第47話:修行!
ファルメルを出てしばらく。
俺たちは、エステル先導のもと、しんと静まり返った針葉樹の森へと足を踏み入れていた。
ひんやりと澄んだ空気が肺を満たし、時折梢を揺らす風の音だけが聞こえてくる。
ニーコを連れ出したはいいが、特に目的もなく、ひとまず街の喧騒から離れた場所へ来た、というだけだった。
「よろしいですこと?ニーコさん!わたくしも〈ジョーカー〉の一員として、いつまでも皆様のお荷物でいるわけにはまいりませんの。ですが、わたくし気がつきましたわっ!落ち込んでいる暇があるのなら、体を動かすのですわ!」
エステルは、なぜか仁王立ちで胸を張り、自信満々に言い放つ。
(一丁前に気にしていたのかよ、この無能お嬢様が…)
思わず口から魂が漏れそうになる。
だがな、違うんだぞエステル。
お前はなにもしなくていい。
いや、むしろ、なにもしないのが一番役に立つんだからな…!
「さあ、わたくしとご一緒に、心身を鍛え直すための修行にまいりましょう!脱☆無能ですわっ!
キラリと星を飛ばす勢いで拳を突き上げるエステルに、ニーコはぽかんと口を開けている。
「え、えぇっ!?い、今からですか!?」
「善は急げと申しますもの!」
有無を言わさず、エステルはニーコの手を引き、そのまま森の奥深くへと駆け出していった。
「おい、このアホが!勝手なことすんじゃねぇ!」
辺境の地だ。整備された街路を一歩外れれば、そこから先は魔物の領域。安全などどこにも保証されていない。
俺の怒声が木々の間に虚しく響くが、時すでに遅し。
「ははっ、青春だねぇ」
ジーンが肩をすくめ、暢気なことを呟いている。
そして、その言葉が終わって間もなく。
「きゃあああああああ!助けてくださいましぃぃぃ!」
「ひぃぃぃ!で、出ましたぁぁぁ!アイスウルフですぅぅ!」
静かだったはずの森の奥からけたたましい悲鳴が響き渡り、エステルとニーコが、その後ろに十数頭もの白い獣の群れを引き連れて、こちらへと転がり込んできた。
…どうやら『修行』は終わったらしい。
「なんでそうなるんだよっ!!言わんこっちゃねえ!」
(エステルの魔物遭遇率とニーコの魔物誘引力が合わさるとこんなことになるってのか……!?冗談じゃねぇ……!)
俺は悪態をつきながらも、即座に曲剣を抜いた。
「ガロード、ジーン!なるべく毛皮を傷付けんなよ!」
何がそこまで駆り立てるのか、アイスウルフの群れは執拗に殺意の全てをニーコ一人に向けているようだ。
その進路を断つように俺が割り込むと、ようやく獣たちは「邪魔をするな」とでも言うように、牙を剥き出しにしてこちらへ飛びかかってくる!
ザシュッ!
唸り声を上げて飛びかかってきた一頭に対し、カウンター気味に曲剣を喉元へ突き立てる。反動と重みがかかる前に、勢いを殺さず剣を引き抜くように振り払い、血飛沫を散らした。
背後では、ヒュン、と風を切る音と共にジーンの矢が放たれ、別のウルフの眉間を的確に撃ち抜く。
そして、ガロードの振るうブロードソードが、轟音と共に唸りを上げた。つむじ風を巻き起こしながら振り下ろされた一撃は、アイスウルフの一頭を骨ごと一刀両断し、そのままの勢いで背後の大木へと叩きつける!
