第39話:火気厳禁
その時!
空気が、ゴボリと音を立てて肺に戻ってくる。
「…っかは!?はぁ…っ、はぁっ…」
(送風…!ガロードか!)
視界の端で、片目から血を流しながらも、奴がこちらを睨んでいるのが見えた。
その目から、「絶対に焼き鳥を逃がすな」という、ブレようのない強い意志がヒシヒシと伝わってくる。
(…本当に、お前はそれだけだなっ!!)
度重なる気圧の乱高下に、頭と肺が悲鳴を上げる。
だが、足を止めるわけにはいかねぇ!
俺は咄嗟に片方の剣を投げ捨て、大地を蹴る最後の力を振り絞って、飛び立とうとするグリフォンの尻尾に飛びついた!
ガッシリと掴んだものの、凄まじい揺れに体が煽られ、ダメージで痺れていた方の手から、もう一振りの剣が滑り落ちていくのが、やけにゆっくり見えた。
(しまっ…!)
翼が風を掴む。浮遊感。
(まずいっ!)
掴まれた『二代目ウシさん』と、グリフォンの尻尾にしがみつく俺の体は、なすすべもなく、ぐんぐんと上空へと連れ去られていく。
飛行中のグリフォンの周囲では、奴自身を巻き込むように風が暴れ狂っている。
やみくもに魔法で攻撃しようにも、霧散させられるのがオチだ。
諦めて手を離す?今ならまだ着地できる。
(バカ言え...!この瞬間のためにどれだけ準備したと思ってる!?)
どうする?
どうするっ?
どうすりゃいい!?
「ぷはっ…ああっ、ようやくおしゃべりできるようになりましたのね!!」
「…………へっ?」
(…………う、嘘だろ?)
今まで二代目ウシさんの巨体が死角になって見えてなかった。
だが、そこには、あろうことか、エステルがオックブルの背中に馬乗りになるようにして、必死に、必死にしがみついていた。
「って…ま、また飛んでますわぁぁあああああああっ!!?」
「このアホーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!?」
俺の悲鳴にも似た絶叫が、空に響く。
それで、ようやくエステルも俺の存在に気づいたらしい。
「ア、アリア様!?どうしてそんなところに、しがみついていらっしゃいますのっ!?」
「そっくりそのままこっちの台詞だ、このアホエステル!!」
「わたくし、怪我をした二代目ウシさんの手当てをしようと思って、ずっと背中に……」
まずい…!
まずいまずいまずい…!
(なにか、なにか手は…!?)
そんな俺たちの、あまりにも間の抜けたやり取りを嘲笑うかのように、地面はあっという間に遠ざかり、俺たちの体は、どこまでも広がる青空の中へと、ぐんぐんと高度を上げていった。
(クソッ、手は…手はねぇのか!?)
焦る俺の脳裏に、ふと、あの忌々しい買い物の記憶がよぎった。
(……!!)
「エステル!バッグの中だ!〈竜火酒〉を出せ!」
「お、お酒ですの!?」
この状況でなぜ?という顔でエステルが叫び返す。
そうだ、マノンへのお礼のために追加で買った、あのバカ高い酒!
店主が『火気厳禁』だと、あれだけ念を押していた、とんでもなくアルコール度数の高い代物だ。1,500ガルド!!
グリフォンが、鬱陶しそうに尻尾を激しく振り、俺を振り落とそうとする。
片手でしがみつき、歯を食いしばってなんとか持ちこたえる。
エステルは慌てて、背負っていたマジックバッグの中をかき回し始めた。
「ありましたわ!これをどうすれば!?」
「開けろ!」
「わたくし、お酒は得意では…」
「この状況で飲むか、このアホが!開けてグリフォンにぶっかけろ!!」
「は、はいっ!わかりましたわ!!……か、固いですわっ!」
エステルが、オックブルの背に脚を絡め、片手で必死にしがみついたまま、固く締められた瓶の栓に悪戦苦闘している。
「くそっ、貸せっ!」
俺は必死に手を伸ばして、エステルからボトルをひったくるように受け取る。
(とはいえ、痺れた左手じゃ、このクソ固い栓は…!)
ボトルを振り上げ、どうやって開けるか一瞬だけ思考を巡らせた、その時。
俺の視界の端で、地上から放たれた何かが、太陽の光を反射してキラリと光った。
次の瞬間、俺はニヤリと口の端を歪めていた。
(くそっ、いいとこ持っていきやがって!!)
「ナイスだ!ジーン!!」
俺が叫ぶのと、振り上げた酒瓶がパリンッ!と甲高い音を立てて砕け散るのは、ほぼ同時だった。
こちらから迎えて微調整する必要すらなく、寸分の狂いなしに飛来した矢が、俺の手にしたボトルだけを正確に射抜いたのだ。
『ふふ、次は外さないって言ったからね』
地上から、風に乗って、ジーンのキザな声が聞こえた気がした。
瓶の中身…強烈なアルコールが、グリフォンの纏う風の防護によって巻き上げられ、頭に、背中に、翼に、雨のように降りかかっていく!
