第42話:つまらない話
腹もずいぶんと膨れて、皆の食べるペースが少し落ちてきた頃合いを見計らい、俺はジーンに声をかけた。
「おい、ジーン」
「なんだい?アリアちゃん。ボクのこの、情熱的な眼差しに見惚れてしまったかい?」
「そうじゃねぇ。羽根だよ。おまえが報酬に持っていった、グリフォンの風切り羽根だ」
俺は真面目な顔で、奴を見据える。
「やっぱり、どうにも気になってな。今回のグリフォン討伐、どう考えたってお前の活躍あってのものだ。もっと高額の報酬を要求したって、誰も文句は言わなかったはずだ。なのに、なんでたった一枚の羽根なんだ?村娘への自慢話なんざ、ガリオンバードでも十分だろうが」
俺の問いに、ジーンは一瞬だけ、いつものキザな笑みを消した。そして、焚き火の揺らめく炎を、どこか遠い目で見つめながら、静かに、しかしはっきりと答えた。
「……つまらない話になるよ?」
焚き火だけがパチパチと音を立てて、そのつまらない話を拍手で迎える。
───
──
「昔、一人の少年がいた。少年には妹がいたけれど、親はいなかったのさ」
ジーンは静かに語り始めた。
いわゆる孤児、この世界では珍しいものではない。ファルメルにも、目を合わせないだけでメイン通りを離れれば、何人もたむろしている。
「その妹……ラナは病弱でね。咳が止まらず、日に日に弱っていくんだ。その日暮らしのスリや盗みで生きるだけでも精一杯だったのに、ポーションや薬草なんて、とても手に入るわけもなかった。」
少年は魔法こそ使えたが独学では、どう試しても回復魔法は使えなかった。
「……バカな少年は、あろうことか街のゴロツキどものリーダーに頼み込んだのさ」
薄暗い路地裏、カビと汚物の匂いが染みついた巣窟。
そこに、体のサイズに合わないボロ布をまとった少年が、震える足で立っていた。
目の前には、足を組んで玉座のように瓦礫に腰掛ける男、ロータス。その周りを、ニヤニヤと汚い笑みを浮かべる取り巻きたちが囲んでいる。
「十歳やそこらのガキが、何の役に立つってんだ?」
取り巻きの一人が、少年を嘲笑うように吐き捨てた。だが、リーダーのロータスは、つまらなそうに顎に手を当て、少し考えた後に口を開いた。
「ふーん……いいぜ。ただし、俺たちの命令には絶対に従ってもらう。いいな?」
「……なんでもするよ」
少年は、祈るように、そう絞り出した。
「薬は後で用意してやるよ。じゃあ、まずは……」
それからというもの、少年は盗賊団の手足となって働いた。口にするのも憚られるような悪いこともした。
そしてその対価に、病気の症状を遅らせるという、透き通った赤い薬の入った瓶を受け取った。
行商人の前で行き倒れの振りをし、油断したところを襲わせたり。
裕福な家に同情を引いて住み込みで働かせてもらい、内側から扉の鍵を開けて強盗を手引きしたりもした。
そうこうしているうちに、路地裏のゴロツキ集団は、いつの間にか辺りでも名の知れた盗賊団になっていた。
悪いことをしているという意識はあった。
だけど、こうする以外に生きていく方法はなかった。……そういうやつらの集まりだったのさ。
いつものように、少年はロータスから薬を受け取った。
瓶に入った、透き通った赤い液体。
ラナに飲ませ続けてもう三年になる。効いているのかいないのか、ラナの病気は一向によくはならない。
だが、症状を抑えているのだと、そう思うしかなかった。
少年は、薬をどうやって手に入れているかなんてラナに伝えたことはなかったし、ラナもまた、その出所を決して聞こうとはしなかった。
そしてある時、ラナは死んだ。
「ごめんね、ジーンおにいちゃん」
今まで薬でかろうじて抑えられていた症状が、ついに限界を超えたのだろう。
身体中の水分がなくなるくらいに、少年は泣き腫らした。
もう盗賊団にいる必要もなくなった。
だが、少年は戻った。薬をもらっていた恩もあったし、似たような境遇の団員もいたからね。
身寄りのない者同士、奇妙な情も湧いていた。何より、もう、それ以外の生き方なんて知らなかったのさ。
さらに月日が経ち、ボクたちはこの辺りでは悪名高い〈ロータス盗賊団〉として恐れられるようになっていた。
