第52話:リッチ
俺が抱いた疑念は、最悪の形で現実となったらしい。
「…あれ?」
探検ごっこに興じていたニーコが、ふと足を止める。
霊廟の深部。
一際広いその広間の高い天井は、太い6本の円柱によって支えられている。
ニーコの視線の先には、壁に飾られていた儀礼用と思しき、古びた円盾があった。
まるで何かに引き寄せられるように、ニーコはそっとその錆びついた盾に手を触れる。
「いっ、いま、なにか、呼ばれたような…」
その声に応えるかのように、盾から黒い魔力が、まるで煙幕のように一気に噴き出した!
「きゃあっ!?」
突風にも似た魔力の奔流に、隣にいたエステルが尻餅をつく。
黒い煙が渦を巻き、視界を遮る。
(______。)
「…………え?」
煙が周囲を舞う。
(______。)
「…違う」
ぽつり、と。虚ろに声が呟かれる。
「は?」
「…ニーコさん?」
エステルの不安げな声が響く。
ニーコの様子がおかしい。俯いたまま、その身体は小刻みに震えている。
(_______。)
「……私は…!違う!」
まるで何かの侵食に抵抗するかのように、ニーコが半狂乱になって叫ぶ。
「おいッ!ニーコ!その盾!今すぐ離せ!」
(どう考えてもまともじゃねぇ!あの盾のせいか!?)
俺の怒声も、アイツの耳には届いていない。
やがて、ニーコの抵抗がふっと止まる。
「…………」
座り込んだまま動かなくなったニーコの淡い影が、ぼこり、ぼこりと泡立つように蠢き、その背後でゆっくりとヒトの形を成していく。
骨に、豪奢な闇色の衣を纏わせたかのような、禍々しい姿。
空っぽの眼窩が、紫色の妖しい光を宿している。
間違いない。リッチだ。
スケルトンやレイスとは格が違う、上級のアンデッド…!
その姿を認めるや否や、ジーンが即座に矢を放つ。
だが、リッチに到達する寸前で、矢は空間に開いた黒い渦に音もなく飲まれ、その存在ごと透過し消滅した。
次に動いたのはガロードだった。大きく床を踏みしめ、その巨躯に不釣り合いなほどの瞬発力でリッチへと肉薄。風を纏わせ、威力を増したブロードソードによる強力な重撃を、横薙ぎに叩き込む!
しかし、リッチは微動だにしない。その虚ろな眼窩は、どこか遠くを見つめている。
ガイィィィィンッ!!
甲高い、耳をつんざくような金属の接触音。
ガロードの目が、驚愕の色に見開かれる。
「きゃぁ!?ニーコさんっ!!?」
一番近くにいたエステルが、悲鳴を上げた。
ガロードの一撃を、ニーコが、あの古びた盾で防いだのだ。
いや…防いだ、というのは語弊がある。
ロックワームの甲殻すら粉砕するガロードの一撃だ。
盾こそ手放していないものの、ニーコの細い腕はあり得ない方向に捻じ曲がり、骨が砕けるグシャリという鈍い音まで聞こえていた。
だというのに。
ニーコは、悲鳴一つ、苦痛の嗚咽一つ上げない。
「…〈アタッチ〉…〈ヒール〉」
か細く、感情の乗らない声で呟く。力無く垂れ下がっていた腕が、淡い光に包まれ、バキバキと音を立てながら即座に修復を始めていく。
(ああ……あの目だ)
あの時、岩山で見せた、深淵の底を覗くような、昏い瞳。
「…わ、私は…っ!」
なおも何かを叫ぼうとするニーコを無視し、その背後に立つリッチが、仰々しく両手を広げた。
その動きを危険と判断したのか、ガロードはその場から大きく後ろへ飛び退く。
そのガロードがいた場所を起点にするかのように、黒いモヤが霊廟の石床を蜘蛛の子のように這い広がっていく。
カタ…カタカタ…カタカタカタカタ…!
夥しいほどの数のスケルトンが、まるで地面から生えてくるかのように次々と這い出し、この大部屋を埋め尽くしていく!
(ちっ…!そういうことかよっ!)
この墓所の魔物の数が少なく、まとめて襲いかかって来なかった理由。
それは、このリッチによってアンデッドが「統率」されていたからだ。
俺たちが今まで相手にしてきたのは、偵察に出ていた駒に過ぎなかったってのかよ!
(一体一体は大したことはない。だが、この数は…!)
「マズいね、アリアちゃん…!どうする!?」
いつもふざけているジーンが冷や汗をかきながら、次の矢をつがえたまま、俺に判断を仰ぐ。
退路は、スケルトンの壁に塞がれている。
そして何より、撤退はできない。
敵の手に、ニーコがいる……!
戦場は、完全に二つに分断されていた。
一方は、骨と鉄と風が荒れ狂う、数の暴力。
ガロードの振るうブロードソードが、無言のまま嵐のように吹き荒れ、スケルトンの骨を砕いていく。
ジーンの放つ光の矢が、闇に囚われた亡者を正確に射抜き、浄化していく。
だが、敵の数はあまりにも多い。リッチの足元から絶え間なく湧き出る闇の霧が、砕けた骨を繋ぎ、倒れたはずの骸を再び立ち上がらせている。
まるで、無限に続く悪夢だ。
そして、もう一方。
俺とエステルが対峙するのは、たった二人の敵。
だが、その絶望感は、スケルトンの大群を遥かに凌駕していた。
俺は、盾を構えるニーコの、あの昏い瞳を見つめながら戦慄する。
(これは、おそらく精神支配の一種だ。だが、ただ操られているだけじゃねえ…)
精神支配といっても、意志を持つ人間を意のままに操るには、術者にも対象にも、非常に強力な制約がかかる。
そのため、精神支配魔法の多くは、暗示や感情の増幅といった、受け手の元々の意志を利用し、暴走させる類のものに過ぎない。
(つまり、コイツは元から、俺たちに対して…!)