揮発した酒精が風の流れで一気に拡散していく。
循環する風に突然混入した刺激物に驚愕したのか、あるいは強烈な度数に酔っ払ったのか、制御を失うグリフォン。
「エステル!」
俺はタイミングを見計らい、飛び移るようにして、まだ何が起きたか分かっていないエステルの手を強く掴む!
「えっ?えっ?ま、まさか…!?」
「行くぞ!」
「ま、またですの〜〜〜~~~っ!?」
俺たちは、エステルの情けない悲鳴と共に、遥か上空から、広大な平原めがけてスカイダイビングを決行する!
落下しながら、俺は真上にいるグリフォンを見据え、魔力を練り上げた。
「焼き鳥になりやがれ!!〈フレイムビット〉!」
俺の指先から放たれた小さな火種が、アルコールを浴び、潤沢な空気の供給を受けているグリフォンに触れた瞬間。
チュドォォォオオオオオンッ!!!!
さながら爆弾のような轟音を立てて、グリフォンが燃え盛った!
(………………なんてもん飲んでんだ、ドワーフはよ!?)
奴がその身に纏っていた風が、逆に燃料を煽り、爆発的な炎となって巨体を包み込む。
「ギャアアアアアアアアアッッ!!!」
断末魔の叫びを晴れ渡った空に響かせながら、炎の玉と化したグリフォンが、俺たちのすぐ横を、黒い煙を引きながら猛スピードで地上へと墜落していった。
(やっべぇ、思ったより高え!!)
落下しながら、俺の視界の端で、燃え盛る火球と化したグリフォンが、凄まじい速度で平原へと激突するのが見えた。
ズドォォン!と地響きがここまで届き、土煙が上がる。
その様は……もはや落下というよりも着弾だ。
あの巨体が原型を留めているかも怪しい。
自分たちの末路を想像し、俺の顔からサッと血の気が引いた。
「ひゃあああああああああああ!!!」
「きゃあああああああああああ!!!」
俺とエステルの、間の抜けた絶叫が空から地上へ落ちていく。
ぽふっ
だが、地面に叩きつけられるはずだった衝撃は、まるで分厚い羽毛布団にでも飛び込んだかのような、柔らかい感触に変わった。
ガロードが発生させた〈エアクッション〉が、俺たちの落下の勢いを完璧に吸収し、体がぽよん、と軽く宙に跳ねる。
そして───
どすっ
…バウンドして、無様に地面に落ちた。
「痛いですわぁあ!?……はっ!!ということは生きていますのね!?わたくし!!」
エステルが、叩きつけられた尻をさすりながら、すぐにケロリとした顔で叫んでいる。
「いたた…、おい、最後まで受け止めろよ!」
俺も悪態をつきながら、ようやく周囲を見渡す余裕ができた。
(生きてる……)
少し離れた場所に、黒焦げになり、ありえない方向に手足が折れ曲がったグリフォンが、ピクリともせずに転がっている。
その無残な亡骸を見て、ようやく実感が湧いてきた。
(あ…ああっ)
「やった…倒した…!よっしゃ、倒したぞ!これで魔石が手に入った!!」
込み上げてくる興奮と達成感に、俺は思わず拳を突き上げてはしゃいだ。
……だが、その喜びを分かち合う仲間は、どこにもいなかった。
ガロードは、俺が勝利を噛みしめるより早く、既にグリフォンの亡骸に駆け寄り、懐から解体用のナイフを取り出して、今夜の焼き鳥…もとい、肉のどの部位が一番美味そうか、真剣な目で見定め始めている。
エステルは、グリフォンの犠牲となったオックブルの亡骸に駆け寄り、その亡骸にすがりついて涙を流している。
「ウシさん、二代目ウシさん、仇はとりましたわよ…!あなたがたの尊い犠牲、わたくし、決して忘れませんわ……!」
そしてジーンは、そんなエステルの後ろ姿に、うっとりとした表情で愛を囁いていた。
「ああ、エステル……君のその、友を思う優しい心…そして、その涙ですら、なんて美しいんだろう。ボクの放った最後の一矢、ちゃんとその目に焼き付けてくれたかな?」
…………なんだ、この温度差は。
さっきまで勝利にはしゃいでいた自分が、急激に……とてつもなく恥ずかしくなってきた。
俺は、ズキズキと痛み始めたこめかみを、手のひらでぐりぐりと押さえる。
(……ったく、どいつもこいつも、マイペースにも程があるだろ……)
また大きくため息をつこうかとすぅと息を肺に溜めるが、そのままフッと笑うと、アイツらの元へ駆け寄っていく。




