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自由のアリア  作者: カラノニジ
第六章:忌むべき道は過ぎ去りし道程
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第54話:昨日よりマシな今日

 ぜぇ、はぁ……と、俺の荒い息遣いだけがやけに大きく響いた。



(……なんて不自由なんだろうな)



 何も考えず、何も気にせず、昔みたいに反逆者の首を落としちまえば簡単に終わる話なのに。



 ……それが俺の求めてた自由か?



 違う。



 ああ……自由ってのは、なんて不自由なんだろうな。




 無理な体勢でリッチの攻撃を防いだ反動で、膝が笑っている。

 俺は双剣を杖代わりにして、その場に片膝をついた。


「アリア様っ!」


 柱の影からエステルが駆け寄ってくる。


 その光景を見て、ニーコの口元が悲痛に、それでいて……どこか満足そうに歪んだ。

 まるで、待ち望んだ結末が訪れたとでも言うように。



「ね…?やっぱり、そうでしょう…?私と一緒にいたせいで…。私の、この〈呪い〉のせいで、みんな、不幸になっちゃった…」



「ニーコさんのせいではありませんわ…っ!」



「おい、エステル、そいつに近づくな、下がってろ…!」



 俺の制止も聞かず、エステルは瞳に大粒の涙を溜め、ぎゅっと胸の前で手を握りしめて意を決したように叫んだ。







「今朝!朝食のスープに、わたくしの大嫌いなニンジンが入っておりましたわ!」







「…………は?」





 俺の口から、間の抜けた声が漏れた。



 おそらく、ニーコも、その背後に立つリッチさえも、俺と全く同じ疑問を抱いたのだろう。

 霊廟の緊迫した空気が、一瞬だけ、完全に弛緩する。


 ニーコは、困惑の表情を隠せないでいた。



(……コイツ、今、なんつった……?に、ニンジン……?)



 だが、エステルの必死の告白は、まだ始まったばかりだった。



「宿の階段を下りる時には、窓辺の小鳥さんに気を取られて、踏み外しそうになりましたわ!」



「ギルドに向かう前には、レンガ道のでっぱりに思いっきりつまずいて、転んでしまいましたのっ!」



「そのせいで、せっかく着替えたばかりのお気に入りのお洋服が、雪で泥んこになりましたわっ…!」



「わざとではありませんのにっ、アリア様はお怒りになって……」



 エステルは、次から次へ、今日一日に自分を襲った『不幸』を、涙ながらに訴え続ける。





(……そうか)




 俺は、片膝をついたまま、ふっと笑みを漏らした。




(そうだよな、エステル……!!)