その思考に至った瞬間、背筋に氷を叩き込まれたような悪寒が走った。
俺は、背負っていたもう一本の曲剣を引き抜き、両手に構える。
「…なんで?なんで、私を見捨てないんですか…っ?」
そう、か細い声で問いかけながらも、ニーコは一歩も引かずに盾を構えている。その瞳は、涙で潤んでいた。
「私を見捨てて、早く撤退すれば、アリアさんたちは助かるのにっ!そうすれば…『…私は、見捨てられて"不幸"でいられるのにっ!』っうぐ…ちが…私は、そんなこと…!」
最後の言葉は、まるで別の誰かが喋ったかのように、冷たく、昏い響きを帯びていた。
ニーコは、ハッとしたように自分の口を押さえ、ぶんぶんと首を横に振る。
「ニーコさんっ!もうおやめになって!しっかりしてくださいまし!」
エステルが、堪らず駆け寄ろうとする。
「下がってろ、エステル!」
俺の警告も、リッチの動きも、ほぼ同時だった。
ニーコの後ろに立つリッチが、ゆらり、と片手をかざす。その指先に、光すら飲み込むような闇の魔力が収束し、漆黒の球となってエステルに迫る!
「きゃあ!?」
寸でのところで、俺はエステルの身体を引き倒す。
直後、俺たちがいた場所を〈ダークボール〉が通り過ぎ、背後の石壁に当たって霧散した。
エステルの、頑丈さだけが取り柄の平民服の裾が、その余波に触れただけで、グズグズに腐食し、溶けている。
「ひっ…!」
「柱の影に隠れてろ!!」
エステルを柱の背後へと押しやり、俺は再びリッチとニーコに向き直る。
右手の曲剣には灼熱の炎を、左手の曲剣には揺らめく闇を、それぞれエンチャントで纏わせる。
リッチ目掛けて、床を蹴る!
リッチが、牽制とばかりに〈ダークボール〉で応戦するが、俺の左手に宿した闇の剣が、それを霧散させながら相殺し、強引に距離を詰める。
そして、その俺の進路を防ぐように、ニーコが割って入った。
「退けっ!」
俺は右手の炎の剣で薙ごうとするが、ニーコは恐怖に顔を歪ませながらも、怯まない。
まさか、このまま両断するわけにもいかず、振るった刃の勢いが鈍る。
「クソッ!」
その、ほんの僅かな隙。
リッチが纏う闇の衣が、まるで蒸気のようにブワリと吹き付け、不可視の衝撃波となって俺を吹き飛ばした!
「ぐっ…ぉぉおおっ!?」
回転しながら弾き飛ばされた俺は、体勢を立て直すため、両手の曲剣を霊廟の石床に突き刺す!
ギャリリリッ!と、火花を散らしながら、無理矢理にその勢いを殺して停止した。
口の端から、鉄の味が広がる。
厄介なこと、この上ない。
「ニーコさんっ、なぜですの!?」
柱の影から、エステルの悲痛な叫びが響き渡る。
それは、純粋な疑問だった。
裏切られたことへの悲しみと、目の前で起きていることが理解できないという、純粋な子供のような問いかけだった。
その問いに、ニーコはゆっくりと顔を上げた。
その表情は、もはや俺たちが知る、あの怯えた少女のものではなかった。
俯き加減の顔に、暗い悦びの影が落ちる。
歪んだ、半ば投げやりな笑みが、その唇に浮かんでいた。
「…はじめは、仲間なんだと思いました…っ」
その声は、リッチに操られているとは思えないほど、明確な意志を持っていた。
だが、その意志は、底なしの沼のように暗く、淀んでいた。
「周りから憐憫の眼差しを向けられる、社会不適合者。私と、同じ…。ババを摑まされた…不幸で、可哀想な人たちだって…!」
「でも、違ったんです…!あなたたちは、不幸を、その境遇を、受け入れない…っ!」
ニーコの言葉が、徐々に熱を帯びていく。
それは、憎悪と、そして裏切られた子供のような、ヒステリックな響きを帯びていた。
「それどころか…!あなたたちは、私の〈呪い〉を…!私が、不幸であることの唯一の証明を…!」
アイツの脳裏には、あの日の俺の言葉が蘇っているのだろう。
『お前のその体質も、使い方次第で役に立つんだな』
あの言葉が、アイツの中で最後の引き金を引いたのだ。
同情でも、憐れみでもない。『役に立つ』という、あまりにも無慈悲な肯定。
それは、ニーコが拠り所にしてきた、『不幸』という名の聖域を土足で踏み荒らす、最大の侮辱だった。
「私は…!不幸じゃなくちゃ、いけないのにッ!!」
絶叫と共に、ニーコの背後に立つリッチが、応えるようにその腕を振り上げる。
指先に収束した漆黒の〈ダークボール〉が、今度こそ俺を捉え、撃ち出される!
だが、もうその軌道は見切っている。
俺は左手の闇の剣を振るい、その魔力の球を、まるでボールでも打ち返すかのように、的確に受け流した。
闇の球は、あらぬ方向へと逸れていき、背後の壁に着弾して霧散する。
俺は、剣を構え直しながら、叫ぶニーコを、その絶望を、冷たい瞳で見据えていた。
ああ、なるほど、ようやく理解した。
ニーコを見て感じていた漠然として、言語化できない違和感。
腹立たしさにも似た、胸のムカつき。
コイツの病巣は、俺が思っていたよりも、ずっと深く、救いようがない。
読んでくれてありがとうございます。
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*本イラストは生成AIを使用しています