団が肥大化するにつれて、狙う相手も大きくなっていった。ただの旅行者の追い剥ぎから、武装した冒険者、商人の馬車、そしてついには、イドリアとアイランの間を行き来する、国の輸送貨物にまで手を出すようになったのさ。
そしてある時、その均衡は破綻した。
国から軍へ、盗賊団を根絶やしにするための掃討命令が出たのさ。
いち早く情報を掴んでいたロータスは「今後の方針を決める」と言って、団員を隠れ家に呼び出した。そこには過半数のメンバーがいたが、幹部たちはまだ来ていなかった。おかしいと思った時にはもう遅かった。
金目のものはあらかた運び出されていて、少年の寝床には、手紙が一枚だけ。
ドウ、という轟音と共に、外からガシャガシャと騒がしい鎧の擦れる音が響く。隠れ家が軍に見つかるなんて。
……なんてことはない、そこにいた団員は、みーんなロータスに売られたのさ。
再起を図るために、肥大化しすぎた団の口減らしも兼ねていたんだろう。
軍の突入で浮き足立った盗賊団は、次々と殺されていった。そもそも、素人の寄せ集めが、訓練された戦いのプロに勝てるわけもない。
「俺にもお前ぐらいの弟がいてな」と、いつも優しかったリックも。
「おまえにゃ、まだ早えよ」と、ついに弓を貸してくれなかったライオも。
いつも下らないジョークを言いながら、文字を教えてくれたルーカスも……みんな、目の前で死んだ。
恐慌の中、みんな散り散りになった。少年は必死に逃げた。
盗賊団は離散し、死屍累々の中、逃げて、逃げて、一人で夜の森を過ごした。犯罪者の集まりだったとはいえ、少年は再び家族を失ったんだ。
ポケットからカサリ…という音がして、手紙があったことをようやく思い出した。
月明かりだけを頼りに手紙を開いた。……ロータスからだった。
『ジーン、おまえは今までよーく働いたな。薬のためにせっせと働く様子は笑いを堪えるのに必死だったぜ。実はな、ありゃただの色のついた水だ。いつかネタばらししてやろうと思っていたんだが、ついにそのタイミングがなくなっちまったみたいだからな。まったく残念だぜ。もしも、また会うことがあったら…そのときには今の気持ちを俺に教えてくれよ。ま、最後にもうひとはたらきしてくれや、俺のためにな』
愕然とした。笑えるだろう?ラナに薬だと言い聞かせて、きっとよくなると与えていたものが……ただの色水だったなんて。
……ロータスは約束なんて最初から守るつもりはなかったのさ。
そのあとのことはあまり覚えていない。
泣いたのか、怒ったのか、笑ったのか……。
ただ、空っぽになった頭で、とぼとぼと何も考えずに歩いた。何日も。その間に、狼にでも襲われればよかったのに。
そして辿り着いたのは、辺境の村だった。もはや野垂れ死ぬ手前で倒れ込んだのが、村外れの寂れた工房の前。
「あんだい、あんだい、ひとんちの前で!こんなところで死なれちゃ客が来なくなっちまうだろ!」
酒瓶を片手に持った酔っぱらいが、何やら喚いている。
痩せ細った、少年を見て、ドワーフの女は舌打ちした。
「ちっ、ほら、入んなっ。飯くらい食わせてやる。……といっても、酒のあてくらいしかないけどね」
盗みと殺ししか知らない少年にとって、この安息は耐え難く不快だった。
乱雑に転がっている武器、僅かな金、粗末な食料。
でも、そのどれもがその少年が持っていないものだった。
当の家主は、酔っ払って気持ちよさそうに眠っている。これらを盗んで出ていってしまえば、また『今まで通り』の生活に戻れる。
少年は、そう考えた。
そして、壁に立てかけてあった弓を掴んだ。盗賊時代は「矢がもったいねぇ」と言われて使わせてもらえなかった弓。
「…ライオは結局、一度も触らせてくれなかったっけな」
矢を探して工房を物色していると、ドワーフの女が身じろぎし、うっすらと目を開けた。
まずい、と思った少年は咄嗟に弓を隠そうとしたが、彼女は全てを見定めるように視線を動かすと、億劫そうに「…矢はここにあるさね」と呟き、棚から矢筒を投げ渡した。
盗むことはあっても、与えられることはほとんどなかった少年は、その行動に疑問を浮かべる。