「それから…!それから…っ!」



「もういい、エステル。…よく、わかった」



 俺は、まだ頭に「?」を浮かべているニーコの方へ顔を向けると、ゆっくりと立ち上がって、再び双剣を構える。


 疲労は、まだ身体にこびりついている。


 だが、心は、不思議なほど軽かった。




「俺らの『不幸』は、お前のもんじゃねえってことだよ」




 それは、これまで溜め込んできた全ての不条理と、それでもなお前へ進むという決意を込めた、反撃の咆哮だった。


「てめえ一人が、世界の不幸を背負ったみてえな顔してんじゃねえよ」



「な、何を言ってるんですか……?だって、現に、私のせいでアリアさんたちは……あれ……?」



 ニーコの言葉が、途中でふっと途切れる。

 ニーコは、自分の頬を伝う熱い雫に、まるでそれが異物であるかのように、恐る恐る指で触れた。



 気づいていなかったのは、本人だけだった。


 この戦いが始まってから。


 いや、もっと前から。


 この少女は、ずっと泣いていたのだ。



 そのあまりにも痛々しい姿が、俺の中で燻っていた最後の何かを、完全に焼き切った。



「ごちゃごちゃと…うるせぇんだよ!」



 俺は、床を踏みしめるように一歩踏み出す。

 固く握りしめた拳が、怒りに震えていた。



「お前に近づいたから不幸になった、だぁ?笑わせんじゃねえ。俺はな、お前と出会うずっと前から、不幸と不運の連続だったんだよ!」



 俺の過去が、言葉となって溢れ出す。



「クソみてぇな誇りを捨てて、クソ親父に見放され、こんなクソみてぇな冒険者になって!」



「ところ構わず、後先考えずに魔法をぶっ放す、木偶の棒みてえなバカを押し付けられ!」



「空からは、なんも知らない能天気な弩級のアホが降ってきて!」



「挙句の果てには、色ボケ野郎に毎日毎日、心底くだらねえ口説き文句を聞かされてんだよ!」



 俺の叫びに、ジーンとガロードが一瞬だけこちらを見た気がした。



「でもな!今日の俺は、昨日の俺より不幸じゃねえ!」



「お前と居ようが『俺の明日は、今日よりマシなクソ』なんだよ!!」



 俺は、一歩、また一歩と、絶望に囚われた少女へと歩みを進める。




「てめえが、本気で不幸だってんなら!」



「俺がまとめて救ってやるよ!」



「……ッ!」



 ニーコの瞳が、恐怖と、そしてほんの僅かな期待のような色に見開かれる。



 その隙を、俺は見逃さない。



「――〈シャドウステップ〉ッ!」



 再び、俺の姿が影に沈む。

 リッチが魔法を放とうとするが、その初速を捉えきることは、もはや不可能だった。


 目の前に現れた俺に対し、ニーコは反射的に盾を構えようとする。


 だが、その身体は動かない。

 俺の言葉を拒絶しようとする心と、その言葉に救いを求めてしまった心が、相反する命令を出し、ニーコの身体をその場に縫い付けていた。


 俺は、そんなニーコの、涙で濡れた顔を、真っ直ぐに見据える。




「歯ぁ、食いしばりやがれェッ!!」



 剣も魔法も乗っていない。

 ただの、俺の剥き身の拳が、ニーコの顔面を、痛烈に打ち据えた。


 ゴッ、と鈍い音が響く。


 その瞬間、ニーコを縛り付けていたリッチの黒い魔力が、まるで陽光に晒された霧のように、霧散した。


 そもそも、弱くなった心に付け入らなければ、他人の意志を意のままに操るなどという芸当、そうそうできるものではないのだ。



 ニーコを殴り飛ばしたその勢いのまま、俺は素早く剣を構え直し、リッチ本体へと突っ込む!



「〈エンチャント・ダーク・フレイム〉!!」



 二振りの曲剣に闇と炎がまとわりつく!




(これで、終わらせる!……絶対に!!)




 前衛を失ったリッチは、忌々しげにその腕を振り上げ、地面から新たなスケルトンを障壁として呼び出そうとする。

 だが、その骨だけの腕が完全に振り上げられることはなかった。



 ズドンッ!



 リッチの橈骨と尺骨の、その僅かな隙間を、一本の光の矢が正確に穿つ!



「おやおや、淑女(レディ)に手をあげるのは感心しないね」



 分断されていた壁の向こうから、ジーンの声が響く。

 僅かに湧き出しかけたスケルトンも、ガロードが巻き起こした突風によって、生まれる前に塵へと還された。



「…………」



 もう腹が減ったから早く終わらせろ、とでも言いたげな無言の圧力だった。


 リッチは、狼狽したかのように〈ダークボール〉を放つ。



 だが、その漆黒の魔力は、あらぬ方向へと吸い寄せられるように逸れていく。



 その先では、地に伏せたままのニーコが、必死の形相で顔を上げ、盾を構えていた。




「やっちゃえですわぁぁぁっ!!」



 エステルの甲高い声援が、俺の背中を押す!




「うおおらぁあああぁぁぁっ!!」



「■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■…!」



 リッチが咄嗟に展開した闇の障壁に、俺が振るう闇を纏う曲剣が衝突するっ!


 同じ属性の力がぶつかり合い、互いを打ち消し合いながら弾け飛ぶっ!


 障壁の余波が身を裂く痛みを生じさせようが、止まらない。止まるわけがない!


 リッチが身に纏う衣のような黒いモヤが一瞬だけ薄くなった、その最後の好機を、俺が見逃すはずもなかった!


 狙うはただ一点!先ほど視認した、リッチの鳩尾に埋まる、あの禍々しい核!


 俺は、纏わせた炎の魔力を最大まで高め、燃え盛る剣を両手で突き立てる― ―!!



 ビキッ…!



 暗紫色の宝珠に亀裂が走る!




「■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!」



 叫び声とも、呻きとも、断末魔とも取れる、苦痛に満ちた絶叫が霊廟全体を揺るがす。



 パリン…。



 ガラスが砕けるような、乾いた音。



 核が砕け散るや、リッチの身体は形を失い、黒い霧の渦となって収縮していく。


 周囲で戦っていた夥しい数のスケルトンも、主を失った操り人形のようにその場に崩れ落ちると、サラサラと砂になり、その渦の一部となって吸い込まれていった。


 やがて、その渦が跡形もなく消え去ると、後には暗紫色の歪な魔石だけが、カラン、と音を立てて床に転がった。


 墓所を覆っていた不気味なモヤはまるで嘘のように晴れ、魔力灯の淡い光は、陽光のように俺たちを照らしていた。



「やりましたわぁ!!!」



 エステルが、ぴょんぴょんと跳ねながら、喜びを爆発させている。


「やれやれ、どうなることかと思ったよ」


 ジーンは、肩を竦めながらキザな笑みを浮かべている。その背中の矢筒は、もう空っぽだ。


 ガロードは、とっくに興味を失くしたのか、その場に座り込むと、ポーチから串焼き肉を取り出してがっついている。



 そして、ニーコは…。



「アリアさん...!い、いえ、みなさんっ!わ、わたし、とんだご迷惑を...っ」


 おずおずと、消え入りそうな声で謝罪するニーコに、俺はわざとらしく溜息をついてみせた。



「ちっ...ほんとによ。霊廟は壊しちまうし、エステルは服を破るし、ジーンの矢は無駄に使っちまったし、ガロードは骨は食えねぇってご機嫌ななめだ。とんだ災難だったぜ」



「あうぅ...」



 俺の言葉に、ニーコはますます小さくなる。



「でもよ、ニーコ」



 俺は、小さくなったニーコの前に歩み寄り、自分の手を無言で差し出した。



「お前は今日、不幸かよ?」



 ニーコは、はっと顔を上げる。

 差し出された俺の手と、俺の顔を、何度も交互に見つめる。



 その瞳に、大粒の涙がみるみるうちに溜まっていく。



 だが、それはもう、自己憐憫の涙ではなかった。




「......うふふ、昨日よりは、マシ…かも、です」




 ニーコは、泣きながら、笑って俺の手を、そっと握り返した。


第六章:忌むべき道は過ぎ去りし道程(完)

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