばいい!」
(……掘れ、ねぇ。ツルハシはどうしたって?入り口だって?)
「だーかーらー!持ってねぇっつってんだろ、このクソジジイが!!」
「ん?んんっ?ツルハシも持ってねえのか!?お前さんら鉱山になにしにきたんだ!!」
「調査だよっ!!」
相手は依頼人だが思わず声を荒げる。
「……まぁいい!ツルハシはあとで持っていってやる!先に調査してろ!!」
「あんたが来るんならツルハシいらねぇだろうがよ……」
「よし、じゃあ今度こそ、いけ!」
三度、オロンは腕を組んだ。
(…チッ、ここでこのジジイに文句垂れてても、一ガルドにもなりゃしねぇ)
俺は、ふと自分の右手に意識を集中させた。
ボッ…!
小さな音と共に、オレンジ色の暖かい光を放つ火球が、俺の手のひらの上に浮かび上がった。周囲の壁が、ゆらゆらと照らし出される。
(……光源なら、なんとかなる。〈ファイアボール〉を松明代わりにすりゃいい)
少しだけ、冷静さを取り戻す。不満が消えたわけじゃねぇが、やるべきことは見えてきた。
俺は、オロンから受け取った双子の腕輪を自分の手首に装着し、火球を揺らめかせながらガロードの方を向いた。
ヤツは、渡されたランタンを手に持ったまま、相変わらず無表情で突っ立っている。
「おい、〈沈黙〉」
俺は顎で、坑道の奥の暗闇を示した。
「行くぞ。てめぇはそのランタンで前を照らせ。俺はこの火球で周りを警戒する。いいな?」
念を押すように、低い声で続ける。
「…勝手な真似だけはすんじゃねぇぞ。特に…」
俺はフィリスの忠告を思い出し、釘を刺した。
「『風魔法』!分かってんだろうな!?」
返事はない。だが、もう期待もしていない。
俺は火球を前方に浮かせ、いつでも剣を抜けるように警戒しながら、オロンが言っていた『デカイ穴』とやらへと続く暗闇の中へ、決然と足を踏み出した。
オロンの姿が坑道の闇に消えると、そこは完全な漆黒の世界になった。頼りになるのは、俺が右手に浮かべた火球のオレンジ色の光と、ガロードが持つランタンの白い光だけ。二つの光源が揺らめき、周囲の奇妙な光景を照らし出す。壁はまるで巨大なスプーンか何かで抉り取られたかのように、真っ直ぐと前へ不自然なまでに滑らかな曲線を描いている。オロンの言っていた通り、ツルハシで掘った跡とは明らかに違う。
道は自然の洞窟と繋がっているのか、だだっ広い空間に出たかと思えば、次の瞬間には大人がやっと通れるくらいの狭い通路になったりする。そして、行く先々で道はいくつにも枝分かれしていた。下手に進めば、二度と戻れなくなりそうな迷宮だ。
そんな中、前を歩くガロードは、まるで勝手知ったる庭を散歩するかのように、何の迷いもなくズンズンと一番太い道を進んでいく。ランタンで前方を照らしてはいるが、周囲を警戒している素振りはまるで見られない。
(おいおい、コイツ、マジで何も考えてねぇのか?こんな気味の悪い場所で、よくもまぁ…)
呆れて悪態をつきかけた、その時だった。俺は、自分の火球が、ほんの僅かに、だが不自然に揺らめいていることに気づいた。
(ん…?風…?どこからだ?空気は淀んでるはずなのに…)
目を凝らす。その微かな空気の揺らぎは、どうやら周期的に、前を歩くガロードから発せられているようだった。
(…!魔法か!?)
おそらく、〈リード〉という風魔法だ。ソナーのように空気の振動を飛ばし索敵する魔法。唱えた様子はないことから〈無詠唱〉だ。
魔法には〈無詠唱〉、〈略式詠唱〉、〈完全詠唱〉がある。
意味は読んで字のごとくだが……詠唱ってのは要は魔法の設計図だ。
〈無詠唱〉は何もないところから完成形だけを持ってくるようなもんでその発動の速さと隠密性が有用であるのは間違いない。だが、難易度が高い割に威力や精度は落ちる。魔法自体が他と比較しても粗製になる。
〈略式詠唱〉は魔法名だけを唱える。あらかじめ設定したキーワードで設計図を呼び出すイメージだ。威力と発生速度を両立する戦闘においては一番有用で最もポピュラーだ。
〈完全詠唱〉は一から設計図を書きながら丁寧に魔法を組み立てるようなもんだ。発生には時間がかかる。こと戦闘においては悠長すぎる。完全な盾役が存在する場合であっても完全詠唱できるのは中級呪文程度だろう。ならば連発した方が効率が良い場合が多い。
…つまり、魔法ってのは本来、発動にある程度のプロセスが必要だ。
〈無詠唱〉は設計図なしで、いきなり完成品をひねり出すようなもんで、難易度が格段に跳ね上がる。
俺が〈ファイアボール〉を光源として、ただ浮遊させているのとは訳が違う。〈リード〉みてぇな繊細な制御と複雑なプロセスを踏むような魔法に使うのは、本来あり得ない芸当だ。
コイツ、そんな高等技術を普段から使ってやがるのか…。
(なるほどな…だから迷いもなく進んでやがったのか。見た目に反して、状況はちゃんと把握してるってわけか。大したもんだぜ、この木偶の坊…いや、〈沈黙〉は)
少しだけ、コイツに対する見方を変える必要がありそうだ。ただのイカれた大食い野郎じゃねぇ。少なくとも、索敵に関しては信頼できるかもしれん。
(……てか、そうまでして喋りたくないのかよ)
本当に敵が居るのかもわからない場所を探るのに、隠密性も発生速度も必要ない。
高度……というより無駄だ。無詠唱でわざわざ粗製にしてまで索敵を行う意味がない。
逆立ちで全力疾走する奴がいるか?
徹底した沈黙主義には呆れを通り越して頭が下がる。
何にせよ、コイツがこれだけ迷わねぇで進むってことは、この先に何か『ある』のは確かだな…それがお宝か、それともヤバいモンかは知らんが。
俺は気を引き締めなおし、火球の光量を少し上げることで、周囲への警戒を強めた。ガロードが〈リード〉で先を探るなら役割分担ってやつだ。俺は黙って、ガロードの後をついていった。
ガロードが迷いなく進んだ先は、巨大な岩壁のようなもので塞がれていた。行き止まりだ。高さは数メートルはあろうか、通路を完全に塞いでいる。ガロードは、ランタンの光でその巨大な障害物を見上げ、不思議そうに小首を傾げた。
(行き止まりかよ!やっぱりコイツの〈リード〉も完璧じゃねぇのか!?てめぇも分かってなかったのかよ!)
俺は内心で毒づき、一気に失望感が押し寄せた。コイツを信じてついてきた俺がバカだったのか、と。