彼女は「自分の食い扶持くらいは、自分で狩るんだね」と言うと、家から追い出すように、一つの荷物袋を少年の足元へ投げ渡した。
元々、持ち込みの荷物などない。
中には、この村の狩人が使うような野営道具一式と簡易の寝袋、それから僅かな食料も詰め込まれていた。
───つまりは、盗まなくても良くなったのだ。
少年は村を出た。
そして日が暮れ、夜が明け、白んできた頃、工房のドアが叩かれる。
「あんだい、この朝っぱらから…!」
そこに立っていたのは、少年だった。いくつかの生傷をこしらえながら、その手には雪兎が一羽、握られていた。
戻るつもりなどなかった。
しかし、なぜか。
やったこともない狩りを必死になって成功させて、ここに戻ってきていた。
ドワーフの女も戻ってくるとは思っていなかったのか、少しだけ面食らった様子だったが、すぐにいつもの調子で「...下手くそな狩りだねぇ。何本矢を使ったんだか」と言いながら、少年を中へ入れた。
それから今に至るまで、その少年は獲物を狩っては彼女に届けている。
「……ボクはね、狩りの腕をマダムに認めて貰わないといけないのさ」
「だから……実を言うとね、グリフォン退治には元々乗り気だったのさ。でも、君たちの実力もわからずに同行するのは自殺行為だろう?それで少し距離を置こうとしたのさ。でも、その時やってきたエステルちゃんが、ほんの少しだけ…妹に…ラナに、重なって見えてしまったんだ。歳も背格好も全然違うのにね……」
ジーンはそう言って、話を終えた。
焚き火の炎が揺らめき、俺たちの顔に落ちる影を揺らす。静寂の中で息が詰まりそうになる。
孤児が生きるために盗賊になる。この世界では、掃いて捨てるほどある話だ。
だが、コイツが語った物語には、そんな言葉では切り捨てられない、ずしりとした重さがあった。
「はは…つまらない話だったろう?」
(コイツに…そんな過去があったなんて…)
何と言っていいものか、言葉を探して口を開きかけた、その時だった。
「ジーン様!なんて…なんて悲しい過去ですの!ぐすんっ、わたくしっ、てっきり軽薄な御方とばかり…っ」
隣にいたエステルが、わっと泣き崩れ、俺の肩口に顔をうずめてきた。
「わわっ、鼻水をつけるな!」
俺は懐からハンカチを取り出し、ほとんど押し付けるようにして、エステルの顔を乱暴に拭う。
そんな俺たちの様子を見て、ジーンはふっと、どこか困ったような、それでいて少しだけ軽くなったような笑みを浮かべた。
俺たちはグリフォン討伐のための一時的な協力関係。
「そうでいてくれ」というジーンからのメッセージだと思った。
ジーンも、俺も、こいつらも。
なんだかんだで、この居心地の良さを感じていたのかもしれない。
『パーティに誘えば心が揺れる』
『だから誘わないでくれ』
……いつもの軽薄さからは想像がつかないくらいに軟弱で。後ろ向きで。
……なんとも義理堅いやつだ。
ジーンの過去を聞いたからといって、俺たちの何かが劇的に変わるわけではなかった。
焚き火の前で感傷に浸っていたのはエステルくらいのもので、翌朝になればジーンはいつものキザな色ボケ野郎に戻っていたし、ガロードは相変わらず食うことしか頭にない。そして俺は、そんな奴らの手綱を引くのにうんざりしていた。
(まぁ、これでいいんだろうな)
ジーン自身、同情や憐れみなんざ望んじゃいないだろう。変に気を遣われる方が、よっぽど居心地が悪いはずだ。だから、俺たちはいつも通り、このどうしようもなく手のかかるパーティ〈ジョーカー〉のまま、カマド村への帰路に就いていた。
昨夜の話を聞いてしまった以上、ジーンを〈ジョーカー〉へ正式に勧誘することができなくなった。
「ああ、エステル!君のその笑顔は、まるで荒野に咲く一輪の花のようだ!このボクを潤しておくれ!」
「まぁ、ジーン様ったら!あら、あちらに本当のお花が咲いていますわ!」
「……(もぐもぐ)」
いつも通りの光景。いつも通りの頭痛。
特段、魔物に襲われるようなトラブルもなく、平穏な道中だった。
……平穏とは、一体何だったか。
二日後、俺たちは見覚えのあるカマド村の粗末な木の柵の前に立っていた。
……ジーンとはここでお別れだ。