「話聞いてんのかこのバカ!売り物にならねえだろうが!」
「は、はわわ……〈ストーン……っ!んっく……!」
渦中のニーコは囲まれながらも魔法を唱えようとするが、あんな状況では詠唱がまとまるはずもなく、手のひらに集まった魔力は霧散し不発に終わっている。
やれやれ……これは確かに……魔法使いとして致命的な欠点と言える。
半数ほどを屠ったところで、ようやく自分たちの不利を悟ったのだろう。一頭がキャンと鳴いて踵を返したのを皮切りに、残りのアイスウルフたちも散り散りに森の闇へと消えていった。
「おいっ、エステル!無事か!?」
「あ、アリアさま~!!お、恐ろしかったですわ~っ!!」
わーん、と泣き声を上げながら勢いよくしがみついてくるエステルの額を、手で押さえて制止する。
「あん?…しかしお前、あの乱戦の真っ只中にいて、よくもまぁ傷一つねえな…」
見るとエステルは服こそ土埃で汚れているものの、かすり傷一つ負っていない様子だった。
「ニーコさんが、ずっとわたくしの前に立って守ってくれましたの…!ありがとうございますわっ!お怪我は大丈夫ですの…?」
「い、いえ……私はだっ、大丈夫ですぅ!!すみませんっ!わっ、私ったら……また……!」
エステルとは対照的に、ニーコはズタボロだった。服のあちこちは牙で引き裂かれ、腕や足には生々しい裂傷が刻まれている。いや、逆にあの数の群れに真正面から襲われて、よくこの程度で済んだと言うべきか。
「いや、どう見ても大丈夫ではないんだが……」
「あはは……私、昔からこんな目にばっかり遭ってるからか、あんまり痛みとか感じなくて……これくらいならすぐに…〈ヒール〉!」
ぽうっと、ニーコがかざした手が淡い光を放つ。すると、牙で抉られたであろう腕の裂傷が、まるで時間を巻き戻すかのように、みるみるうちに修復されていった。
(自身へのヒールだけは一級品だな…まぁ、これも他人にはかけられないっていうんだから難儀なもんだ)
パチパチと、乾いた薪が心地よい音を立てて爆ぜる。
時刻は夕方になろうかという頃、俺たちは燃え盛る焚き火を囲んでいた。昼間の乱戦が嘘のように、森は静寂に包まれている。休息と早めの夕食を済ませた後に、ファルメルへ帰還する予定だ。
「あの…みなさんにご迷惑をおかけした、せめてものお詫びです…」
そう言って、おずおずと焚き火の前に立ったのはニーコだった。
彼女は、先ほど仕留めたアイスウルフの肉を、調理してくれるという。
正直、あまり期待はしていなかった。どうせ串に刺して、塩を振って焼くだけ。いつもの、筋張ってて少し臭みの残る、野営の食事になるだけだろうと。
だが、その予想はすぐに、そして鮮やかに裏切られることになった。
有り合わせの食材しか使っていないはずなのに、彼女の動きには無駄がなかった。
小刀を握るその手際は、素人目に見ても明らかになにかが違う。硬い狼肉の筋を丁寧に取り除き、一口大に切り分けていく様は、まるで熟練の料理人のようだ。
森の茂みから、いつの間にか摘んできていた数種類の香草と甘酸っぱい香りのするベリーを石皿の上で潰し、即席のソースを作り上げる。
ジュワァァッ…!と、熱した鉄板の上で肉が焼ける香ばしい音が、俺たちの鼻腔をくすぐった。独特の獣臭さは、爽やかなハーブの香りに完全に打ち消されている。
これまで、煮るか串に刺して直火で炙るかしか選択肢のなかった俺たち〈ジョーカー〉の殺風景な食卓に、突如として『文明の光』がもたらされた瞬間だった。
「まぁ!なんて美味しいのでしょう!お肉が柔らかくて、ベリーの酸味が絶妙なアクセントになっていますわ〜♡」
「これは素晴らしいね。まるで都の一流レストランで供される一皿のようだ。君には料理の女神がついているのかもしれない」
エステルとジーンの、いつも通りの大げさなリアクションが響く。
だが、今回ばかりはその言葉に嘘はないだろう。俺も、口に運んだ肉の、予想を遥かに超える美味さに目を見張っていた。
しかし、本当に度肝を抜かれたのは、その次の瞬間だった。
黙々と、凄まじい勢いで自分の皿を空にしたガロードが、すっと立ち上がる。
そして、驚きに目を丸くしているニーコを真っ直ぐに見つめ、普段は咀嚼音しか発しないその口を、ゆっくりと開いた。
「……おかわり」
りん、と。
風がそよぐだけの静かな森に声が響いた。
時が、止まった。
俺は口に運びかけていた肉を落とし、ジーンは口説き文句の途中で固まり、エステルは「まあ!」と小さく口に手を当てた。
(い、今…コイツ、喋ったか…!?)
ジーン、エステルとパチクリと顔を見合わせる。
あのガロードが!明確な意味を持つ言葉を発しただと!?
「あっ、あはは…よ、よく食べますねぇ…。はい、どうぞ!」
ニーコは事の重大さに気づいていないのか、ただの食いしん坊だと思ったのか、にこやかにガロードの皿に肉をよそっている。
だが、そこじゃない。問題はそこじゃないんだ!
おかわりを受け取ったガロードは、再び席につくと、先ほどよりも心なしか幸せそうに肉を頬張り始めた。
そして、それが無くなるや否や、空になった皿を両手で持ち、期待に満ちた瞳でニーコの前に差し出す。
その姿は、完全に餌を待つ犬か猫だ。戦闘力で言えば、そんな可愛い生き物では断じてないが。
「ああ、もうお肉、これで最後ですね…えっ、オックブルのお肉!?ま、まだ食べるんですかぁ!?」
ついには、ガロードが自分のポーチから、オックブルのブロック肉を取り出し、ニーコに調理を依頼する始末。
この瞬間、ガロードの胃袋を完全に掴んだ猛獣使いが誕生したのだった。
あ……修行編終わったみたいですね……。
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